小田医院
「彼女は天涯孤独の身だったのか・・」
僕は帰る道すがら、そんな彼女の悲しい境遇を思った。
日は傾き、夏の日差しも薄らぎ始めていた。結局、僕はさゆちゃんの手伝いを理由に夕方まで教会に居座っていた。
「・・・」
僕なんかが経験したことのない絶対の孤独。彼女はその中に生きている。僕も孤独だが、一応親も兄弟も親戚もいる。恥を忍んで、助けを求めれば、求められなくもない。絶対にしないが・・。しかし、それすらがないという人生は、想像を絶していて、僕には推し量ることすらが出来なかった。
「・・・」
僕は彼女の陰りのある横顔を思い出した。なんだか彼女のあの儚い美しさが、その生い立ちの悲しみにある気がした。そして、そのことが、僕にはなんだか必然のように感じた。
「どうしたんですか。黄昏ちゃって」
「わっ」
ふいにすぐ真横から声を掛けられ、僕は驚いて素早く首を横に向けた。
「ふふふっ」
ももちゃんだった。
「どうしたんですか」
ももちゃんはにこにこと無邪気に僕を見つめている。
「大学終わったんだ」
「はい、丁度帰って来たところです。誠さんはどこへ行っていたんですか」
「う、うん・・」
「どうしたんですか。なんか真剣な顔してましたよ」
「うん・・」
「なんかあったんですか」
「うん・・」
ももちゃんは質問攻めにしてくる。しかし、なんとなく、今はまださゆちゃんのことを話す気になれなかった。
「どうしたんですか」
「うん・・」
僕はしばらく黙って歩いた。ももちゃんはそんな僕についてくる。
「今日もママの店ですか」
「え?」
はたと気付くと、無意識に自然と足はママの店に向かっていた。この道の先にはママの店がある。
「・・・」
結局、僕には他に行くあてもなく、今日もママの店へと向かった。
「小百合・・」
「あ?」
ママがカウンターに座る僕を見つめる。そして、隣りのももちゃんを見た。
「さっきからこの調子なんです」
ももちゃんがママに言う。
「なんて可憐な名前なんだ」
僕は、まだ夢を見ているようだった。
「やっぱり、病気なのか?」
ママが訝し気な目で僕を見る。
「彼女は天涯孤独の身なんです・・」
僕はママを見ていたが、心はママを見てはいなかった。
「何言ってんだ?」
ママが、焦点のあっていない僕の目に少し戦慄しながら、再びももちゃんを見る。ももちゃんも困惑している。
「なんて悲しい、少女なんだ」
なんだか僕まで切なくなってきた。目に涙が浮かんだ。僕は何としても彼女を幸せにしてあげたいと思った。
「・・・」
「・・・」
そんな一人涙を浮かべている僕を見て、ママとももちゃんが、本当にやばそうな目で僕を見る。
しかし、僕はさゆちゃんのことを考え続けていた。何としても幸せにしてあげたかった。幸せになってほしかった。
「絶対に幸せにしなくては」
僕は堪らず力を込めて声に出していた。それと同時にママとももちゃんが、驚いてビクッとなってのけぞる。
「・・・」
また一人静かになった僕を見て、ママとももちゃんはお互いに訝し気な顔を見合わせた。
「やっぱ、そうとうやばいのか?」
ママがももちゃんを見る。
「そうみたいですね・・」
「どうしたの」
そこにインテリさんがやってきた。
「また、誠さんが・・」
ももちゃんが言うと、インテリさんが僕を見る。
「やっぱ、病院連れてった方がいいかな」
ママがインテリさんを見る。
「なんか以前よりも重症化しているような気が・・」
ももちゃんが言った。
「一度、小田先生に診てもらったら」
インテリさんは僕の隣りに座り、言った。
「ああ、でも、小田さんって内科じゃなかったかしら」
ももちゃんが言う。
「いいよ、とりあえずなんでもいいから診てもらえよ」
ママがいい加減なことを言う。
「よしっ、じゃあ、僕が明日・・」
インテリさんがそう言った時、そこで僕はハタと気が付いた。
「僕は病気じゃありません」
「わっ」
突然叫ぶ僕に、三人が揃ってのけぞる。
「やっぱ、相当やばいな」
ママが言う。
「そうですね。今日、これから連れてった方が良くないですか」
ももちゃんがインテリさんを見る。
「うん、そうだな。急患ってことで診てくれるかもしれない」
「いや、だから・・」
僕は口を出そうとするが、しかし、三人は僕をほったらかして、勝手に話を進めていく。
「今から行こう」
「そうですね。私も行きます」
「いや、だから・・」
もう三人は、僕の話なんか全然聞いていない。
「僕は病気じゃない」
僕は堪らず再び叫んだ。
「病気の奴はみんなそう言うんだ」
ママがぴしゃりと言って、僕の運命は決まった。
抵抗も虚しく、僕はママの店からほど近い、古びたビルの一室にある小田先生の診療所に、ももちゃんとインテリさんに両脇を抱えられるようにして連れていかれた。
「ふ~む、なるほどねぇ・・」
白衣さえ着ていない、およそ医者とも思えない小汚い風体の小田先生は、古く汚い表面の皮の剥げた丸椅子に座る僕を、しげしげと珍奇なものでも見るみたいに眺めた後、僕のおでこに聴診器をピタリとあてると、天井をはす向かいに眺め、しばらく黙考した。
「・・・」
そんな小田先生をももちゃんとインテリさんが見つめる。
「まっ、ただの軽いノイローゼだな」
小田先生は、僕の方に向き直るとさらりと言った。
「ほんとですか。統合失調症じゃ。何か訳の分からないことを言うんです」
ももちゃんが診断結果に疑問を投げかける。
「大丈夫、大丈夫、一時的なものだ」
それに対し、小田先生は軽くいなすようにさらっと言う。
「だから、病気じゃないって言っただろ」
なんていい加減な診察だと思いながらも、僕は診断結果には満足だった。ノイローゼというところは気になったが・・。
「・・・」
二人は何も言えず黙っている。
「ま、何か思い悩むことがあるのだろう」
小田先生が口を開いた。
「例えば、女の子のこととかな」
そして、意味ありげな目で僕を見た。
「うっ」
このじいさん、妙にするどい。案外名医なのか?
「女の子?」
ももちゃんがそれに鋭く反応し、首を傾げる。
「さ、帰ろう」
ももちゃんが反応しかけたところで僕は素早く立ち上がり、さっさと古びたドアから外へ出て、一人階段を下りた。
「女の子って、なんですか」
帰りの道すがら、ももちゃんは僕の隣りにピタリとついて訊いてくる。
「なんだろうね。おかしなこと言うよね。あの先生」
僕はすっとぼけた。
「そう言えば小百合とか言ってましたよね」
「う~ん、どうだったかなぁ」
僕はとぼけ続けた。とぼける必要もなかったのだが――。
「そうか、小田先生が言うんだから大丈夫なんだろう」
再び店に戻り、二人がママに報告するとママは言った。ママは妙にあの先生を信頼している様子だ。
「あんな小汚い医者がそんなに信用できるんですか」
僕は、訝し気に言った。
「小田先生は立派な先生だ」
ママは、僕を睨みいつになくむきになって怒った。僕はその勢いにたじろいだ。
「あんな立派な先生はいないよ」
「う~ん」
ママはそう言うが、そんなに大した医者には見えなかったけどと、僕は思い大いに首を傾げた。




