早朝の光
次の日、朝起きて、いの一番に教会へと向かった。
「ちょっと早過ぎたかな」
まだ、五時前だった。普段、朝の苦手な僕だったが、彼女を想うと自然と目が覚めた。
「早過ぎだよな」
夏で日は長いが、それでもまだ少し薄闇が残った感じさえあった。
「さすがに開いてないよな。こんな時間」
空気がまだどこか早朝特有の澄んだ冷たさを持っていた。
「やっぱり」
教会を見ると、そこは完全に静まり返っていた。
「そりゃそうだよな」
朝の静けさで見る真っ白な教会は、昼間の喧騒の中で見るのとは違って、どこか静かな美しさを感じさせた。
「おはようございます」
「ん?」
僕が横を向くと、少女が立っていた。
「ん?」
あの少女だった。
「わっ」
僕は思わず声を出した。
「ふふふっ、どうしたんですか。そんなに驚いて」
あの夢にまで見たかわいい丸顔が笑っている。
「いや、あの・・」
まさかこんなにかんたんに会えると思っていなかった。だから、まったく心の準備ができていなかった。
「お早いですね」
「え、う、うん」
君に会いに来たんだ。とは言えなかった。当たり前だが・・。
「・・・」
僕は少女を見つめた。朝のやわらかい日差しに照らされた少女はまるで妖精のように薄く輝いていた。
「どうしたんですか」
少女が小首を傾げて僕を見る。
「え、い、いや」
ふと手元を見ると少女は長い竹箒を持っていた。庭掃除をしていたらしい。
「早いんだね」
「ええ、朝早くからお祈りに来る方もいらっしゃるので、いつも朝早くから開けているんです」
「そうだったのか」
「中へどうぞ」
少女が手を教会の方に向けて言った。
「えっ」
「お祈りをなされるんでしょ」
「え、あ、ああ、うん」
そんなつもりは全くなかったが、僕は少女に続いて、礼拝堂に入った。
「・・・」
中は静かで、前回来た時よりも更に静謐な感じがした。僕は、小さなイエス像の前に立つと、前回同様祈る真似をした。もちろん神様などどうでもいい。頭にあるのは隣りの少女のことだけだった。僕は薄目を開け、隣りを盗み見た。隣りでは、彼女もひざまづいて目をつぶり祈っていた。
「・・・」
天井近くの高い位置にある窓から、光の帯のように差し込む朝日に照らされる彼女の姿は、美しさを越え、崇高だった。
「・・・」
そんな彼女に僕は見惚れた。
お祈りを終え、薄目を開けた彼女がこちらを見た。
「うっ」
思いっきり目が合った。僕は完全に彼女の姿に見入ってしまっていた。
「どうされたんですか」
「あっ、いや」
自分でも顔が赤くなっているのが分かった。
「ふふふっ、今日はなんだか変ですね」
彼女は、僕の邪悪な下心など全く気付くことなく、無邪気に笑った。
「そうだ」
名前を訊かなきゃ。僕は思い出した。今日こそ名前を・・。
「・・・」
しかし、きっかけというかタイミングがどうもつかめなかった。チラリとみると彼女が僕を不思議そうに見ている。
「・・・」
どうしたものか・・。
「あの・・、お名前、なんていうんですか」
「えっ」
その時、思いがけず彼女の方から僕に名前を訊いてきた。
「お名前・・」
「あ、ああ、僕は誠」
「誠さん・・」
「うん」
僕は頷いた。
「あの・・」
「はい?」
少女は小首を傾げた。その姿はあまりに可憐であった。
「あの・・、君の名前はなんていうの?」
「小百合です」
「小百合ちゃん・・」
なんて可憐な・・、可憐な少女に可憐な名前。もう堪らなかった。
「とても、いい名前だね」
僕がそう言うと小百合ちゃんは恥ずかしそうに、少し頬を赤らめ嬉しそうに小さく微笑んだ。
「小百合ちゃん・・」
僕は小さく呟いた。やっと訊けた名前は、本当に良い名前だと思った。
僕たちは、誰もいない教会の長椅子の一角に座った。
「誠さんは、熱心なんですね。こんなに朝早くからいらっしゃるなんて」
「えっ、ああ、はははっ、まあね」
僕は頭の後ろを掻いた。あなたに熱心なんです。しかし、そんなことは当然言えない。
「ところでこの教会はなんていう名前なの?」
「祝い町教会です」
「祝い町教会。それはそのままなんだね・・」
彼女と二人きりで話をしている。これだよこれ。僕は痺れるように感動していた。僕が求めていたのはこれだ。昨日はなぜか丸一日、元ヤクザの一代記を長々聞くはめになってしまったが、僕が求めていたのは正にこれだ。思えば長い道のりだった。
「君はこの町に住んでいるの?」
「私のうちはここです」
「えっ?」
僕は教会の中を見回した。そして、一周してもう一度小百合ちゃんを見た。
「じゃあ、あのおばさんは・・?」
「母です」
「えっ!」
「この子が・・、あのおばさんの娘・・」
ショックだった。僕はしばらくショックで固まった。
「ほんと」
「はい」
「ほんと?」
僕は信じられなくて二度訊いてしまった。
「ん?なんか文句あんのか」
「わっ」
いつの間にか、あのおばさん牧師が、あの巨大な目をギラギラさせて僕の目の前に立っていた。
「なんか文句あんのか」
低くくぐもった声だった。
「い、いえ、ありません」
僕は慌てて否定したが、おばさんのその巨大な目は、獲物にロックオンした猛禽類のように僕を見つめる。
「・・・」
天国から一転、地獄の時間だった。僕は絶対に目を合わせないように目を伏せ続けた。
「あたしはちょっと用があって出てくるから、後頼んだよ」
すると、突然、そう言っておばさん牧師は、小百合ちゃんの方を見た。
「はい」
小百合ちゃんがそれに素直に答えると、僕の不安をよそに、あっさりとおばさんは、すぐに教会から出ていった。
「ほっ」
僕はホッとした。良かったいなくなって。
「良かった」
「何がですか」
「えっ、ああ、なんでもない」
本当に良かった。あの強烈なおばさんがいなくなって。そして、せっかく巡り巡ってきた二人の時間を再び取り戻せて。
「昨日は勉強会に参加されたんですね」
再び二人きりになると、小百合ちゃんが僕を見た。
「う、うん・・、なんかね」
そのつもりは全くなかったのだが・・。
「誠さんはとても勉強熱心で、優秀な方だってみんな言ってましたよ」
「えっ、はははっ、まあ」
まぐれ当たりと、周囲の勘違いでそう思われているだけなのだが・・。
「他の人たちの方がものすごく熱心だったような気がするけど」
「ええ、みなさん本当に熱心で一生懸命です」
「ああいう勉強会はよくやるの」
「はい、定期的にやっているんです。この教会に来る方は、文字が読めなかったり、書けなかったりする方たちも多いんです」
「えっ」
「だから、基本的な読み書きの訓練も兼ねて、定期的にやっているんです。聖書の勉強会は読み書きを学ぶ場でもあるんです」
「そうだったのか・・」
今のこの時代にそんな人たちがいたのか・・。僕は軽いショックを受けた。
「外国籍の方だったり、在日の方だったり、家が貧しくて学校に行けなかった人だったり、様々な事情のある方たちがここに来られて、みなさん一生懸命勉強なさっているんです。文字の読み書きが出来ないと何かと大変ですから」
「そうだよね」
僕は、昨日の勉強会を少し軽く考えていた。
「そうなのか・・、君のお母さんはすごいんだね。確かアルコール中毒の何かもやっていたし・・」
「ええ」
僕は少しあのおばさん牧師を見直した。
「そういえば、お母さんと全然似てないね」
僕はふと気づいた。全く根本的な造形から似ていない。というか似ても似つかない。
「はい・・」
「どうしたの」
急に沈んだ表情をする小百合ちゃんに僕は焦った。
「ごめん、あの・・」
「いいんです」
小百合ちゃんは、僕に気付かい、無理に明るく言う。
「ほんと、ごめん」
僕は、何か彼女を傷つけてしまったらしい。
「いや、でも、目の辺りが似てるかも・・」
「いえ、そうじゃないんです」
「えっ」
「実は・・」
そう言って、うつむき加減に小百合ちゃんは語り出した。




