出発の朝
朝六時前、僕は緊張の面持ちで祝い町センターに立っていた。昨日の酒が残っているせいで寝起きは最悪だったが、僕には珍しく、予定時間よりも三十分も前に現場に着いていた。
空は晴れ渡り、早朝とあって、いつもはどこか淀んだ空気感のある町に澄んだ空気が流れ、まさに新たな出発の日にふさわしい朝だった。
「・・・」
しかし、周囲を見回すと、早朝からその日の日雇い仕事にありつこうと、どこから湧いて出て来たのか、驚くほどの数の小汚いおっさんたちが、熱気むんむんに蠢いていた。生活が掛かっているからなのか、おっさんたちはみな一様に目が必死で怖かった。
更に近くを見回すと、僕と同じバスに乗るであろう雰囲気のおっさんたちがちらほらと立っている。やはり、一癖も二癖もありそうな面構えのおっさんたちばかりだ。
「・・・」
僕は一抹の不安を覚えた。
「来た」
待つこと四十分。少し遅れてついにマイクロバスがやって来た。いよいよ、出発だ。僕の新しい人生。バラ色の人生へ向けて、僕は出発する。僕の頭の中には、様々な僕の輝かしい未来の姿が浮かんでは消えて行った。
「長いようで短かったな」
振り返ればあっという間だった。祝い町の生活も・・。まだ出発すらしていないのに、僕はすでに感慨に浸っていた。
「朋花さん・・、待っていてください」
朋花さんのあのエロティックなボディラインが目の前に浮かんだ。
マイクロバスは丁度僕の予想通り、僕の目の前に止まると、その中ほどにある扉をスライドさせ、ゆっくりと開けた。
マイクロバスの開いた扉が僕の目の前に。さあ、僕の新しい人生の第一歩だ。僕は勢い込んで、バスの階段に一歩を踏み出した。
「うをっ」
その瞬間、いきなり横からおっさんが、割り込んで来て、そのまま先に乗り込んでいった。
「な、なんだ。あいつ」
僕は、怒りに震えた。
「だから嫌なんだ。この町は。まったく、絶対脱出してやる」
僕は改めて、第一歩を踏み出した。
「わっ」
しかし、今度は、急に誰かに肩を掴まれ後ろに引っ張られた。
「だ、誰だ」
僕は、また変なおっさんと思い、怒りに沸き立ち振り返った。
「あっ、やっさん」
振り向いた先にいたのは、やっさんだった。
「どうしたんです。わざわざ見送りに来てくれたんですか」
やっさんはいつにない真剣な表情で僕を見つめている。
「どうしたんです?」
「やめとき」
「えっ?」
やっさんが何を言っているのか分らなかった。
「やめとき」
「いや・・、でも・・」
「行ったらあかん」
「えっ・・・」
突然のことに僕はどうしていいのか分らなかった。茫然と立ち尽くす僕の脇をおっさんたちが次々邪魔そうに通り抜け、マイクロバスに乗って行く。
「なんですか突然」
「行ったらあかん」
しかし、やっさんはそれしか言わない。
「なんで、邪魔するんですか」
僕はなんだか腹が立ってきた。
「行ったらあかん」
しかし、やっさんのいつにない厳しい表情は変わることがなかった。
「なんでですか」
「なんでもや。行ったらあかん」
やっさんはきつい口調で言った。
「行くの、行かないの」
その時、手配師がバスの入り口から顔をのぞかせ苛立たし気に怒鳴った。
「・・・」
僕はやっさんをもう一度見た。僕を見るやっさんの表情は真剣だった。
「・・・」
「行くの?」
手配師が苛立たし気に僕を見る。僕は手配師を見た。そしてやっさんを見た。やっさんは真剣な顔で大きく顔を横に振った。
「・・・」
なんだかその時、全身から力が抜けていった。
「すみません。僕やめます」
僕がそう言うと、手配師は、チェッっと舌打ちをして、バスの中に消えた。
最後に遅れてやってきたおっちゃんが一人乗り込むと、僕を残しマイクロバスは発車していった。
「・・・」
僕はその後ろ姿を茫然と見送った。僕の輝かしい未来が遠のいていく。
僕の中に堪らない気持ちが湧き上がってきた。
「どうして・・」
僕はやっさんを睨むように見た。
「行ったらあかん」
「なんでですか」
「原発はあかん」
「でも、危険はない。安全だって」
「嘘や。わしは若くして死んでいった仲間を何人も見とる」
「・・・」
「君はまだ若い。もっと自分を大切にしい」
やっさんは睨みすえるように僕を見つめる。
「放射能をなめたらあかん」
「・・・」
「原発は怖いとこや。放射能は滅茶苦茶恐ろしいものなんや」
「でも、やっさんは行ってるんでしょ」
「わしはいいんや」
「なんでですか」
「いいもんはいいんや」
普段やさしいやっさんのいつにない強い口調だった。
「・・・」
「わしは死にぞこないや。だがお前はまだ若い。元気で将来もある」
「・・・」
僕はやっさんの迫力に、何も言い返すことができかった。
「あれ、誠さん」
ママの店のいつもの席に座ると、隣りの席にすでに座っていたももちゃんが驚いて僕を見た。
「誠さん、遠くへ出稼ぎに行ったって聞きましたけど」
「・・・」
僕はもう答える気力もなかった。
「ママ・・、ビール下さい・・」
ママは黙ってビールを出してくれた。勘の良いママはすでに全てお見通しなのだろう。
「こんちわ」
そこにインテリさんがやって来た。そして、僕の右隣りに座った。
「おっ」
そして、左を向くと驚いた。
「あれっ、出稼ぎに行ったんじゃなかったのか」
「・・・」
「まあ、しばらくほっといてやれ」
ママが言った。




