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コノハナサクヤ姫に頼まれて、ぼくはイワナガ姫の宇宙船を訪ねることになった。これでぼくは二柱目の神に出会うことになる。粗相をしてはならないし失礼のないようにしなければならない。ぼくは高校の制服以外に上等の服を持たないのでそれを着ていくしかないようだ。コノハナサクヤ姫も、「いいわよ、それで」といかにもてきとうな言い方だが認めてくれたので、これでいいのだと思う。コノハナサクヤ姫と会うときはいつでも制服だったし、確かに問題はないようだ。ぼくの制服は紺色のブレザーで、青いチェックのネクタイが首からぶら下がっているという代物だ。ネクタイさえちゃんと締められれば、大丈夫だろう。
イワナガ姫は、とても気難しい人のようだ。事前に調べた情報によると、ニニギノミコトという男の神がコノハナサクヤ姫を見初め、彼女の父に結婚を申し込んだところ姉のイワナガ姫までも送りつけられてきたので、醜女のイワナガ姫はいらないと送り返したとのことだ。だからか、コノハナサクヤ姫は「わたしたちは姉妹仲がよくない」と言っていた。コノハナサクヤ姫は美人でおっとりしていて愛されるタイプなのだが、人の感情の変化を気にとめないところがあるので、傷ついたイワナガ姫を更に傷つけてしまい、悪感情を抱かせてしまったのかもしれないな、と思う。
ぼくは保健室でネクタイを整えながら、コノハナサクヤ姫に話しかけた。
「今までのこと、許してもらえますかね」
白衣を着た姫は保健室の大きな机の向こうで回転椅子をくるくる左右に回しながら、
「どうかしらねえ」
とつぶやいた。姫の顔は白く、パーツは小ぶりだが完璧に整っていて、古代の美人らしい雰囲気もあるが、現代人から見てもかなり美しいと言える。保健室の花村先生として男子生徒に大人気だが、その正体を知っているのはぼくだけだ。
「怒られるのは、ぼくだけなんですか?」
おそるおそる訊くと、姫は、
「大丈夫よ、雪村君。姉が怒るのはわたしだけだから」
とあでやかに微笑んだ。ぼくはようやく安心した。
*
ぼくは一振りの刀を持っている。コノハナサクヤ姫が持たせてくれたものだ。名前は「百花繚乱」。白い柄で、鍔には桜の花がかたどられている。刀身が長く、最初は扱いに困ったが、今では藁の人形なら簡単に切れるのではないだろうか。柄を握ると時がとまり、持ち主は異形の者が見えるというありがたくない力が宿っている。
異形の者。それは宇宙人であり、人間に害を為す者だ。ぼくは姫に選ばれ、街や学校や往来でたくさんの彼らを斬り殺してきた。殺さないと、とまった時は動き出さないのである。
姫は人間を守るためにこの刀をぼくに持たせた。ぼくは人間のためだと思って、たくさんの異形の者を殺してきた。異形の者は普段人間の姿をしている。幸いぼくがよく知る人が異形の者だったことはないが、元々人間の姿をしていたのが異形の者だとわかったらいい気はしないし、殺したら気分が悪くなる。それに異形の者は見たところ何も悪さはしていないし、常々疑問に思っていたのだ。果たしてぼくがやっているのは正しいことなのだろうか? と。
そんなある日、姫は言った。「勘違いしていたわ」と。姫が言うには、あれは異形の者ではあるが、人間に害を為す者ではないというのだ。ぼくは衝撃を受けた。あれほど躊躇しながら殺してきた者たちが、無害だったなんて。姫によると、あれらの者は長らく地球外に出ていた地球人で、宇宙人めいてはいるがそうではないのだという。地球に住み始めて日が浅いので異形であるらしい。とんでもないことをしてしまった。
というわけで、ぼくはコノハナサクヤ姫と共にイワナガ姫に謝りに行くのである。イワナガ姫こそが、何人もの地球人を連れて宇宙に旅立った張本人だからだ。
ぼくはイワナガ姫を恐れている。
*
校庭のグラウンドの上空には、巨大な銀色の球体が浮かび、ぼくたちを待ち構えていた。学校は正午なので昼休みに入ったばかりの校舎は喧噪に包まれていてもおかしくないのだが、どの生徒も教師も凍りついている。これは球体を見て驚いているのではなく、球体が現実世界に現れたからだ。球体、つまりイワナガ姫の宇宙船には「百花繚乱」と同じ力があるらしい。今、周囲の時間は完全にとまっている。
コノハナサクヤ姫は白衣を脱ぎ、ベージュのパンツスーツ姿になっていた。いつもと同じだが、細身の彼女にそれはよく似合う。ぼくは緊張しつつ「百花繚乱」を握っていた。くれぐれも手を離すなとコノハナサクヤ姫に言いつけられているからだ。離すと、大変なことになるらしい。どんなことが起こるのかはわからなかった。
二人でグラウンドに出て歩き出すと、宇宙船は突如として底が抜け、そこからはするすると階段のようなものが降りてきた。コノハナサクヤ姫は体を強ばらせるぼくの腕を叩き、歩き出す。ぼくもそれに従う。グラウンドの土がじゃりじゃり鳴る。ぼくは姫と共に階段に足をかけた。階段は一段しかなかった。ぼくらはその一段に乗り、エスカレーター式の階段を滑るように上に昇った。隣に立った姫からは、香水とはまた違った淡い花の香りがする。空は水色で、ビル群に区切られてはいるが広がりを感じさせる。小さなちぎれ雲を見て、もしかしてぼくはもうこれらの景色を眺めることはできないのかもしれないという気がした。ぼくは神に会うのだ。その神はコノハナサクヤ姫のような穏やかな神ではないかもしれないのだ。
しかし、それらの思考は宇宙船の穴が間近に迫った瞬間に消え去った。次にまばたきをすると、ぼくらは真っ暗な場所に立っていた。隣に姫の気配を感じるが、見えない。干し草のような香りがするばかりだ。
「姫?」
「隣にいるわよ」
姫はさすがに動揺している様子だ。声がわずかに震えている。
「ここは宇宙船の中ですか?」
「そうよ。『百花繚乱』は無事? しっかり握っている?」
ぼくは先ほどから両手に持っている刀をもう一度握り直した。
「大丈夫です」
「ならいいわ」
次の瞬間、ぱっと目の前が明るくなった。まぶしすぎて、何も見えない。白い光がぼくを包み、それに慣れようと目を凝らしていると、やっと何かが見えてきた。畳の部屋だ。ぼくと姫は、十二畳ほどの和室に立っていた。靴を履いたままなのだがいいのだろうか。周りは見事な意匠の凝らされたふすまと障子で仕切られていて、どれもこれも高そうだ。日本式の建物の内部のようだが、確かにここは宇宙船の中だ。おかしな組み合わせがあるものだ。宇宙船の内部と言ったら未来的すぎるほど新しいもので溢れているイメージだが。
姫は落ち着いていた。ウェーブのかかった長い黒髪は学校勤務者らしく右の下のほうで一つにまとめてあるが、少しも乱れておらず、むしろ彼女は腕を組んでぼくを観察していた。ぼくはそれに気づくと彼女の目線の先にある刀を見たが、どうもなっておらず、刀は相変わらずぼくの両手の中に収まっていた。
「ここはイワナガ姫の宇宙船ですか?」
「ええ、そうみたい」
「不思議ですね。どこかにある、華族の別邸みたい」
「そうね。姉上の趣味だわ」
コノハナサクヤ姫は興味がなさそうにふすまの絵を眺めた。そこには梅の花がほころんでから葉が枯れて散るまでの四季の様子が右から左へと描かれていた。コノハナサクヤ姫は昔のものにあまり執着がないらしく、格好はいつも現代的だ。彼女の家がどんなところにあるかは知らないが、何となく、フローリングの床に簡素なソファーがある現代的な部屋ではないかという気がする。イワナガ姫とは趣味が合わなさそうだ。
「姫様、雪村様」
背後の障子の外で、誰かの声がした。びくっとして振り向くと、白い障子の向こうに、誰かが座っているのがわかった。
「イワナガ姫様のお部屋にご案内いたします」
障子が開いた。あっと声が出た。花崗岩でできたかのような白に黒い斑点がついた肌を持つ石人間が、黒い髪を日本髪に結い、藤色の着物を着て頭を下げているのである。顔を上げてこちらに顔が見えるようになると、その目は白目がなく真っ黒だった。これはまさしく異形の者の風貌だ。ぼくは思わず刀を鳴らしてしまった。女が身じろぎをして怯えた目を見せる。コノハナサクヤ姫がぼくの手を押さえた。
「駄目よ。もう敵ではないの」
ぼくははっとして刀をしまった。危ないところだった。謝りに来たのに異形の者を手打ちにしたりしたら、コノハナサクヤ姫とイワナガ姫は永遠に仲直りなどできない。それに無害な人間を斬るなんて恐ろしいことは、もう二度としたくない。
「今から行くわ」
姫が言うと、女はほっとしたように再び頭を下げた。そしてぼくたちが廊下に出ると障子を閉め、前に立って歩きだした。