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僕のあした(9枚)

作者: 黒田なぎさ

お題「3000字以内 最低5回はループさせる」

連日、残業に追われて上司からの叱責に耐える「僕」のあした。



 僕はデスクの上で眠い目をこすった。窓から射し込む朝日がまぶしい。

 会社で夜を明かすなんて珍しくなくなってきた。デスクの上のPCには作りかけの報告書が映されている。報告書の締切りは、部長が出社してくる二時間後なのだけど、ほぼ真っ白に近かった。僕は暴れる心臓を何とか落ち着かせて、頭を絞ってキーをタイプした。連日の残業で僕の体力は限界に来ていた。

 2時間後、デスクでふんぞり返っている部長に報告書を提出すると、彼はため息をついた。僕は心臓が縮み上がった。

「おまえはホンマに、どうしようもないやつやな」

 ああ、と僕は落胆する。また期待に添えない報告をしてしまったようだ。

「なんでこんだけしか進んでないねん。おまえは1週間何をしとったんや」

「ええっと、そうですね、なんででしょうか……」

「ハッキリせんやつやなアホか。頭おかしいんとちゃうか?」

 言葉が胸に刺さる。何回くらってもこれには慣れない。

「もうええわ。おまえと話しとったらこっちがおかしくなる」

 はい、はい、と僕は頭を下げて、そそくさとデスクに戻った。そうは言っても、来週に報告をしなかったらしなかったで、また怒られる。

 僕は目を閉じて、聞こえないようにため息をついた。



 僕はデスクの上で目をこすり、朝日で白光りしているPCを眺めた。

 昨日、同僚の川上さんから助言をもらって、僕はいつもよりはマシな報告書を作っていた。彼女は僕と同時期に入社したのに、部長とのやりとりは完璧だった。

 僕はちょっぴり期待を込めながら、報告書を提出した。

「なんでこんな報告になるねん。おまえ人の話きいとんか?」

 部長はシミだらけの顔にたくさんしわを作り、僕の報告書をばしばしと叩いた。

 僕の心は沈んだ。少しは良い方向に行くと思っていた。僕なりの努力をしてみたつもりだったのだ。

 しょんぼりしてデスクに戻ると、向かいのデスクにいる川上さんがやってきた。

「この資料であんなに怒られるんだから、あなた天才よ」

 川上さんは呆れていた。

「あなたは仕事のことちゃんと考えてるのに、自分の意見を部長に伝えようとしてないでしょ。どうして?」

「ええと、そうですね。あんまり議論というか、摩擦は起こしたくないかな、と……」

「それじゃいくら頑張っても疲れるだけだわ。毎週、部長の怒鳴り声を聞かされるこっちも嫌になるの」

 僕は心底悲しくなった。自分がツライことは、我慢すればなんとかなる。だけど他人に迷惑をかけるのは耐えられない。僕のやるべきことは、ひとつしかなかった。



 僕はデスクの上で目をこすり、遺書を何回も読み直して丁寧に畳んだ。仕事の引継ぎ資料が映ったディスプレイがこうこうと輝く。

 誰もいないフロアを見回してから、給湯室に入る。僕はこの世からドロップアウトすることに決めた。僕の心と体はどうも限界らしい。辞表を提出する気力すら残っていなかった。どうせ退職して実家に戻っても、身内からイヤミを言われるだけだ。僕には逃げ場も、生きる場所もなかった。

 給湯室の引き出しから包丁を出して、自分の左手首に照準を合わせる。すみません、会社の人たち。アパートで死んだら、それはそれで誰かに迷惑をかけそうだから……。

 僕は思い切り包丁を振り下ろした。刃が深く手首に刺さり、割れた水道管のように血が噴き出た。僕は壁にもたれてその場にへたりこみ、目を閉じた。



 僕はデスクの上で目をこすり、ふと気がついて自分の手をまじまじと見た。朝日に照らされた僕の両手はきちんとつながったままで、ちゃんと血管に血が通っていた。神様はどうも僕を逃がしてくれないらしい。

 今日の報告書を提出しようかと考えているころ、僕は向かいの川上さんのデスクが、空になっていることに気がついた。なぜ今まで気がつかなかったんだろう? 出社時間はとっくに過ぎている。部長に尋ねると、彼はぼんやりと答えた。

「川上か、昨日、辞めたらしいわ」

 えっ。僕は驚きを隠せなかった。

「この前までバリバリやる気がある思とったのにな。辞めた理由はなんか言うとったけど、ようわからん。ようわからんな」

 僕は部長を見ながら、退職の原因は明らかに部長にあるんじゃないかと思った。だけど言えるはずもない。たぶん、もし僕が死んでたとしても、こんな感じだったんだろうなと思う。

 もしかして、と僕は思った。僕たちが何をやっても、この環境は変わらないんじゃないか。部長自身がこの会社から退場してもらわないと、このループから抜けられないんじゃないか。この人さえ消えてくれたら、この人さえいなくなれば……。



 僕はデスクの上で目をこすり、目の前の光景にはっとした。川上さんのデスクの上には、ちゃんと資料や私物が置かれていた。僕はどこか安堵しながら、報告書の続きを書いていた。

 ところが、ほとんどの社員が出社してきても、部長の姿が見えなかった。部長が出社してきたら、社内の空気が一瞬で変わるので、すぐにわかる。僕は川上さんに小声で尋ねた。

「部長、もう来ないと思う」

 川上さんは意味深なことを言った。

「部長、亡くなったらしいの」

 は? と僕は首を前に突き出した。亡くなった、という言葉にとても違和感を覚えた。

「昨日、家に帰る途中に、電車にね……けっこう部長もノルマきつかったらしいし、自殺なんじゃないかって噂よ」

 僕は言葉の意味を理解するのにとても時間がかかった。もう怒られないわね、と川上さんに言われて、僕は何も言えなかった。悲しいのかどうかわからなかった。ただひとつ言えることは、僕がもう部長に叱られることはなくなった、ということだ。

 もう毎週、キリキリ胃を痛めることはない。休日も連絡のメールに脅える必要はない。落ちまくった体重も食欲も、元通りになるかもしれない。

 僕はデスクに戻った。部長は死んだ。僕はそれをただ待っていただけだった。僕自身ではどうすることもできなかった。本当だろうか。僕に出来ることはなかったのだろうか。

 僕はもういちど部長に会ったら、どうするだろうか。



 僕はデスクの前で目をこすり、キーボードを叩いていた。デスクの上には紙の資料が散らかり、付せんやマーカーで色鮮やかになっていた。僕はここ最近で、一番アタマを使っていた。

「部長、これ見てもらえますか」

 部長は僕の報告書を受け取り、ペラペラと指でめくった。不審な目をこちらに向ける。

「色々調べとるみたいやけど、おまえ、前言うとったことと違うやないか」

「はい、もう一度考え直してみると、文献に載ってる手法の方が良いかと思いまして……実験のケースが非常に似ていて、利用できると思うんですが、」

「それはええけど、おまえ出来るんか? どうも信用できんなあ」部長は眉間を指で揉んだ。

「ええと、一応ツールも使ってみて、感触は確かめました。仮のデータも、取れています」

「ほんまか」

「はい」

 部長は、ほうか、と一言いって、僕の報告書をデスクの上にぽんと置いた。僕は何をしていいかわからずにぼーっとしていたが、慌てて一礼をして、自分のデスクに戻った。何事もなく報告が終わった。こんなことは長い間なかったことだ。喉から心臓が飛び出そうだった。

 僕が顔を上げると、向かいのデスクから川上さんがこちらを見て、一瞬だけピースサインを出した。僕はあいまいに微笑んで、震える手でピースサインを出した。


 その日、僕は無限ループを抜け出した。


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