溢れ出して止まりません
「待ってアリエル!」
廊下を逃げるように走っていると、突然私の腕が物凄い力で引っ張られました。
「いたっ……」
「あ、ごめん、痛かったよね…」
ハッとしたように手を離したエリク様は、気遣わしげな視線をこちらに向けました。
そして意を決したように、私の目を真っ直ぐに見て。
「どうしてずるいのかが、僕には分からない」
「だ、だって、それは…っ」
「自分の好きな人が他の男とキスをしたなんて聞いたら、誰だって悔しいに決まってる」
少し頬を染めて悔しげに言ったエリク様は、「僕は抱き締めたことすらないのに」とぽつりと呟きました。
そんなエリク様に、ぽかんとして思わず口を開きます。
「ア、アリアンヌ様、婚約中に他の方とキスをしたんですか……!?」
「………え?」
「ああっあの公爵様ですね!エリク様と婚約されているのにも関わらず、なんてことを!」
「ちょっと、アリエル…」
「悔しいです、私!あの人よりもエリク様の方が百倍素敵なのに!」
悔しくて思わず漏らした言葉に、エリク様はぎょっとして頬を赤く染めました。
「何で易々と手放したりしたんですか!あんなにも、アリアンヌ様の事を想ってらしたのに!」
「ちょっと待って、何のこと?僕が彼女を想ってるって…」
そこまで言ったエリク様は、ハッと目を見開いたかと思えば項垂れる様に顔を手で覆ってその場にしゃがみこんでしまいました。
「エ、エリク様……?」
「そうか、そういう事だったんだね……だからずるいと…」
しゃがみこんで顔を覆って俯いているエリク様は、ぽつぽつと何かを呟いています。
ああ、旋毛を触りたいだなんて今思う事じゃないのに!
私がうずうずと沸き上がる衝動に耐えていると、不意にエリク様がお顔を上げました。
そしてそのお顔は、びっくりするぐらいに真っ赤に染まっていて。
「僕が想っているのは君だよ、アリエル」
………はい?
一瞬何を言われているのか分からなかった私は、ぱちぱちと瞬きを繰り返しました。
そんな私をよそに、エリク様は話を続けました。
「君がこの家に来る前から、アリアンヌとの婚約は決まっていた。彼女は愛らしくて優しくて、僕には勿体無いぐらい素敵な女性だった」
穏やかに言ったエリク様の言葉に、私の胸がちくりと痛みました。
「だけど…彼女は僕といる時でも、いつもどこか上の空で。ふとした時に物凄く悲しそうな、寂しそうな顔をするんだ。ああ、この人には他に心から想っている人がいるんだなってすぐに分かった」
それが、あの公爵様……。
エリク様は一体どんな思いで彼女と過ごしてきたのだろう。
決して自分に想いを寄せてはくれない、形だけの婚約者と。
「だけど不思議な事に、悲しいとか悔しいなんて感情は無かったんだ。僕も彼女のように誰かを愛したいと、そう羨んでさえいた」
視線を落として穏やかに話していたエリク様は、不意に視線をあげてこちらに目を向け、そして優しく微笑みました。
「そんな時、僕は君に出会った」
「え…それは、私がこのお屋敷へ来た時のことですか?」
困惑して問い掛けると、エリク様はゆっくりと首を振って、再び微笑みました。
「あれは一年前かな…公爵家で開かれた夜会で、君を見掛けたんだ」
一年前……少し考えて、私は思い出しました。
私が壁の花に徹していた、そして初めてエリク様を見掛けた舞踏会のことだと。
「君を見た時、随分綺麗な子がいるなって思った。だけどどれだけ見目の整った男の人にダンスを申し込まれても、受けようとせずにただ戸惑っている姿に笑ってしまったんだ」
「なっ…」と私が顔を赤くすると、エリク様は「ごめんごめん」と言ってくすくすと笑みを溢しました。
「他の優雅な女性たちとは違った立ち振舞いがなんだか可愛くて、つい気が付けば目で追ってた。君を見失って探している間も、ずっと顔から笑みが消えなくて。誰かを必死に目で追ってる自分が可笑しくてね」
そう言われて、あの時のエリク様が浮かべていた優しい笑みが蘇って来て思わず私は頬を染めてしまいました。
「その日から夜会に参加する度に無意識に君を探している自分がいたんだ。君を見付けると堪らなく心が躍ったし、君を見付ける事が出来なかったら寂しく思った」
ああ、私と同じだ。
そう思うと、嬉しくて、心が温かくなりました。
「君がこの屋敷に侍女見習いとして来たと知った時は、心臓が止まるかと思ったよ。僕の側で働かせて貰えるように父上に頼み込んでいるところをアシルに見られて……何故かアシルまでもが君を側にと言い始めて」
少し不満げな表情をしたエリク様は、どこか拗ねている様で。
不覚にも私の心臓がキューンと締め付けられました。
「それでも、いつも一番に僕の部屋へ起こしに来てくれるのが嬉しかった。だけど……ここ最近は、いつも何か理由をつけてはアシルの部屋にいたね」
ぎくりと、私は視線を逸らします。
でも仕方ないじゃないですか。あれは。
「…僕といる時もあまり笑顔を見せなくなった。アリエルの笑顔を見ていると僕も自然と笑顔になれるのに、君が笑わないから…」
「ま、待って下さい!私だって、エリク様が婚約を破棄されてからあまり笑わなくなったので…」
「婚約破棄…?ああ、その事を気にしてたのか」
「だって、エリク様はアリアンヌ様を想っていたので凄く傷付いたのだとばかり」
そう言った私に、エリク様は困ったような笑みを向けました。
「さっきも言った通り僕がずっと想っていたのは君なんだから。あの婚約破棄は、むしろ喜ばしい物だったよ。お陰で君を僕の側に置ける可能性が芽生えて、どうやって想いを伝えようか散々悩んだけどね」
も、もしかしてあの憂鬱そうな表情はそれのせいですか!?
そうなら私ったら、勘違いも甚だしいではないですか!
「アリエルが僕には想い人がいるなんて言うもんだから、てっきり気持ちがばれてるのかと思ったんだけどな」
困ったように微笑んだエリク様に、私はがっくりと項垂れました。
そんなこと、言われないと分かるはずがないでしょうよ!
「アリエルがアシルのことを好きだとしても、僕は諦められそうもないよ。それくらい、君のことを好きになってしまったみたいだからね」
にっこりと笑ってさらりと言ったエリク様に、私はつい鼻血を吹きそうになりました。
そんな言葉をそんな悩殺スマイルで言うなんて、反則です、エリク様。
「いきなりごめん。でも、僕の気持ちだけは知っておいて欲しかったんだ。じゃあ僕は戻るね」
優しく目を細めて言ったエリク様は、そのまま背中を向けて自分のお部屋へと歩き出しました。
―――あれ…?私、何も伝えてない…
どうしよう。
どう、伝えたらいいの?
私もあの舞踏会で貴方に一目惚れをしました、とか。
一年間ずっと、貴方を見てきました、とか。
詳しく言いたいし、自分の気持ちがどれ程の物なのか、ちゃんと伝えたい。
だけど、いざとなったら、言葉が出てこない…
いつもはあんなにもすらっと出てくるのに…っ
今、今伝えないでいつ伝えるの?
早く、早く。
声にならない囁きが、口から漏れました。
それと一緒に、いつの間にか涙が頬を伝っているのにも気付きました。
ああ、好きだと思うだけで、こんなにも胸が温かくなる。
温かくて、苦しくて、嬉しくて、どうしようもなくて。
伝えずには、いられないんです。
「―――愛しています」
ふとエリク様が足を止めて。
その場の時の流れが止まったかのように感じました。
「愛しています…っ」
叫ぶように伝えても、伝えきれない想いが溢れ出して。
胸が締め付けられるように痛いのだけれど、それがどうしようもなく幸せで。
振り返ったエリク様は驚いたような、どこか泣きそうな顔で、こちらを真っ直ぐに見つめました。
「私が想っているのは、エリク様です。あの舞踏会で初めて見た時から、私は貴方だけをお慕いしてきました」
顔いっぱいの笑みを浮かべながら泣いている私は、さぞ間抜けな顔をしていることでしょう。
それでも、嬉しくて、嬉しくて。
溢れ出す想いを伝えることが、こんなにも幸せなことだとは思いませんでした。
「好きです…大好き」
「アリエル…」
「私は、貴方を、愛してしまいました」
言い切った瞬間、大股でこちらまで歩み寄って来たエリク様によって強く抱き締められました。
あまりにも強く強く抱き締めるものだから、苦しくって咳き込みそうになったけれど、それ以上に幸せな気持ちに包まれました。
本編はこれで最終話となります。
ここまで読んで下さって、ありがとうございました(^-^)
ここからは、番外編をちょくちょく執筆していきたいなと思っています。
お暇な時にでも読んでやって下さい♪