オトコノヒトは分かりません
不意に唇を掠めた柔らかい感触に、一瞬私の頭はフリーズしました。
ゆっくりと遠退いていくアシル様のお顔。
次第に閉じられていた瞼が開いていくのをぼんやりと見ていると、濃い蜂蜜色の瞳が私の目を捉えました。
そしてそれと同時に意識が戻ってきた私は混乱に陥りました。
「な、なに、して……っ」
「何って。キスだけど」
しれっと言ったアシル様は未だに私の腰から腕を離す様子は無く、一方の手も私の頬に添えたままで。
つまり、物凄く、近いのです。
「キ……っ!!何でそんなこと、する必要があるんですか!?」
「本気で分かんないのか?」
じっと私の目を見据えながら言ったアシル様は、ぐっと私の腰を引き寄せました。
「ど、ういうことで―――」
私の言葉を遮るように私の後頭部を引き寄せたアシル様は、耳に触れる程唇を近付けて。
「―――好きだ」
低く囁かれたその言葉は、甘く、私の感覚を痺れさせるように響きました。
う、煩い。心臓の音が、煩い。
何なんでしょうか、これは。
ドンドコドンドコ太鼓みたいに鳴り響くこれは。
私の、わ、私の心臓ですか。
何ですか。ビョーキですか。故障ですか。
ドンドコドンドコドンドコドンドコ……。
おちおち落ち着け、落ち着くのよ自分。
なななな何が起こったの…?
ア、アシル様のくちくち唇が、わ、私の唇に……
「~~~っ!!」
ぼふっと一気に熱が顔に集まった気がします。
ど、ど、ど、どうしましょう。
つい突き飛ばして逃げて来てしまいました。
ど、ど、ど、どうしましょう。
何が何でどうしてああなったのかが分かりません。
し、しかも、す、す、好きだなんて……
……好きだなんて!!アシル様が、私を!?
そんな事が、あっていいのですか!?
あぁぁぁぁぁあ、これじゃあもうアシル様の所に逃げ込むわけにいかなくなったじゃないですか!
かといってエリク様の所に行くことも出来ません!
私は一体どうしたら……
「アリエル…?」
「は、はい!」
突然掛けられた声に驚いて振り向くと、そこにはあろうことかエリク様のお姿が。
顔の熱が再び急上昇して、今にも意識が吹き飛んでしまいそうです。
だって、だって、さっきアシル様とあんな……
ぎゃあぁぁぁぁぁ!!
わ、私はなんてことを思い出して……!!
エリク様の前なのに!!
あわあわと忙しなく視線をさ迷わせながら間抜けな顔を晒していた私に、エリク様の顔からは次第に表情が消えていきます。
怒りにも似ているけど、少し違うような…
とにかくエリク様にこんな表情を向けられたのは初めての事で、背筋にヒヤリとした感覚が駆け抜けました。
「何で、そんなに真っ赤なの?」
そう言ったエリク様の声は、いつもより幾分か低く。
思わず私は、ぴたりと動きを止めた。
「あ、の…その、えっと……」
何か言い訳をと頭をフル回転させるものの、一向に言葉は浮かび上がりません。
もたもたと返答につっかえている私を静かに見下ろしていたエリク様は、小さく溜め息をついて視線を落としました。
「……そういうことだったんだね」
そうぽつりと呟いたエリク様は、そのままこちらを見ることなく踵を返して歩いていってしまいました。
"そういうこと"……?
何が、そういうこと、なんでしょうか…?
―――何か、誤解を、された……?
そう思った私は、気が付けば走り出していました。
何か誤解をされているのであれば、解かなければ。
このままだと、もう二度と……
この先にはエリク様のお部屋があるはず。
きっと、ご自分のお部屋に戻っているに違いない。
そう考えた私はエリク様のお部屋の扉を見付けるなり、叩くようにノックをしました。
「エリク様、無礼をお許しください!!」
言って扉を開けて中へ入ると、驚いたような表情のエリク様が立っていました。
そしてすぐに表情を曇らせて視線を落とすと、近くのソファーへ腰掛けました。
「……いつから?」
「え……?」
小さく溢された言葉に私が戸惑って首を傾げると、エリク様は落としていた視線をこちらに向けました。
「いつからアシルの事を想っていたの?」
いつからアシル様を、想ってって……私が!?
ぎょっと目を剥いた私は、慌てて手と首を勢いよく振ります。
「おおお、想ってなんか!」
「だけど君からキスをしたんでしょ?アシルに」
真顔で言ったエリク様の言葉に、私の思考回路は停止しました。
そしてその場に、暫しの静寂(沈黙)が訪れます。
つまり。要するに。
私から、アシル様に、キスをした、と。
そう仰ったのでしょうか。
私の聞き間違いで無ければ。
………どうしてそうなったのですか!!?
再び私は目を剥いておまけに口も開いて、とんでもなく間抜けな顔をエリク様に晒してしまいました。
「ままま、待って下さい!確かにキスはしました!キスはしましたけど、」
「やっぱりしたんだね」
そう呟いてあからさまに肩を落としたエリク様に、私の胸は思わずズキューンと打たれました。
そんな、落ち込んでいるみたいな顔をされたら、私…
「ず、ずるいですっエリク様は…っ」
「え…?」
私が突如そう漏らすと、目を丸くしてこちらに目を向けたエリク様。
「エリク様には、想い人がいらっしゃいます…」
私の言葉に、エリク様は少し頬を赤くして開いていた口を閉じました。
そのお顔がなんと可愛らしいことでしょう。
思わず私も顔に熱が集まります。
「なのに、私がキスをしたというだけでそんなお顔をされるなんて…ずるいです、エリク様…」
恥ずかしくて、どこか悔しくて。
言いながらもつい視線を落としてしまいます。
だってあんなお顔。
落ち込んだような少しむっとしたような、あんなお顔。
あれじゃあまるで……。
「期待、させないで下さい……」
言ってぐっと唇を噛み締めると、私は部屋を飛び出しました。
溢れた涙に気付かれないように。
ひどいです、エリク様は。ずるいです。
他の人を想っているのに、あんな期待させるようなお顔をするなんて。
アシル様もエリク様も、何を考えてるのか分かりません。