第18話 試練の洞窟3
――試練の洞窟四階層。
そこはこれまでとは全く構造が異なり、何の隔たりもない大空間となっていた。
天井は高く、部屋の端から端が今まで以上に遠く感じる。もしかしたら二階層や三階層も似たような広さだったのかもしれないが、あの時は迷路を彷徨っているような感覚で、部屋の広さを実感する余裕はなかった。
そんな解放感溢れる部屋の真ん中に、堂々とボスモンスターが鎮座している。
『――ヴォオオオ!』
牛頭人身の怪物、ミノタウロス。
その存在感はまさしくボスと言ったところか、ただそこにいるだけでこちらを容赦なく威圧してくる。
牛の頭には捻れた双角が生えており、首から下の肉体は極限まで鍛え上げられていた。恐らく、オークと同じように攻撃していてもまともなダメージは与えられないだろう。
『やるなら全力全開よ!』
「……分かってる。出し惜しみをするつもりはねえよ」
ミノタウロスの赤い双眸を睥睨しながら、俺達はそれぞれ戦闘準備に入る。
ルナは事前に詠唱を済ませていた【エリアルレイザー】を展開し、俺は魔剣に意識を集中させた。
「第一形態開放」
アンから教えてもらった魔剣の開放術式を詠唱すると、忽ち漆黒の刀身が紫紺の光に包まれ始める。それはすなわち、【紫紺光剣】の起動だ。
この刀身が纏う紫紺の光は、触れた物を全て消滅させる力を持っている。その為、この剣に切断できないものは存在しない。
例え気体や液体であったとしても、この剣に触れた部分から容赦なく消失現象が始まり、跡形も無く消え去ることだろう。
はっきり言って、無敵だ。
『ヴォオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!』
この剣の脅威を正しく認識したのだろう。
ミノタウロスは片手に持っていたハルバードを持ち上げると同時に、俺の左側――魔剣を持ってない方を狙って突撃してきた。
引き締まった下半身は凄まじいトルクを生み出し、カルマウィザードと同等の速度で接近してくる。
「――ッ!」
「お兄さん!?」
相変わらずぶっ壊れた戦闘能力だ。何も強化していない俺じゃ、まともに対峙することさえ許されない。しかも相手の攻撃は豪快に見えて堅実的だ。
ミノタウロスは俺の足を狙っていた。それもリーチの短い石斧で防げないよう、足首ギリギリを寸分違わず。
その光景を目で追うことは可能でも、体の方は反応できない。当然だ。ミノタウロスの一撃は、普通の人間が動かせる速度を遥かに上回っているのだから。
しかし、安全活動時間が一分だけの【全能強化】をこんな序盤で使うわけにもいかない。
そこで俺は【バーストフォース】を展開し、ミノタウロスの一撃を凌ぐことにした。
『ヴォアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!』
「んなっ!?」
魔力の暴風が俺の周りを吹き荒れて、ハルバードの刃を押しとどめる。
だがミノタウロスが更なる力を加えただけで、その均衡はあっさりと瓦解してしまった。
魔力の暴風は打ち消され、ハルバードの鋭い斬撃は勢い止まらず俺に向かう。その威力はほんの少し落ちただけで、殺傷力は未だに健在だ。
――目の前で起きた現象に目を疑う。
僅かにハルバードの軌道が逸れたおかげで何とか防御が間に合ったものの、その威力は絶大で、俺の体は簡単に吹き飛ばされた。
防御に使った石斧が粉々に砕け、持っていた左手も衝撃によって使い物にならなくなる。
ミノタウロスは間髪入れずに追撃に走り、宙を滑空する俺の体に向けてハルバードを振り抜いた。
「しまっ――」
「【エリアルレイザァアアアアアアアアアアアア】!」
ハルバードが俺の胴体を切断しようとする、その一瞬。
ルナの右手から緑色の閃光が放たれ、ミノタウロスの頭に向かって超高速で飛んでいく。
その大気を震わす一撃は余程の威力を秘めていたのか、ミノタウロスは咄嗟に自分の巨躯を方向転換。突然の急ブレーキによって足の蹄からいくつもの火花を散らしながら、ルナの攻撃を全力で回避した。
――直後、轟音。
ダンジョンの壁に激突した緑の光は大爆発を起こし、四階層という部屋全体を大きく揺らした。
『……ヴォオ……』
あのミノタウロスが呆れたように抉れた壁を一瞥する。それから警戒すべき相手が上書きされたかのように、その赤き双眸でルナを真っ直ぐに見据えた。
「ああ……ああ……っ!」
それは正真正銘、本物の【威圧】。
絶対的強者が自然に漂わせる、弱者殺しの基本能力だ。アビリティと言ってもいい。
ルナはミノタウロスの視線に射抜かれ、その場を動けなくなっていた。
そんな彼女に向けて、ミノタウロスは容赦なくハルバードを振り上げる。
『ヴォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!』
「嫌ぁああああああああああああああああああああああああああああああああ!?」
二つの叫びは全く正反対の色を帯びながら、ダンジョン全体に響き渡った。
*****
吹き飛ばされた勢いはまだ続き、ついにはダンジョンの壁に叩きつけられる。
背中全体から肺の中まで容赦なく襲う衝撃に、シュウは声にもならない悲鳴を上げた。
膝から地面に崩れ落ち、右手で魔剣を掴みつつも、荒い呼吸を繰り返すのに精一杯で、中々立ち上がることができない。
『何やってんのよ! 馬鹿じゃないの!?』
アンは己の不甲斐ないマスターに激怒していた。
それは二刀流の話をしていた時とは比べ物にならないくらい必死であり、本気だった。
これほどまでに声を荒げたアンの声を、シュウは今まで一度も聞いたことが無い。
『ボス相手に何妥協してんのよ! 死にたいの!? それとも前の戦いから何も学習してないの!?』
そんな彼女の言葉を聞いて、シュウは奥歯を強く噛んだ。
(ああ。……俺が馬鹿だった)
慢心していた。
最強の魔剣と出会い、強力な切り札を手に入れたことで、自分が強いと錯覚していた。
カルマウィザードとの死闘を乗り越えた経験から、勝手な基準を持って、勝手な自信を身に付けていた。
だが現実はそうじゃない。
勇者の力を除く、シュウという個人の力は一般人のものと何も変わらない。
追い詰められた時ならともかく、自分が優位だと自覚した状態では判断力も鈍くなり、油断や隙もできてしまう。
そう。シュウは限りなく凡人であり、弱者なのだ。少なくとも、勇者よりも村人Aくらいがお似合いの普通の少年だった。
自分で出し惜しみはしないと言っておきながら、何処かで力をセーブしていたのもそれが原因だ。
これまで【バーストフォース】で対応できていたから、今回もそれで十分だと勝手に判断してしまっていた。
しかし、相手はカルマウィザードと違って筋骨隆々の怪物だ。その怪力は凄まじく、あの時の比ではない攻撃が繰り出されることは容易に想像できた。
それなのに。
シュウは心の何処かで「自分なら大丈夫」と高を括っていたのだ。
これを慢心と言わずに何と言う?
(やっぱり俺は……勇者になんてなれないや)
脆弱。
それが本当の自分。
勇者という「才能」に頼らなければ、まともに戦うこともできない滑稽な男の正体だ。
ただ強さを望んでいただけの、勇者に憧れていただけの、愚かな少年の本性だ。
分かっていた。分かっていた筈だった。
なにせ僅かに取り戻した記憶の中の自分も、己の無力さに見切りを付けていたのだから。
だからこそ、自分を見失ってはいけない。それが自分なのだと、認めなくてはならない。
――心の何処かで抱いていた、勇者という幻想は捨てなければならない。
シュウは己の弱さを受け止めて、再起する。
「――【全能強化】!」
シュウは全身に銀色のオーラを纏いながら、思い切り地面を蹴りつけた。
だからキーワードの「主人公最強」とは何なのか。