第6話 ネズミの本気
注意:バトル描写が少ないです。
落ち着け。相手はそこまで速くない。
そう何度も自分に言い聞かせ、俺は冷静にカルマウィザードの動きを見定める。
『オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!』
「うるせーなー」
『速くやっつけなさいよ!』
「だからうるせぇって!」
アンを黙らせ、集中する。
俺がこの一週間で最も鍛えられたのは観察力だ。
相手の攻撃パターンを見極め、先を予測し、回避する。そして隙を見つけ次第、反撃!
「おらあああああああああああああああああ!」
カルマウィザードが爪を大振りし、背を見せた一瞬。
俺は叫びながら飛び掛り、魔剣を袈裟に振り下ろした。
『――オオオオアアアアアアアアアアアア!?』
相手が血を流すことは無かったが、それでも斬ったという手ごたえはあった。
俺はすぐに後退し、カルマウィザードから距離を空ける。
一撃離脱。これが今の俺の戦闘スタイルだ。まるっきりグールゴブリンと同じ戦法なのが気に食わないけど、これはまあ仕方ない。命は大事だからな。
「さて……そのフードに隠れた面、拝ませてもらおうか?」
『そうよ! その意気よ! ぶち殺せぇ! ぶち殺せぇ!』
ちゃんと攻撃が通じてる。その事実が少なからず俺に自信を与えてくれた。
気が付けばアンから物騒なエールを送られていたが、鬱陶しいので無視しておく。
……流石にぶち殺せは無いだろ。まあ、呪われた装備らしい応援だけどさ。
俺は魔剣に埋め込まれた赤い石を一瞥し、そんなことを考えた。
『……ん? 今失礼なこと考えてなかった?』
「いや別に?」
女の勘は鋭い。ていうか剣に性別ってあんのかな?
俺は適当に肩を竦めつつ、視線をカルマウィザードへと戻す。
そして……即席の自信に皹が入った。
『――ヴォ』
背中のダメージは致命傷に至らずとも、無視できない程度には深かった筈だ。
だというのに、目の前の黒ローブは痛がる様子さえ見せずこちらに向けて前傾姿勢を取っている。……間違いなく突っ込んでくるつもりだ。
俺はそう判断していつでも左右に逃げる準備をしておく。腰を落とし、足に力を込めた。
だが、それは無駄に終わる。
「――ッ!」
『――ヴォオオオオオオオオオオ!』
――速すぎる!?
カルマウィザードの敏捷力は遥かに俺の予想を上回っていた。
たった一瞬の間に己の懐まで近寄られる。黒い剣爪が迷わず俺の心臓へと直進していた。
俺は瞠目し、冷や汗を流しながら、全力で上半身を捻る。そして魔剣で相手の軌道をずらし、致命傷をなんとか避けた。
「ああああああああああああああ!」
直後、血飛沫。
俺の左肩と左腕にかけて、カルマウィザードの爪が四本、見事に突き刺さっていた。
傷口から止め処なく血が流れ出し、足下の地面に吸い込まれる。胸の鼓動が速くなった。
俺は慣れない痛みに悲鳴を上げ、震えた腕で魔剣を振るう。
しかし無計画に振られた剣はいとも容易く弾き飛ばされ、くるくると回転しながら宙を舞った。
俺の手から魔剣が消える。
『――オオオオッ!!』
自分の勝利を確信したのか、カルマウィザードが咆哮した。
空いた方の爪をチキチキと鳴らしながら頭上まで掲げ、俺に目掛けて振り下ろす。
俺はただそれを呆然と見つめて、二度目の死を覚悟する。
その時――ふと昔の記憶が紐解かれた。
――君はさ……君が思っている以上にずっと強いんだよ。だから、自信を持っても良いんじゃないかな?
「――ッ!」
思い出した。彼女の優しいあの声を。
俺が初めて愛しく思えた、あの子と過ごした思い出を。
まだ名前は思い出せないけど、それでも思い出した。思い出せた。
栗色の髪、大きな瞳、桜色の唇。一番思い出したかった、君の顔。
再びの走馬灯。時間が緩慢に流れていく。迫り来る絶望が酷くスローモーションに見えた。きっとこれは死ぬ直前に見る、最後の景色。
だけど俺は、それを認めるわけにはいかなかった。
そうだ。俺はまだ死ねない。死ぬわけにはいかない。
あの子の名前を思い出すまでは――絶対に死なない!
「ああああああああああああああああああああああああああああああああ!」
『――ヴォッ!?』
世界が加速する。
俺は全身から魔力の波動を解き放ち、頭上からの斬撃を押し返した。
カルマウィザードの体が止まった瞬間を見逃さず、バックステップしてその場を離脱。
風穴が空いた左腕を押さえつつ、荒く息を吐き出した。
「はぁ……はぁ……。クソが、吹き飛びもしねーのか」
俺が『魔霊の森』で一度だけ使ったことがある無属性魔法【バーストフォース】。
その効果は至極単純で、俺の周囲に魔力を放ち、範囲内の敵を吹き飛ばすというもの。
言うなれば土壇場の悪足掻きだ。殺傷能力は無いし、吹き飛ばせる相手も限られている。だけどその悪足掻きのおかげで、俺は二回も命拾いした。
アンは「地味な魔法が多い」と言って無属性魔法を嫌っていたが、俺は自分の適正魔力が無属性で良かったと心底思っている。
「――来いッ!」
地味で結構。俺にぴったりじゃないか。
俺は右手を前に差し出して、瞬間移動してきた魔剣を掴む。
『次に私を手放したら許さないから』
「悪いな。善処はするが、あまり期待しないでくれ」
本気で怒っている魔剣に謝罪し、俺は正面の敵と向き合う。
ちょうどカルマウィザードは次の攻撃に移る途中だった。俺は咄嗟に真横に跳んで、相手の斬撃を回避する。そして反撃。
全力で魔剣を振り下ろし、カルマウィザードの腕に渾身の一撃をぶつけた。
が、思いのほか硬く、腕を斬り落とすまでには至らない。もしかすると背中の傷も同様で、最初から大したダメージを与えられていなかったのか。
『オオオオオオオオオオ!』
「……ハッ! だけど、それがどうした?」
自分が圧倒的不利な立場だと確信した時、急に周りがはっきりと見えるようになった。
カルマウィザードが独楽のように恐ろしい速度で回転し、鋭い爪が俺の胴体を寸分違わず狙ってくる。
俺は刀身でその攻撃を受け止め、相手の力に逆らわず、吹き飛ばされることで互いの距離を大きく空けた。
自分でも驚くほどの反応速度。いや、迅速な判断だったというべきか。
ああ、そうか。俺は追い詰められるほど、上手く立ち回れるんだったな。
思えば森の中で死に掛けた時もそうだった。あの時の俺は不思議と頭が冴えていた。本当なら恐怖で動けなくなってもおかしくなかったのに。
俺は逆境での立ち回りに慣れすぎている。恐らく、記憶を失う前の俺が培った技術なんだろう。それを体が、心が、覚えているのだ。
「……ハハッ!」
記憶を失った時は、自分自身が無くなったような喪失感に襲われていた。それこそ全てが無関心になるくらいに。だけど、それは間違いだ。
――俺はこうしてここにいる。俺が俺であるという証明が、俺の中に確かにある!
『……シュウ? 笑ってるの?』
アンは心配するように尋ねてくる。……まあ、その反応も当然か。
なにせ今の俺は怪我をしていて、敵に攻撃が通じず、打開策さえ持ち得ていないのだから。
俺には強力な魔法なんて使えないし、必殺技のような派手な攻撃も出来ない。
俺にできるのは精々、悪足掻きをすることだけだ。
だけど、それこそが俺の本当の戦い方なのかもしれない。
だから……覚悟しろよ。
「――俺の足掻きっぷりは半端じゃねーぜ?」
逃げるという選択肢だけは有り得ない。逆境こそが俺の最大の武器だから。
窮鼠猫を噛む。確か、そんな諺があったなと思い出す。
そうだ。俺は鼠でいい。
追い詰められた俺の本気を、今ここで見せてやるよ!
――第二ラウンド、開始。
キーワードの主人公最強ってのが嘘みたいな展開に……。