第22話 精霊の試練3 ~狂乱~
警告! 主人公は喋りません。
シュウが四階層で気絶してからすでに三十分が経過している。
その間、シュウの頭はエキドナの膝の上に置かれており、額には彼女の手が添えられていた。
時折、呻き声のようなものがシュウの口から漏れ聞こえてくるが、エキドナはそれを耳にするたび恍惚とした表情を浮かばせる。
「ああ……素敵。これで貴方は闇に堕ちた」
そして突如シュウの体から力が抜けた時、エキドナは感激したように満開の笑みを咲かせた。
それはまるで、ずっと欲しかった玩具をようやく手に入れた子供のように純粋無垢な表情だった。
(……ここまでくれば、あとは私の自由ね)
魔剣が時々邪魔をするせいで中々思い通りに事が運ばなかったものの、今、ようやく目の前の少年を闇に沈めることに成功した。
こうなればもう終わりだ。彼が現実世界に浮上することは二度とない。永遠に闇の世界を彷徨い続けるだけで、一生光を見ることは無い。
「……だけど、案外拍子抜けだったわね」
自分が憑依した少女には悪いことをした。しかし相手がイレギュラーだった為、こうでもしなければ試練を与えることはできなかったのだ。
そして、彼は試練を乗り越えることができなかった。だから、闇の住人として共に暮らせることを嬉しく思いつつ、落胆したような複雑な思いにも駆られていた。
「スキルを使っていたから間違いなく勇者だと思うんだけど……やっぱり人違いだったのかしら?」
精霊は相手の潜在魔力を見極めることができる。
その目を信じるならば、この漆黒の勇者は信じられないほど潜在魔力が低い。それこそ一般人と同等か、それ以下である。
潜在魔力が低い勇者なんて今まで存在しなかった。まさに完全なイレギュラーだ。あの「神に最も近いスキル」を持っていなければ、まず勇者だと断定はできなかっただろう。
そんなことを考えながら、エキドナはシュウの前髪を優しく撫でた。
「まあ、貴方はもう私の物だから……今更気にすることでもないわよね」
そうだ。この少年が何者であったかなんて関係ない。
すでに少年は闇の中に堕ち、自分と共に暮らすしかないのだから。
しかもこれは数代前の勇者と交わした約束なので、決して不当な行為には当たらない。
エキドナは愛おしそうにシュウの寝顔を見下ろした。
――その時、
「――ッ」
シュウの姿が掻き消えた。
「何よ……これ……!?」
そして気付く。
ダンジョンの空気が異様なものに変化していることに。
あまりにも殺伐とし、剣呑とした空気がこのダンジョン内に張り詰めていた。
そう感じた直後、エキドナは咄嗟に殺気を感じ取り、咄嗟に闇の障壁を全方位に展開する。
「くっ!? 一体何なのよ!」
「――ガァ」
「……え!?」
直後に感じたのは凄まじい衝撃。
エキドナは己の背後に立っている人物を見て、金色の瞳を見開いた。
「ガアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!」
それは先ほどまで眠りについていた筈の少年だった。
ただし、今の彼は右半身が漆黒の結晶に覆われていて、半ば身に纏う黒衣と同化してしまっている。おまけに彼の瞳から理性の光は消えており、言葉の代わりに狂気に染まった雄叫びを上げていた。
「……まさか、私の【ナイトメア】を破った……? そんな、あの状況からどうやって……」
エキドナは震えた声で尋ねる。しかし、望んだ答えは返ってこなかった。
「アアアアアアアアアアアアアア!」
言葉を忘れてしまったのか、言葉を理解していないのか、彼は狂ったように魔剣とハルバードを振り回し、ダンジョン内に苛烈な金属音を反響させる。
そんな彼の変貌を目の当たりにして、エキドナはようやく理解した。
目の前に立っている化け物はさっきまでの彼ではない。
自分と同じように、『何か』が彼に憑依しているのだ。それも肉体に影響を与えるほど一体化した状態で。
「……その体を返せ!」
エキドナは激昂した。
冗談ではない。せっかく手に入れたものをそう簡単に渡してたまるか。
彼女は目の前の化け物を睥睨し、今まで攻撃に使うことは無かった闇の力を解放する。
「この日をどれだけ待ちわびたと思っている! 私からその少年を奪うことは絶対に許さない!」
「ガアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!」
二人の意思は交わらない。
言葉は虚しくすれ違い、己のエゴだけがその場に残る。
怒りに染まった闇精霊と狂気に飲まれた少年は、互いに戦闘態勢を取った後、強烈な殺意を衝突させた。
*****
――激突する。
「ガアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!」
獣のように雄叫びを上げるシュウは、僅かにドス黒いオーラを出しながら右手の魔剣を振り下ろす。
「くっ……速い!?」
しかし、エキドナの的確な防御魔法によってそれは見事に防がれる。
漆黒の軌跡を受け止めたのは闇と氷を融合させた暗黒の盾。正六角形の隔たりが剣の行方を阻み、闇が持ち得る吸収という特性によって狂乱化したシュウの破壊力を完全に無効化していた。
おまけにエキドナは盾を形状変化させ、正面に向けて無数の棘を生えさせる。そしてシュウの体を貫かんばかりに射出。
弾丸のような速度で、暗黒の矢針がシュウを襲った。
「――ッ」
だが、それらがシュウの体を射抜くこと無かった。
「ガアアアアアアアアアア!」
「……まさかこれは……怨呪の鎧!?」
【カースドオーラ】の最も特徴的な力――『怨呪の鎧』。
シュウの右半身を覆っている黒い結晶は、この場に漂う負の感情を糧にして、瘴気が堅牢な形に実態化したものだ。
故に瘴気が溢れるダンジョン内に限り、その防御力は無限大に上昇する。
シュウは先ほどの攻撃を、全てこの怨呪の鎧で受け止めていたのだ。
「アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!」
「がはっ!?」
そして、間髪入れずに放たれたシュウの回し蹴り。
その一撃はエキドナの鳩尾に突き刺さり、足に込められた威力を一気に炸裂させた。
まともに攻撃を受けたエキドナは吐血しながら凄まじい速度で吹っ飛び、勢いを殺すこともできないままダンジョンの壁に叩きつけられる。
直後、雷鳴が轟いたかのような衝撃音がダンジョン内に響き渡った。
「……やってくれるじゃない」
エキドナの憑依した肉体がルナであるということを、一切考慮していない攻撃。
シュウの意思は全く介在しておらず、まさに戦いの衝動だけが暴走している。
そんな彼に対して、エキドナは凶悪な笑みを浮かべた。
頭から流れる血を掬い取り、そっと口の中に入れる。それからゆっくりと立ち上がり、エキドナは片手を前に掲げた。
「【ダークネスファクトリー】」
彼女の周りに広がるのは純粋な闇。
そしてその闇は水のように地面の中に染み込んでいき、ダンジョンの床を全て漆黒に染め上げた。
「貴方にこれが耐えられるかしら?」
「グウッ!?」
シュウが危機を察知してその場を跳躍する。それとほぼ同時に、黒い床一面から数え切れないほどの槍が生えてきた。
しかもその一部はシュウを追尾するように地面から離れ、宙を舞いながら槍の穂先をシュウに向ける。
「ガアアアアアアアアアアアアアアッ!!」
落下しながらも魔剣とハルバードを器用に使い、シュウは襲い掛かる槍を撃墜させていく。しかし数の多さに耐え切れず、怨呪の鎧が覆われていない部分に次々と槍が突き刺さった。
おまけに床から闇のみで構成された触手が伸びてきて、そのままシュウの足に纏わり付く。次には彼の体を思い切り地面に叩きつけていた。
「ウグウッ」
「ほら。夢の続きを見せてあげるわ」
触手はシュウの体を振り回し、地面だけではなく天井や壁にもぶつけ始める。そのたびにダンジョン内にはクレーターが生み出され、シュウの血によって赤い染みが浮かび上がった。
ただそれだけを触手は執拗に繰り返す。
何度も。
何度も。
その体が再起不能へと至るまで。
ひたすらシュウの体を痛めつける。
「『――条件の一部を達成。第死形態限定解除』」
しかしエキドナの一方的な攻撃は、突然聞こえた女性の声によって遮られた。
「『【紅蓮闇鋏】』」
次の瞬間、鮮血のような赤い閃光が触手を断ち切り、エキドナの眼前まで急迫する。
「なっ!?」
エキドナは咄嗟に身を屈めて身を守る。
そして驚愕を表しながらエキドナはシュウの右手に注視した。
「あんなものが……まるで悪魔ね」
シュウが持っていた魔剣はその姿を大きく変えていた。
漆黒の刀身が柄の部分から二つに離れ、鮫の牙のようにギザギザした形状になっている。それはまるで、相手を食い千切る為に作られた処刑道具を彷彿させた。
「『覚悟しなさい。あんたの魂……今ここで喰らい尽くしてやるわ』」
「そういうこと……。流石は呪われた武器ね。まさか、狂乱化した己の主を乗っ取るなんて」
「『その子の体を乗っ取ってるアンタにだけは言われたくないわ』」
エキドナの皮肉を一蹴したアンは、思い出したように左手のハルバードを叩き壊す。
それから両手で魔剣を構え、紅い双眸を前に向けた。
……文章じゃ説明しにくい。ペイントで絵でも描いたほうがいいのだろうか?