第3話 異世界で生きる意味
最初に感じたのは、全身を襲う疲労感と、泥に呑まれたような倦怠感だった。
硬い地面の上で横になっているせいか、絶妙に背中が痛い。
「……えっと……あれ?」
『あ、起きた? もう朝だよ』
……なるほど。どうやら俺はいつの間にか眠っていたらしい。
この世界で初めて見る朝日に照らされながら、俺はゆっくりと体を起こした。
傍には抜き身の黒剣が突き立ててあり、その刀身に埋め込まれた緋色の石が点滅するたび、可愛らしい少女の声が聞こえてくる。
――魔剣アンサラー。
装備した相手から絶対に離れない、呪われた装備。
これがここにあるということは、やっぱり昨日の出来事は夢じゃなかったってことか。
「……おはよう」
『おはよう、シュウ。良く眠れた?』
「あー、うん。一応、体力だけは回復したみたいだ」
喋る魔剣と交わす、家族のような会話。
記憶が無くたって分かる。こんな摩訶不思議な体験は明らかに異常だ。
元の世界では有り得ない現実。自分の中に残されていた「常識」という概念。
改めてここが異世界なのだと気付かされ、俺は静かに苦笑した。
「……ん?」
今初めて気付いた事だが、どうやら俺の肉体はかなり強靭な造りになっているらしい。
『どうしたの?』
「……これを見てくれ」
俺は土で汚れたガクランを脱いで、昨日の怪我をアンに見せた。
傷跡こそ残っているものの、肩の抉れた肉は再生し、足の腫れはすっかり引いている。勿論、痛みは全く感じない。
俺の体はたった一夜にして、ほぼ完治と断言できるまでに回復していたのだ。
そんな俺の姿を見て、アンが純粋な驚きを示す。
『これ……本当に昨日怪我したばかりなの!? 凄い。……もしかすると、シュウは肉体そのものに勇者の力が宿っているのかもしれないわね』
「え? 潜在魔力の高さが勇者のチートなんじゃねーの?」
『まさか。それはただの標準装備よ……って。そういえば、まだお互いに情報交換を済ませて無かったわね。ちょっとシュウの事情を聞かせてもらえるかしら? 私も知っている限りこの世界の知識を教えてあげるから』
「……それもそうだな。ていうか標準装備ってなんだ」
多少無視できない単語が混ざっていたが、アンの提案には俺も賛成だ。
この世界について、俺は知らないことが多すぎる。聖女がクソ女だってことは身を持って思い知らされたけどな。
とにかく、俺には聞きたいことが山ほどあった。記憶が無い俺にとって、知識は宝だ。
「……だけど、その前にこの状況をなんとかしたいな」
『この状況?』
「ああ、腹が減った」
思えば昨夜から何も食べていない。
お腹を擦ると、それに合わせて切ない音が鳴り出した。
そしてその音を聞いていると、ますます空腹感がやって来る。なんという悪循環。
俺は思わず溜息を吐いた。
「あーあ。どうすっかなー。食料調達しようにも、またあの森の中に入らないといけないし」
俺達が今いる場所はある種の安全地帯だ。
昨日、ギリギリまで起きて確かめてみたが、この祠が建っている場所には何故かモンスターが現れなかった。アンが一度も起こさなかった事から、その状態は俺が寝ている間も続いていたに違いない。
きっとこの辺りにはモンスターが近づけないような結界が張ってあるんだろう。
だからこそ、ここから離れるという考えにどうしても躊躇いを覚えてしまうのだ。
『あら、いいじゃない。モンスターを狩りに行けるんだし』
「いや、駄目だろ。考えてみろ。俺は昨夜、あいつらに殺されかけたんだぞ」
『それはシュウの傍に私がいなかったからよ! 私の力があれば、この辺りのモンスターくらい楽勝で捌いてやるんだから!』
「それは俺にモンスターを食えと言ってるのか……?」
武器としては非常に頼もしい言葉だが、だからと言って安心できるほど俺の心臓は強くない。むしろ、その自信に不安を覚えたくらいだ。
『大丈夫だって! 私を信じなさいよ! 戦い方だって教えてあげるし!』
「いや、本当に大丈夫なのか?」
『大丈夫だって言ってるでしょ!? ……なによ。なによその疑惑の目はぁあ!』
「……はぁ。分かったよ。分かったから落ち着け」
俺だって、いつまでもあの化け物達に怯えているつもりはない。
戦い方を教えてもらえるなら、少し危ない橋を渡ってみるのもいいだろう。
なにせ俺は、追い詰められた方が上手く立ち回れるみたいだからな。
そういうわけで、気が変わらないうちに行動するとしますか。
俺は不機嫌に叫ぶアンを掴み、勢い良く引き抜いた。
『――んぅ!』
「……なあ、何で引き抜くたびにエロい声出すんだ?」
こうして俺は魔剣を片手に、再び『魔霊の森』を彷徨い始めた。
俺は早速、昨日も襲われた化け物、グールゴブリンと遭遇していた。
グールゴブリンは通常のゴブリンよりも知能が低く、気性が荒い。
また、日光を苦手としている為、普段は森の奥地や洞窟の中で活動している。
事前に受けた説明を思いだしながら、俺は褐色の小人を睨みつけた。
『――グルル!』
「へっ! 流石に武器を持った相手には襲いかからねぇか」
『私の凄さにびびってるだけよ。あいつに敵の脅威を測る知能なんてないわ!』
「それって矛盾してないか?」
無駄口を叩きつつも、目線はグールゴブリンを捉えたままだ。
油断した隙に攻撃してくるこいつの手口は、昨日散々味わってきたからな。
あ、思い出したら急に腹立たしくなってきた。
俺は昨日の鬱憤を晴らすため、正面からグールゴブリンに斬りかかる。
『ギイイ!』
『逃がさないわよ! 超絶剣技ブレイブドライブクリスタルインパクトスラ――』
俺は振る動作をするだけでいい。
俺が斬る感覚を掴むまでは、こうしてアンが動きを補正してくれる。
グールゴブリンは咄嗟に後ろへ逃げたようだが、少し反応が遅すぎた。
アンが無駄に長い必殺技を言い終えるよりも早く、黒い軌跡がグールゴブリンを捉える。
直後――斬撃。
『ギェエエエエエエエエエ!?』
真っ二つ。
俺は言い知れぬ違和感を感じ、モンスターの死体を見下ろしながら呟いた。
「……案外、呆気ないもんなんだな」
『――もう! 何で最後まで言わせてくれないのかな! こいつら弱すぎ!』
「ただの振り下ろしに一々名前とか付けんなよ。面倒臭い」
『あ! ああ!? アンタ今、歴史上の勇者全員に喧嘩売ったわよ!?』
「はいはい」
不思議と生き物を殺したという罪悪感が無い。
俺は魔剣に付いた血を払い、徐々に消滅していくモンスターの最後をぼんやりと眺めた。
アン曰く、この世界に生息しているモンスターというのは、瘴気が一定量集まることで生まれる擬似生命なのだそうだ。
そしてモンスターを倒すと瘴気は浄化され、この世界から跡形も無く消え去ってしまう。
「……」
モンスターは生きているが、生物ではない。
俺がグールゴブリンを殺しても何も感じないのはそれが原因なんだろうか?
どんな理由であれ、俺の中の「常識」が役に立たなくなったのは事実だ。
生きてる奴を殺しても何も感じない。そんな「非常識」な自分が少し怖かった。
そんなことを考えていると、グールゴブリンが倒れていた場所に光るカードが現れた。
『あ、運が良いわね。ドロップアイテムよ』
「ドロップアイテム?」
『ええ。瘴気が浄化される時、たまーに物質化されて世界に残ることがあるの。貴重品だから、売ればそれなりの額になると思うわよ?』
「金になるのか。それはありがたいな」
俺はカードを拾い、ガクランの裏ポケットに保管しておく。
それから少しだけ瞑想し、一つ、割り切ることにした。
――モンスターを殺す。それはこの世界において必要なことだ。
新たな常識を胸に刻み、この世界で生きていく意味を考える。
戦うことが当たり前。命を奪うことも珍しくない。
この世界で生きるということは、きっとそういうことを覚悟しなければならないのだろう。
だから俺は覚悟した。
殺す為の覚悟なんかじゃない。平然とモンスターを殺せた自分を、受け入れる為の覚悟だ。
『……シュウ?』
「……なんでもない。行こうぜ、相棒」
俺はアンを肩に担ぎ、前を見つめて歩き出す。
こうして俺の異世界生活は、本当の意味で始まりを告げたのだった。
結構、色んな箇所で修正されています。
・安全地帯のくだりを修正。
・俺は追い詰められた方が~のくだりを修正。
・モンスターを殺しても平気のくだりを修正、加筆。
・覚悟~の部分を加筆。