心底くじけそうです
「はあぁぁぁぁぁ……」
「……やめろ、目覚めが悪くなる」
「だって…」
「何で起き抜け早々に魂を吐き出すような溜め息見せつけられないといけねぇんだよ……」
「勘弁してくれ」と言って、アシル様は枕の下に腕を差し込んでぼふっと顔を埋めてしまいました。
何故上半身が裸なのかとかもしや下も裸なのかとかは敢えて考えないようにしましょう。はい。
「……で、何なの。その溜め息の理由は」
少し顔をずらして顔の半面だけを枕に埋めた状態で、エリク様よりは暗い蜂蜜色の瞳をこちらに向けてきます。
相変わらず冷めた目ですね、まったく。
エリク様とは大違いです。
「だって今日は、その…エリク様の……」
言いながら徐々に視線を落として項垂れる私に、アシル様は再び目を閉じて小さく溜め息をつきました。
心なしか眉が寄っているように見えます。
そんなに面倒臭そうにしなくっても…。
「そういえば今日だったな」
目を閉じたまま言ったアシル様に、私は小さく返事を返します。
「仕方ないだろ、こればっかりは」
落としていた視線を上げると、アシル様は目を開けてこちらを見ていました。
いつもとは違った真面目な表情に、余計に思い知らされます。
―――こればっかりは、本当に。
どうすることも出来ないなんて、分かってます。
ましてやこのお屋敷の侍女見習いでしかない私には。
だけど、どうしたって、今日は笑顔なんて出せる筈もなく。
いつもなら一番にエリク様を起こしに行く筈が、今日はアシル様のお部屋で未だにうだうだと時間を潰しています。
こんな顔でエリク様を起こすなんて、そんなこと出来ません。
「今日は来るのがやけに早いと思ったら……ま、そんなカオじゃ会えねぇわな」
呆れたような表情で言ったアシル様は、のそりと手を伸ばしてぽんぽんと私の頭を撫でました。
この人は、こうやってたまに優しい面をちらつかせます。
これも女の人を落とす為に培われたものなのでしょうか。
ああ、アシル様に慰められるなんて。
私、一体どんな顔をしてるんでしょう。
笑おうとしても、ただ、頬が引き攣るだけで。
今日は、私の想い人であるエリク様の婚約者の方が婚前の顔合わせでこのお屋敷にいらっしゃる日。
私がこのお屋敷で働き始める約一年程前から、エリク様とその人は婚約していたらしいのです。
それを知った時には、私は既にエリク様への想いを憧れから恋へと変えてしまっていたのです。
お相手の方はロランス伯爵様のご令嬢で、一度拝見した時には同性の私でも心を掴まれてしまいました。
アリアンヌ様という亜麻色の髪と瞳が似合うとても愛らしいお嬢様で、侍女見習いである私にまでお優しく接して下さいました。
正直に言うと、お二人はとてもお似合いです。
私の入り込む隙間など微塵もありません。
エリク様はアリアンヌ様の事をとても想っていらっしゃる様で、いつもにこにこと彼女の話を私に聞かせて下さいました。
その度に私は、自分の主が幸せそうにしている事への嬉しさと自分の想い人が他の女性を愛している事への悲しさとで複雑な感情に包まれていました。
いつもはあちらのお屋敷かアランブール家の別邸でお会いしてらっしゃったので、彼女がこちらのお屋敷へ来るのは今日が初めてなのです。
―――最初から。
いつかは他の女性の物になると分かっていたのに。
どうしても、この想いを無かった事になんて出来なかった。
エリク様が、あまりにもお優しくして下さるから。
このお屋敷で働いたのはたった一月。
だけど、私はもっともっと前からエリク様を見ていました。
あの日公爵様が開かれた舞踏会に参加した私は、初めての舞踏会で色々な男の人からのダンスのお誘いに困り果てて壁の花に徹していました。
俯き加減にもこっそりと周囲の様子を見ていると、それはもう皆様はキラキラと輝いていて。
私もあんな風に上手に踊れたらと、羨ましく思っていました。
そんな時、ふと一点に視線を向けた瞬間、私の周りだけ時間が止まったような感覚に襲われました。
誰もが美しく輝き、優美に踊っているその中に。
彼は、一人穏やかな空気に包まれて立っていたのです。
何をするでもなく、ただ穏やかな笑みを浮かべているその横顔が、私には他の何よりも美しく見えました。
それから約一年。
漸くお側に来ることができたものの、侍女見習い。
エリク様にとって私はあくまでも侍女見習いであって、それ以上でも、以下でもない。
「それでも、満足だったはずなのに…」
私がそうぽつりと呟くと、アシル様は不意に私の頭から頬へと手を滑らせます。
擽ったさに目を細めると、冷たい親指がするりと頬を撫でました。
「好きなら"主"と"従者"の関係で満足なんかできねぇよ」
―――俺なら、な。
やけに真剣な表情で言ったアシル様は、それ以上は何も言わずに朝の支度を始めました。
頬に残った冷たい感触を感じながら、私はいつもとどこか違うアシル様に困惑していたのでした。