侯爵令息との対話 2
一瞬、ミラは目の前の紳士から放たれたその言葉の意味がわからなくて凍りついた。
まさか。いやまさか少しばかり雰囲気は変わったが、絵に描いたような紳士のエセルがあんな粗雑な言葉遣いをするわけがない。きっと気のせいだ。空耳に違いない。
だがエセルはさらに追い打ちをかけてきた。
「あんた一体、十七年も生きていて何をしていたんだ」
あからさまな侮蔑の視線。
それは明らかに目の前の紳士が、黙って微笑んでいればきらきらしい紳士であるエセルから向けられている。
ようやく気付いた。
ああ、自分は騙されていたのだと。
「……ロード・エセルはそちらが素ですか?」
低くそう尋ねるとエセルは笑った。上品な良家の御子息らしさなど微塵も感じられない皮肉っぽい顔で。
「もちろん」
紳士ぶっていても実際に中身が紳士であることなど稀だ。嘘偽りは処世術でしかない社交界に身を置く者なら尚さら。
あの口うるさい兄だって社交界での評判はいいのだ。いつだって澄ました笑顔を浮かべているものだから、その容姿に騙されたご婦人達に「まさに紳士の中の紳士」などと言われたりしている。実際はいつもしかめっ面で口うるさくて保守的な頑固者なのに。
「あーあ、騙された」
ミラはうんざりと肩を落とした。
先に素を晒してきたのはエセルだ。ならミラとてこれ以上猫を被る必要もないだろう。
「あまりに堂に入った上品な言葉遣いと立ち居振る舞いにすっかり騙されたわ」
恨みがましく見てもエセルは余裕を崩さない。どころか更なる悪態をついてきた。
「自分から知ろうとしない人間はいつだって騙されるだけだろう」
突き放すような温度のない言葉にさすがに怒りが湧いたが、エセルの言葉は事実だ。
兄が女に学問は必要ないと言ったからあまり学ぶ機会がなかったというのもあるが、知ろうとしなかったのはミラ本人だ。おとぎ話レベルの昔話を知っただけで、それ以上を自ら学ぼうとはしなかった。
それはミラの怠慢で、呆れられても仕方ないとも思う。
「……ではロード・エセルが教えて。その辺の子供よりは詳しい知識を」
挑むようにエセルを見ると、彼はにんまりとどこか意地悪く笑った。
「その辺の子供より詳しい知識を俺が持っているとは限らないのでは?」
本当にさっきまでとは別人だ。社交界では皆猫を被っていて当たり前だが、こうも見事な豹変ぶりなど初めてお目にかかった。呆れ驚くより、いっそ感嘆するほど見事だ。
「あなたが知りもしないことをあたかも知っていることのように話すほど恥知らずな人ではないと見込んで聞いているの」
「箱入りのお嬢様にはもう少し他人を疑うことをお薦めするよ」
エセルの皮肉っぽい言葉にミラは口を尖らせる。
「箱入りなんかじゃないわ。カゴ入りよ、カゴ入り」
「カゴ?」
怪訝そうに聞き返してくるエセルに胸を張って答えてやる。
「箱に入っていたら外のことなんて全然見えないでしょうけど、私は違うもの。カゴの網目からほんの少しだけで外が見えていたもの。全然見えていないのと、少しでも見ていたのじゃ全然違う」
「はぁ、カゴなぁ。自称カゴも箱も大して変わらないように思うが」
感心したのだか、呆れたのだかわからないような声を上げてエセルは首を傾げる。
「まぁどちらにしてもエディの教育方針か。先代殿とは随分違うよな」
エディは兄の愛称だ。幼い頃ならともかく今となっては母か乳母くらいしか呼ぶこともないし、兄自身そう呼ばれることを許す人間ではないのだが、エセルはまた特別なのか。
「あなたは本当に兄上と親しいの?」
ここまで唐突に豹変されると先程まで話した全てが疑わしく思えてくるのだが。
疑惑の目を向けるミラにエセルは笑う。意地悪くもなく、皮肉っぽさもなく、子供のように楽しげに笑う。
「エディは俺の数少ない幼馴染みだと思っている。年は違ったし、性格も違ったけど、あいつは物知りだったからいつも後をついて回ったな。気が向けば遊んでもくれたし」
「ふぅん。兄上がねぇ」
そんな面倒見のよい人間だったことなどあっただろうか。とても信じられない。