5 放課後の小屋のなか 6 丘のうえ
終業のベルと共に、開放された少年たちが次から次へと中庭へ飛び出した。
春の空は良く晴れて、陽はぽかぽかと眩しい。
「ヤマかけてもらっても、もとが悪きゃ同じことだな」
「ほんと、ほんと」
「トップはもちろん、ピウスだろうな」
少年たちは、試験の出来具合に少々反省を加えながらも、次第に思い思いの遊戯に興じて、結果は二の次となった。今日は午後に授業の無い、伸び伸びとした日だ。
ドニは、放課後の例会に備えて意識を整えようと、川のよく見える丘に登った。
雄大な川の向こう側に続く古い街並が、こじんまりとして清楚な落ち着きを見せている。
ドニは気分が落ち着かず、何とはなしに胸騒ぎがしていた。
心を静めるのに時間がかかり、例会の遂行に不安が顔をのぞかせた。
「交霊術はまずいよ、ドニ」
胸騒ぎは不安のせいばかりではなかったらしい。
ピウスが側に居た。
「いつからいた?」
「サロンから、キミのあとを付けてきた」
「いい趣味だな。おかげで精神統一が台無しだ」
ドニは憎まれ口をたたきながら、ピウスの端正な横顔を見た。その表情は硬いが非難するでも挑むでもなく、ただこれから起こるかも知れないことを一心に考えていた。
ドニは少し怖くなった。
「無関心、じゃあなかったの?」
ドニはおずおずと訊いた。
「状況が変わってきた。クレメンスの死で、みんなのなかでキミへの信頼が高まっているようだ。死について何かを敏感に意識し始めている、とでも言うか……」
「そりゃあ良いことだ」
「そうとも言えないさ。悪い方向に、進むことだってあり得るよ、キミの知らぬ間にね」
「……、分かってるよ」
そんな簡単な二者択一は、ドニも先刻承知だったが、はっきりとは認めたくないという意識が常に働いていた。
自分の思考や行動は間違っていないはずだ。
それを伝えなくちゃ。
ドニは、一種独特の使命感に燃えていた。
「もう二時だ。行かなけりゃ」
ドニは腕時計を見て立ち上がった。
「ドニ」
ピウスがドニを呼び止めた。
ドニが後ろを振り返り、ピウスの青い、真摯な瞳とドニの黒い、懸命な瞳が互いに見つめ合った。
「クレメンスは、やめてくれ」
ピウスの懇願とドニの混迷が交錯し、擦れ違った。
そして二人の間に、クレメンスの馨しい思い出が拡がった。
ドニは何も言わず、ピウスをひとり残し、速足で丘を下って行った。
集会場所は森の中にあった。
ずっと昔、誰かが住んでいたのであろうその小屋は、今では手入れもされず、朽ちかけてうつろに佇んでいる。
ドニは驚いた。
今まで例会になど参加したことのない生徒たちが、小屋の外にまであふれ出て、ドニの出現を今か今かと待ち侘びている。
「来たぞ。ドニだ」
たくさんの視線が一斉にドニをつかまえ、多種多様の感情が入り混じった複雑などよめきが起こった。
ルーカとアンリが表ヘ出て、ドニを野次馬たちから守った。
「クレメンスの交霊をやるって噂が広まってるらしい」
アンリがずれた眼鏡を持ち上げ、ルーカを見上げた。
「オレは何も言ってないぞ」
ルーカが、慌てて自己弁護した。
「でも、きのうサロンで言ったろ。あれ聞いてた奴はけっこういたんだ」
「……。この騒ぎじゃ先公たちも知らぬ素振りはしてられないな。今日はあぶないかも」
両側からささやかれるアンリとルーカの会話がドニの耳を素通りしていく。
狭い例会場にも見知らぬ顔がいくつもあった。
部屋の扉が閉じられると、窓は古ぼけたカーテンで目隠しされた。
いつものことながら、ホコリとカビの臭いがした。
数個の蝋燭と小さなランプが、ぼんやりと部屋と少年たちを映し出した。
ドニは、自分自身を静める意味をも含めて、無言でゆっくりと全員を見回した。悲しいことに、そこに集っているのは、貪欲と好奇ばかりだった。
ドニは椅子に腰掛け、ふうっと全身から息を抜いた。
「みんな、集まってくれてありがとう。これから例会を始めます」
進行役のルーカがいつも通り、挨拶の言葉を儀礼的に述べた。
しかしドニは、何も始める気配を示さない。
アンリは横で成り行きを懸念していたが、ルーカはドニの態度にじれていた。
「先日、僕らの良き友、クレメンスが亡くなり残念でなりません。みんなで心からの彼の冥福を祈りましょう」
ルーカが言った。
ルーカは短気だったが、それでも残念な思いと冥福を祈る気持ちに嘘はなかった。しかし今は、悼みよりも、他の生徒たち同様、好奇心のほうが勝っていた。
ドニは、そんなルーカの矛盾した意識を霊妙に受け取っていた。
アンリとマルは、おとなしく、気が弱いので露骨ではなかったが、それでもうっすらとした尋常でない好奇心の波がドニまで伝って来ていた。
この場に姿は無いが、テーオも何処かでドニの様子をうかがっているに違いない。
誰でもそうなんだ。
誰も責められない。
明らかに死んでしまったその人間に、どんな姿形にせよ会えるとしたら、見ることができるとしたら、しかもそれがみんなの友人だとしたら?
どんなことが起こるのかと、心を弾ませない者はいないだろうな。
「本日は、クレメンスの交霊を行いたいと思いますが、みんなの意見は?」
「賛成」
「待ってました」
「やれやれえーい」
ルーカがみんなの望みの核心を衝くと、全員が賛同し、戸外で耳をそばだてていた者たちは、拍手や口笛で囃し立てた。
その瞬間、みんながドニの敵になった。
「それでは、ドニ・ベーテン君、通常通り、講義からお願いします」
ルーカは、ドニのパワーを他の生徒たちに誇示できるのを自慢に思っていた。
「今日は、」
ドニは考えあぐねていたが、ようやく決心して口を開いた。
「今日は、講義はしません」
「なに言ってんだよ、ドニ」
全く予想外のドニの態度に、ルーカは驚き呆れ、参加した少年たちが不平を叫ぶ声のなかで、ドニを責めた。
「黙って」
ドニが大声でみんなを静めた。
「今、キミたちの心は乱れてる。僕の心も乱れてる。邪悪な好奇心と欲望の集団だ。偏見と過剰な期待ばかりで、清い意識がどこにも無い。それでは明確な判断をすることはできない。善を悪と思うかもしれないし、悪を善と取るかもしれない。そして一旦、ますます貪欲に捕われたなら、それは果てしなく続く、苦しい旅路だ」
「ごまかすな」
「そうだ、そうだ」
「早く、パワー、見せろよ」
ドニの話をまともに聞こうとする者はおらず、自分が騙されたのではないことを実際に見て確かめようと、みな躍起になっている。
「ドニ、これじゃあ収拾がつかないよ」
ルーカが困り果てて言った。
「僕にはこれ以上どうにも出来ないさ。あとはキミたち自身の問題だ」
「せめて、交霊だけでもやって見せてくれよ」
「できない。無理だ」
「おーい、みんな、ちょっと静かにして」
何を思い立ったのか、ルーカは突然手を叩きながら一同の注意を自分へ向けた。
「これから、交霊を行なう。今日招く魂は、クレメンス・パトレだ」
再び室内は、期待の拍手で沸き返った。
勝ち誇った様なルーカの傲慢な顔付きは、もうどうにも救いがたかった。ドニのパワーによって自分の承認も得られると錯覚しているのだ。そのことにルーカ自身が気付いていない分だけなおさら始末に負えない。
ドニは少しばかり投げ遺りな気分になってきた。
そしてこの場から早く逃げ去りたいと思い、それにはみんなが満足するようにパワーでも何でも披露して当座をしのげばいいか、そうすれば楽になる、という考えに一気に誘導された。
「クレメンスの招霊を行なう」
ドニの突然の宣言に、会場のざわめきは一瞬にして静まり返った。
ドニは大急ぎで交霊体制に入った。呼吸にだけ集中した。深い内面と宇宙の摂理と秩序、エネルギーを全身で感じ取った。
本気を出しさえすれば、乱れた魂を静めるのは容易いことだった。
ドニが力み過ぎたのか、別の力が作用して、暖炉の上にあった燭台が床へ落ちた。
五分経った。が、何も起こらない。
十分経過しても何も起こらない。
「おい、やっぱりウソだったんだ」
諦めと侮蔑の声が、誰からともなく飛んで来た。
ドニはおかしいと思った。絶対的な自信はあったのだ。それなのになぜ、クレメンスは降りて来てくれないのだろう。
「だめだ」
ドニは参加者たちが文句を言い出す前に、自ら防御壁を立てた。
「死んだばかりの魂は呼べないんだ。まださまよってるから……」
だがドニは、自分の眼で見て知っていた。汚れのないクレメンスの魂は、肉体から離脱するやいなや天使たちがやって来て、あっという間に天界へ連れて行かれたのだった。
さまよってなんかいない。
自分が死んだって分かってるはずだ。
地獄に堕ちるなどもってのほかだ。
ドニの言葉に場の緊張が解けた。
期待が外れてがっかりしている生徒もいれば、おかしなことが起こらなくてよかったと安心している者もいた。
ドニのパワーの真偽は別として、これ以上の期待は面倒臭いと見切りをつけた少年たちは、次々と例会小屋を立ち去って行った。
後には、通常の例会メンバーのうち十人程度が残った。
「この集まりは、今日が最後だ」
脈絡なく、ドニが言った。
「どうして」
「そんなあ」
「何で急に」
ドニの信奉者たちは、ひどく驚いて、そして裏切られた気持ちがしていた。
「運が悪かっただけだよ」
ルーカは先程とは違って、ドニを労り、同情した。
「いや、そうじゃない。僕が間違ってた。何も知っちゃあいなかった。とにかく、半熟な僕の例会はこれまで。出直しだな」
ドニは立ち上がり、窓辺に行くとカーテンを思い切り開けた。外から明るい光が入り込み、部屋に目覚めと活気を与えた。
異質世界に迷い込めるかもしれない現実逃避のひとときを奪われてしまった少年たちは、しゅんと静まり返っていた……。
【丘のうえ】
夕陽が川の向こうに沈もうとしている。
美しい夕暮れだ、とドニは思った。
耳を澄ますと、川向こうの街の雑踏の様子が丘の上まで聞こえてくる様だ。
ドニは仰向けになって、暗くなリはじめた空を見上げていた。
「どうした?」
その空が、ピウスの顔に変わった。
「例会は解散した」
「そう、か」
ピウスはドニの隣に腰を降ろした。ドニは、ピウスがこの丘に来てくれるのを予感し、そして強く望んでいたのだった。
「クレメンスは、来なかったよ」
「そうか」
「わざと来なかった。僕の声を聞いたのに、来なかったんだ」
夕暮れのひんやりとする風が、火照った頬に心地良い。
鳥たちがねぐらへと帰って行く。
ピウスは黙ってドニの話を聞いていた。
「ピウス、君と僕は、クレメンスを天使たちと一緒に、天上の入口まで見送ったんだ。だからキミには分かるよね。クレメンスがどこにいるのか」
ピウスは頷き、そしてドニを真似て仰向けに寝転がった。
ドニは嬉しかった。ピウスは自分の一番近しい仲間だったのだ。
「僕は、力を誇示するべきじゃなかった。もっと謙虚にならないと。本当のパワーはそういう静寂の中にある、と思うんだ。クレメンスが身を以って教えてくれたよ」
「そうだね。人と対する時は強く出ちゃだめだ。無理に理解させようとしたり、遺り込めようとしてはいけない。力は一種の手段でそれが全てではない。全ては、宇宙の摂理を理解することだ、だろう、ドニ?」
ピウスはドニに向かってウインクした。
二人は、丘の上で本当に幸せだった。
弱点だらけのふたりだったが、互いに補い合っていけるような気がしていた。
「ピウス、君の明晰な頭脳が僕のパワーに加わってくれたら、もう、本当に、素晴らしいな」
「おほめの言葉、ありがとう」
「どういたしまして」
ドニとピウスの笑いが、いかにも楽し気に夕暮れの空に響いた。
クレメンスも、いつの間にか二人と並んで寝転び、嬉しそうに笑っていた。
ドニは、ピウスとずっと以前、四百年前か五百年前、或は、三千年か四千年前にも、こうして一緒に笑いながら雄大な空を眺めていたことがあったのを、今、はっきりと思い出していた。
その夜、朽ちかけた例会小屋が炎に包まれて跡形もなく消えた。
誰かが降霊術の真似事をしようとして蝋燭の火がカーテンに燃え移ったのだ、というまことしやかな噂が立った。
が、犯人は見つからなかった。
死傷者が出なかったのは幸いだった。
これで本当に終わった。
ドニはクレメンスからのお仕舞いの合図だと理解した。
おしまいの・・・。
寄宿舎の部屋の扉横の飾り戸棚に無造作に置いてある花瓶に花を生けて、そしてクレメンスのベッド脇のサイドテーブルに置いた。
シュノッツェンブルクの遅い春とともに。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
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次回作は、
11月25~27日ごろを予定しております。
少しお待ちください。
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