受難
僕はそれから毎日、さゆちゃんのいる教会に通った。聖書の意味は分からなかったが、愛とはなんなのか、僕は知っていた。
しかし・・、愛とは受難がつきまとう・・。
「青年、今日もがんばっているな」
龍二さんが、嬉しそうに僕の肩を力を込めて叩く。
「毎日来るとはな、俺も負けるわ」
「は、はあ、どうも・・」
違うんだけどなぁ・・。と、言いたかったが言えなかった。
「今日も一緒に神の偉大さについて勉強しよう」
「はあ・・」
龍二さんは、やはり一人気合が入っている。
「さっ」
「えっ?いや、あの・・」
龍二さんは、やさしくそれでいて有無を言わせぬ勢いで、僕の肩を掴むように抱く。僕は何とか逃げようと試みるが、龍二さんは、なんとも逃れられない強い力と技で僕の肩をがっしりと掴まえ、僕を捉えて離さない。
「ああああ」
そして、僕は、地獄の勉強会へと連れていかれた。
「・・・」
オレンジ色の夕暮れが、僕の体を影にしてゆく・・。
「はあ・・」
日々地獄の勉強会で、枯れていく自分を感じていた。
「・・・」
何か得体の知れない魔物に、生気を吸い取られているような虚脱感が全身を覆っていた。教会に日々通うが、中々彼女と二人きりになれないどころか、会話すらが出来ない。時折見えるその横顔だけが、僕の唯一の救いと癒しだった。
「僕はここで何をやっているんだ・・」
そう呟かずにはいられなかった。以前二人きりで話をしたあの輝くような時間が、遠く霞む幻のようだった。
だが、次の日、今日も僕は懲りずに教会にいた。今の僕は誰も止められない。
「誰も止められない」
僕も龍二さん同様、いや、それ以上に気合が入っていた。目的は大きく違っていたが。
「誰が止まらないんですか?」
「ん?あっ」
「誠さん、一人でなんか気合い入ってますね」
ももちゃんだった。
「ももちゃん、どうしたの」
「誠さんこそ」
「い、いや、僕はその・・」
別に、何も動揺することはないのだが、なぜかおもいっきり動揺してしまった。
「ちょ、ちょっと、ね・・、ももちゃんは、なんで教会なんかに」
「私は、時々、ボランティアでここに来ているんですよ」
「えっ、そうなの」
「はい、ここに来るおじさんたちに字を教えたりとか、色々相談に乗ったりとかしてるんです」
「そうだったのか。色々やってるんだね」
僕はももちゃんの行動力とその幅の広さに感心した。
「あ、じゃあ、勉強会始まっちゃうから」
ももちゃんは腕時計を見ると、話もそこそこに僕にかわいく手を振って教会の中に消えて行った。僕も手を振りそれを見送った。
「ふぅ~」
とりあえずよかった。なぜここにいるのかさらに突っ込まれたらどうしようかと思ったが、それは避けられた。少し、僕のことを訝し気に見ていたが、何とかももちゃんには、さゆちゃんのことはばれずに済んだ。まあ、別にばれてもいいのだが・・。
「あらっ、誠さん」
「あっ」
そこに丁度入れ替わるようにして、さゆちゃんが通りかかった。
「今日も来られてるんですね」
さゆちゃんがその丸い顔をほころばせる。
「うん」
僕もそんなさゆちゃんの笑顔に顔が崩れる。
「あれっ、どこ行くの?」
さゆちゃんは何やらいっぱい荷物なんかを持っている。
「奉仕活動です」
「奉仕活動?」
「はい、今日は炊き出しの日なんです」
「ああ」
そう言えば、炊き出しをやっている人たちはキリスト教系の人が多い。
「毎週金曜日は炊き出しの日なんです」
「そうだったのか」
そういえば毎週金曜日は、さゆちゃんの姿を見かけなかった。
「そうだ」
「はい?」
「僕も奉仕活動手伝うよ」
「本当ですか」
「うん」
今日は神の思し召しか、龍二さんにも捕まらなかった。僕はこれ幸いとさゆちゃんにくっついて、炊き出しの行われる祝い町の中の公園の一画に向かった。
公園までの道のりを二人並んで歩いてゆく。僕はそれだけで幸せだった。
「誠さんは、最近毎日いらっしゃってるんですね」
「う、うん」
君に会いに来ているんだ。僕は心の中で言った。
「龍二さんが感心されてましたわ」
「う、うん」
あの人はいらない。僕は心の底から思った。
「ん?」
その時、突然さゆちゃんが立ち止まった。
「どうしたの?」
「全ては神様のお導きだわ」
「えっ?」
「誠さんに会えたこと」
「えっ」
「誠さんと会えたのも運命なのね」
そう言って、彼女は僕を見て嬉しそうに微笑んだ。それはまさに天使の微笑みだった。
僕はもう、脳天から魂が沸騰して天に昇ってしまいうそうだった。
「死ねる」
この子のためなら死ねる。そう本気で思った。さゆちゃんに運命とか言われてしまった。僕は死ねる。
「死ねる」
「えっ?」
「えっ、いや、なんでもない。なんでもない。はははは」
訳は分かっていないようだったが彼女も、そんな僕を見て笑った。その瞬間、僕は最高に幸せだった。
しかし、幸せは長く続かない。その後、僕たちはすぐに公園に着いてしまった。僕はがっかりした。ずっとずっと永遠にさゆちゃんと二人きりで歩いていたかった。
公園にはボランティアや信者の方々がすでに何人も来ていて、野菜を切ったり大鍋を火にかけたりと立ち働いていた。
「今日は雑炊です」
さゆちゃんが荷物の中から道具やら調味料を取り出しながら言った。
「そうなんだ」
僕は大鍋とその周りに並ぶ大量の材料を見渡した。
「じゃあ、誠さん野菜を切ってくれますか」
「うん」
僕は他のボランティアの人たちと一緒になって野菜を切った。大量の野菜を切るのは中々大変な仕事だった。だけど、さゆちゃんと一緒にいると、何をしていても楽しかった。全てが喜びだった。
そして、大量の雑炊は出来上がった。僕はさゆちゃんの隣りに立ち、出来上がった雑炊を盛り付け、さっそくホームレスの人たちに渡していく。いつもはもらう側だったが渡す側になると、なんだか新鮮だった。
「どうぞ」
隣りでは同じようにさゆちゃんが、笑顔で雑炊をホームレスのおっちゃんたちに渡していく。その姿勢は本当に謙虚で慈愛に溢れていた。一切の傲慢さや優越感がそこにはなかった。その姿に僕は、改めて感動した。
「やっぱり素晴らしい」
僕はさゆちゃんの姿に、天使のような光を感じた。
「おいっ、あんちゃん早くしてくれ」
「あ、すみません」
ぼけっとして、ホームレスのおっちゃんに怒られてしまった。しかし、今の僕はそれすらが気にならなかった。
「はい、どうぞ」
僕は気分良くドンドン雑炊を盛り付けホームレスのおっちゃんたちに渡していく。何か普段感じることのない満足感を感じている自分がいた。それはなんとも心地よいものだった。
「はい、どうぞ」
雑炊を渡す手にも力が入った。
「はい、どうぞ」
僕は調子よくどんどん雑炊を渡していく。
「なるほど」
「ん?」
その時、聞きなれた声がして、僕は顔を上げた。
「なるほど」
「わっ」
インテリさんだった。
「なるほど、そういうことだったのか」
インテリさんは、顎に手をあてながら、僕とさゆちゃんを観察するように交互に見つめている。
「違います」
僕は慌てて否定した。
「何が違うんだ?」
「うううっ・・、違うんです・・」
「君が突然神様なんて言い出すから、何かおかしいなとは思ったんだ」
インテリさんは隣りのさゆちゃんを見る。さゆちゃんは、インテリさんと僕を不思議そうに交互に見ている。何を言っているのか全く分かっていないのだろう。
「そういうことだったのか」
インテリさんは、僕とさゆちゃんを見つめ、自分に対して頷くように言った。
「なるほど、そういうことだったのか」
その日の、ママの店。僕は何か嫌な予感と共に、カウンター席からママを見上げた。
「かわいい女の子と一緒に公園にいたんだって」
「うっ」
すでにママは知っていた。
「・・・」
僕は改めて祝い町の恐ろしさを知った。噂はあっという間に広がるらしい。
「やっぱりそういうことだったのか。お前が神様とか言い出すからなんかおかしいと思ったんだ」
ママはインテリさんと同じことを言った。
「いや、僕は別にそんな不純なことじゃなくてですね・・」
「ほお・・」
ママはものすごく露骨に疑わし気な目で僕を見た。
「ほんとですよ。彼女はですね、とても不幸な生い立ちの少女なんです」
「それでその子を何とかしてあげたいって」
「そうなんです」
「ははあ」
ママが、僕の言っていることなど全く信じていない、いやらしい目で僕を見る。
「なんですか」
「そういう物語ね」
「ほんとですよ」
全くママは信じていない。
「なんか変だと思ったんだよな。お前がクリスチャンなんて」
「ち、違いますよ」
「お前、みんみが好きなんじゃなかったのか」
「だから違うって言ってるじゃないですか」
「何本気でむきになってんだよ」
「むきになんてなってないですよ」
「目が血走ってるぞ」
「うううっ」
「みんみに報告しよう」
ママが意地悪く言う。
「ど、どうぞ」
「思いっきりどもっとるな」
隣りで黙って飲んでいたやっさんが笑った。
「ほんとに違うんですよ。僕は心の底から彼女を助けてあげたいと」
「苦しいなぁ」
いつもの席で飲んでいた源さんまでが言った。
「ほんとですよ」
「はいはい」
完全に四面楚歌だった。
「こんばんわ~」
そこへ丁度、仕込んだみたいにみんみさんがやってきた。
「おいっ、みんみ、こいつな」
「ああ、あああ」
僕はママの前に立ちはだかり両手を大きく振った。
「なんだよ。さっきあんなにはっきりと言っていいって言ってただろ」
「・・・」
「こいつ好きな女ができたみたいだぞ」
「へぇ~」
みんみさんが僕を見る。今日も目は潤み、唇はうるおい、胸は膨らみ、みんみさんは一段と色気があった。やっぱりきれいだ。
「やっぱりステキです」
「何言ってんだよ。浮気もんが」
「違いますよ。そういうのではないです」
「じゃあ、どういうんだ」
「彼女は、もっとこう、崇高なですね」
「崇高ねぇ」
ママが疑惑の目で僕を見る。
「残念だわ」
みんみさんも、ママに調子を合わせ僕をからかう。
「もう、からかわないでくださいよ」
そう、僕が口をとがらせると、みんみさんはおかしそうに笑った。




