第二十八回お尻触り選手権
別サイトで書いた短編です。
妻が持ってきたチラシには、「第二十八回お尻触り選手権」と大きく書いてある。そのチラシを見たとき、私は妻の正気を疑った。
「ほら、あなた家にいたらずっと寝てばかりでしょ? 熱中できるものがあったらいいと思うの! これね、近くのスーパーにおいてあったんだけど、優勝賞金が一千万円なのよ! すごいと思わない!?」
「いやでも、お尻触り選手権って――」
「あなたも熱中するものが見つかって、賞金が出たら家計も大助かり! 一石二鳥でしょ?」
そういって笑いながら台所へ向かう妻。妻といってもまだ十六歳だ。なんの因果か、私は年の差結婚というものに巡り合い、若い奥さんをもらうに至った。
そんな妻の向かっていったリビングには「お尻触り入門」と書かれた本が無造作に置かれている。それをパラパラと捲っていきながら、妻は本当にこの競技が何をするものか理解しているのだろうかと、それだけが私の頭を支配し、そこだけが気がかりだった。
◆
お尻触り選手権。名前こそ不真面目だったが、調べてみるとかなり奥の深い競技だということが分かった。
歴史は古く、始まりは戦後の娯楽がない時代にせめてもの楽しみを、と生み出されたものだった。そこから現代まで途絶えることなく発展していったお尻触りという競技。それは最早、単なる「お尻を触る」という行為ではなく、まさしくスポーツというものに昇華していた。
「何々……。触り方……か。触るか触らないか、ぎりぎりの力加減でお尻の彎曲に沿って掌全体で触る。この時、掌の形は一定に、手首を回転させて肘は動かさない。腰は中腰が望ましいが背筋は真っ直ぐと保つ。体勢に関してはその時の状況にもよるが、その形が基本的で最も美しいとされている、か。中々難しいんだな」
私はぶつぶつと呟きながら、空気中にお尻をイメージし手をひたすらに動かした。入門書によると「一日千回の素振りは基本」ということだ。腱鞘炎になりそうだが、私はひたすら手首を動かした。
腰を落し手を動かす。次第に太腿はプルプルと悲鳴をあげ、手首を動かす範囲は徐々に小さくなっていった。
「っはぁ! ぜはぁっ、ぜはぁっ! なんてしんどいスポーツなんだこれはっ!」
体中から流れ出る汗。そして、徐々に体が覚えていくお尻触りの姿勢。手首の動かし方、腰の落し方。その全てが体中に染み渡っていき、私の細胞全てがお尻触りのためだけにあるような気がしてくる。
いつしか日々の余暇の時間を、全てトレーニングにつぎ込むようになっていった。
「よし、素振りが終わった……。後はダンベルで手首を鍛えて、スクワットをしたら終わりだな」
独り言を言いながら、ハードなトレーニングメニューへと自らを誘う。もうこの時私は、既にお尻触りの魅力に取り付かれていた。
◆
段々と基礎体力もつきフォームも様になってきた、ように思える。次のステップは実践あるのみだ。基礎編の項目には書いていなかったが、技術点の一番のポイントは触られた人が「快感を感じる」ことだというのだ。こればかりは一人で練習していたのでは培われることのない技術。頼める人間は一人しかいない。
「なあ、ちょっと頼みたいことがあるんだが……」
「なに? 夕食の時間が終わってからでいいかしら?」
「ああ。お尻触り選手権のことなんだが、実践をしてみたいんだ。練習相手になってくれるか?」
その言葉を言った途端、妻の目の色が変わる。
「やる気になってくれたのね。夕食、少し遅くなっていいなら今から練習する?」
「いいのか!? ありがとう」
そうして私は練習相手を手に入れた。
「だめっ! もっと優しく触ってくれなきゃ。全然気持ちよくないわよ!」
「ああ、すまん」
「少し手首が硬いわ! もっと力を抜いて、自然体!」
「こうか! どうだ!?」
「あっ……、今のよ! 今の感覚を忘れないで! その力加減っ、絶妙よ」
「よしっ! もう一度だ! 行くぞ、さぁ!!」
いつの間にか、仕事終わりは妻との練習の時間になっていた。徐々に染み付いていくお尻を触るこの感覚。触られるほうだけでなく、触るほうも絶妙な力加減で触ったときは気持ちいいとしったのも、しばらく経ってからだった。
「よし、いいか? いくぞ」
「ええ、きて」
妻を練習相手にして一ヶ月が過ぎようとしていた。
そんな私に背を向けて妻が立つ。その横に基本姿勢で立つと、膝を使いながら柔らかくお尻を撫でていく。手首の角度と腕の固定に気を配り、指先から手の付け根全体を使って優しく妻のお尻を辿っていった。
妻の滑らかなお尻の感触が均一に掌に伝わっていく。これは、うまくいったときの証。
「あっ――ん……」
全神経を使ってその一撫でに全てを込めた。集中が切れた今は、最早息も絶え絶えだった。そんな私に向かって、ゆっくりと振り向く妻。その妻の頬は、ほのかに紅色に染まっている。
「あなた、完璧っ!!」
「よっしゃあぁぁぁぁ!!」
私は久々に大声をあげた。そして妻も久々にベッドで声を上げることとなった。
◆
お尻触りをはじめて三ヶ月。私は最大の困難に直面していた。その困難とは、お尻触り選手権の試合方法にある。
そもそも、この競技はお尻を触る方と触られる方の対戦形式で行われるのだ。もちろん触るのは選手だが、触られるのはお尻触り専門の審判員。当然、やすやすとそのお尻を触らせてくれるわけではない。必死に選手達の手を避け、触られまいとするのだ。
試合は、その審判の避ける技術を上回りお尻を触らなければならない。さらに、そんな攻防の中で最高の一撫でをしなければ一本、つまり試合終了とならないのだ。
これは非常に難易度が高い。止まっている妻にさえ、全神経を集中させてやっと満足できる一撫でができるのに。これは由々しき問題だった。
そして私は一つの決心をする。
「頼む!! お尻触り選手権が終わるまででいい! 道場にいってもいいだろうか?」
妻にお尻触り道場に通う許しを得ようと考えたのだ。そこでは、実際試合で審判をする人もいれば、同じように切磋琢磨する競技者達が集まっている。そこに行けばきっと私も選手権で戦える人間になれるはず。
しかし、道場に行けば、当然私は妻以外のお尻を触ることになる。審判は全員女性。なぜだが十五歳から十八歳という高校生限定という嬉しい、いや法律的に大丈夫かと疑うような年齢制限もあり、男の私からすれば嬉しい、いやいやいや、少しばかりの抵抗ですむことであるが、妻はそうはいかないだろう。
私は決死の覚悟で土下座をしたが、妻から出た言葉は意外なものだった。
「あなたがやる気になってくれたのは嬉しいわ。もちろん、あなたが他の人のお尻を触るのは嫌だけど、私と家計のためなんでしょ? なら我慢できるわ」
そういって微笑んだ妻は最高に美しいと思った。
◆
そうして道場に通うことになった私は、週に五回という猛特訓を重ねていった。
やはり我流ではなく、専門の指導を受けると上達具合がまるで違う。審判の動き読むテクニックや、フェイント、裏をかく心理戦、お尻を触る様々な方法など、多くのことを吸収していった。当然、その間は若い女性のお尻を触っていくことになるのだが、それさえも私の練習に対するモチベーションへと繋がっていく。
道場に通うようになり一ヶ月が過ぎるころ、私は師範代に呼ばれ道場の奥で話していた。
「君がここに来るようになって道場に活気がでてきたな」
「そうですか、私はあまりわからないのですが……」
「いや、君には才能もやる気もある! 今度の選手権ではいい成績が残せる可能性は十分にあるだろう」
「本当ですか!? ありがとうございます」
「だた、そのためには知っておかなければならないことがある」
「えっ!?」
「それはな、試合の採点方式だ」
師範代は何を言ってるのだ。そんなもの、競技にのめりこむ間に調べているに決まっている。そして、そんなことは競技者にとって基本的なことで、もちろん私もその部分を意識して練習に励んでいた。
「えっと、技術点と芸術点ですよね」
「そうだな。触る技術と、触るまでの過程がいかに芸術的かを表す芸術点。しかし、もう一つ、公表されていないが知られざる得点というのが存在する」
「そうなんですか!?」
そんなの入門書には載っていなかった。どういうことだ。
「驚くのも無理はない。これはSOS(society of OSIRI SAWARI 全国お尻触り協会)が秘密裏に行っていることだからな」
「それは、一体……」
「それは、印象点。お尻触りという競技に対する熱意や愛情だ。それが強ければ強いほど印象点が高くなる。本来、技術点と芸術点は十点満点とされているが、本当は九点なんだ。残りの二点がこの印象点にあたる。主観的な指標となってしまっているが、上位に食い込むためには、この印象点が重要となってくるんだ」
「それならば私は誰にも負けません!」
「いいぞ、その意気だ! 試合まで後一ヶ月、気を抜くなよ」
「はい!」
そうして私は特訓へと明け暮れていった。
◆
試合当日。私は万全の状態で試合に臨んだ。
特訓の成果もあり、私はまずまずの成績で決勝戦まで進むことが出来たのだ。妻も固唾を呑みながら会場で私を応援してくれている。がんばらねば。
しかし、決勝の相手は、私よりもずっと高い点数で勝ちあがってきた強敵。私よりもずっと若いあいつは体力もあり技のキレも桁違いだった。あいつに勝つためには、私は限界を超えなければならない。
そう決意した矢先、中央の会場で大きな歓声が沸き起こった。
「なんと! 技術点9.8、芸術点9.5、合計19.3点です! これは歴代大会の最高得点とタイ記録です! 果たして、このまま優勝が決まってしまうのか、それとも大逆転があるのかぁ!」
実況の声を聞きながら私は競技を始めてからのつらい日々を思い返した。地味な筋肉トレーニングに始まり、掌の皮膚が向けパンパンに晴れるまで触り続けた特訓の日々、フットワークを繰り返した私の足の裏はもうガチガチに堅くなっている。
こんなに練習を積んできたんだ。きっと大丈夫。
私は自らに言い聞かせながら、試合開始のブザーを待った。
◆
十五メートル四方の狭い空間。そこでお尻をかけた攻防が繰り広げられる。それがお尻触り。その狭い世界に全てをかけた私には恐いものなど何もなかった。ただ、目の前にいる若く可愛い審判のプリっとしたお尻目がけてひた走る、それしかできることなどなかったのだから。
視界開始のブザーが鳴る。その音と同時に私はゆっくりと歩みを進め審判との距離を縮めていく。警戒する審判。その様子を見ながら私は、私の間合いである1.2メートルという距離まで近づいた。互いに睨み合う。空気はこれでもかというほど重い。
その刹那、目線を左に向ける。と同時に審判は逆側へ体を動かした。私はそれを見て瞬時に足を踏み込むと目線とは反対方向――つまり審判が動いた方向と同じ方向へと体を跳ねださせた。
「な――っ!?」
予期せぬことに顔をゆがめる審判。互いに近づいていく体に合わせ私は目の前にあるお尻へと右手を差し伸べる。
しかし、決勝戦の審判である彼女は一筋縄ではいかない。すぐさま体を切り返すのが無理だと分かった審判は咄嗟に体を宙に浮かせる。あるべき場所にお尻がないため、私の腕は空を切った。その手をあざ笑うかのようにバック宙をしていく審判。空振りした私と空中に飛んでいる審判は互いに見つめあい不敵に笑う。
私は宙を切った右手の勢いを殺さないように、そのまま回転した。後ろ向きのまま左手を審判の落下地点へと合わせる。しかし、審判は必死でお尻を落下地点よりも前へともって行き、その左手をもすり抜けていく。
しかしそれは予想の範疇。筋書き通りだ。
落ちてくるお尻の位置にあてがわれた左手を避ける為には、腰を前方に持ってこなければならない。そうすると、腰を突き出した形で着地することになりどうしても重心が後ろへ寄ってしまう。その隙を狙うのだ。
着地したと同時に、さらに回転して審判へと足払いをする。すると、案の定、容易に後ろ側へ、私から見て左から右へと身体を傾け倒れていく。倒れていく審判の左手を自身の左手で掴むと、私は強く手前に引いた。
すると審判の体は回転しうつ伏せ状態となり床へと倒れこんでいった。倒れた審判の片手を押さえた状態で私はお尻へと右手をそっと添えた。
アスリートらしい締まったお尻の筋肉は触れただけでも弾力があるのがわかる。その弾力を殺さぬよう、曲面に沿って掌を滑らせていった。指先まで神経を集中させ、お尻の端から端まで余すことなく味わっていく。
「あっ――」
私と審判が床に倒れこむや否や、審判の甘い吐息が会場に響いた。
開始、僅か十数秒の出来事だった。一瞬の静寂の後、割れんばかりの歓声が響き渡った。その歓声は、今日最も大きかった。その歓声の大きさが示すが如く、私は第二十八回お尻触り選手権において、晴れて優勝を飾った。人生、生きてきてこれほど嬉しいことはない。私は歓喜に震え自宅へと戻った。
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家で待っていたのは、おいしい料理と妻の笑顔、ではなく、屈強な警察官の群れだった。
「なっ、どういうことだ!? おい! なんとか言え――痛ぁっ、ひっぱるなよ、おい、おい!!」
警察官は私の両腕を掴むと、強引に連れて行く。
「妻が、妻が勧めてきたんだ、この競技を! おい、助けてくれっ、どういうことなんだ」
妻を見ると、その口角はあがりきっており、ここ数年では見たこともないほど嬉しそうな表情だった。私はわけがわからずただ叫ぶばかり。
こんなことになるのなら、あんな競技やらなきゃよかった。そもそもおかしかったんだ。お尻触りだなんて競技、あるはずがないのに。
私は後悔と憎しみを内在しながら、刑務所へと連れて行かれた。私の目には、妻の歪んだ、赤い三日月が染み付いて離れなかった。
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妻がいつも行くスーパー。そこには一つのチラシが置かれている。申し込み者用と対象者用。そのうちの申込者用のチラシには、こんなことが書かれていた。
「痴漢予備軍、近くにいませんか? 彼氏や旦那がこの競技に興味を示したら危険信号! 賞金をもらって、ついでに一緒に使えない旦那も痴漢も撃退しよう! By 警察庁」