epilogue 3
それは短く簡潔な答えだった。簡潔すぎて一瞬意味が理解できなかった程に。
しばらく間を置いてからようやくその言葉の意味を理解したミラはつい大きな声を上げた。
「盗まれたって、遺産を!?」
「そうだよ」
わざとらしく煩わしそうに手で耳を塞ぎながらエセルは答えた。そうしてミラに向けられた目には怒りの色がはっきりと浮かんでいる。
「八年前、まだまだ世間知らずのガキだった俺は迂闊にも遺産を奪われた。あの当時はまだ遺産がどういう価値のものか理解していなかったとは言え、俺の人生最大規模の失態だ」
そう心底忌々しげに、吐き捨てるように言う。
最近魔術師の遺産などという存在を知ったミラにはその価値は今一つよくわからない。
けれど自分の指にずっと嵌っている薔薇の指輪は非常に精巧な作りで、通常のアクセサリーと同じように考えたらとても高価なものになるだろうということくらいはわかる。八百年前の代物ということを考えてもこれだけ状態がよく残っているのだ。アンティークとしての価値も高いだろう。
ただしこれはただのアクセサリーでもアンティークでもない。四人の魔術師がそれぞれ己の魔術を込めて作った道具で、四人の血統で尚且つ力のある魔術師でなければ手にすることはできない。そしてその魔術師にさらに力を与えてくれる。
エセルから聞いたそれらの情報だけでも、この薔薇の指輪がただの貴金属や骨董とは一線を画す、非常に希少な物だということは確かだ。そうなると値段がつけられるものではないのかもしれない。
ちらりとエセルを見上げると、彼は非常に不機嫌な顔で頬杖をついていた。
平気で室内を焼いたりするような男だ。エセルはあまり物に執着する人間ではないのだろうと思っていたが、さすがにそれほど貴重な物を盗まれたとなればさすがの彼も面白くはないのだろう。
「八年」
ぼそりとエセルは呟いた。
「盗まれてから八年、ずっと探し続けている。随分手を尽くしているんだけどな、こそこそ逃げ隠れするのが上手い野郎共で未だに捕まえられていないし、遺産も見つかっていない」
「それって、盗んだ犯人にいくらか目星はついているってこと?」
「ああ」
短く答えてからエセルは仕切り直すように息を吐いた。
「俺はあんたに頼んだよな。俺の目的のために協力してほしいって」
「言われたわね」
頼まれたというより脅迫だったが、とは思ったがさすがに空気を読んで今は黙って続きを聞くことにする。
そしてエセルは言う。
「俺の目的は、盗まれた俺の遺産を取り戻すことだ」
「取り戻す……」
「そうだ。そのためにあんたにも協力を仰ぎたい」
「断ったら殺されるんだっけ?」
するとエセルは朗らかな笑顔で答えた。
「まさか。俺の如き平和主義者がそんな野蛮な真似をするわけがないじゃないか」
「一週間前に火を点けたどこかの御曹司に聞かせてあげたい言葉だわ」
わざとらしく嘆息して、ミラも覚悟を決める。
「……まぁいいけど。あなたに恩を売っておくのも悪くないし」
「それは重畳。ならぜひとも早く魔術を身につけてくれよ」
「魔術が必要なの?」
確かにクロフォード家の力を以てして八年かけて見つからないような物、正攻法で探すのは無理があるかもしれない。魔術というのがどのような超常現象を起こすことが可能なのかはまだわからないが普通の人間に不可能なことができるのなら、エセルの目的を果たすことも可能ということか。
「けどそれならあなたが自分で探した方が早いんじゃないの? 知っての通り、私は魔術に関して全くの素人よ?」
「この間言ったろ? 遺産は盗まれたし、今の俺は大したことはできない。せいぜい手品まがいのことくらいでな」
「でも遺産の主は力のある魔術師しかなれないって言ったじゃない。ってことはあなたも元々魔術師として才能があるんじゃないの?」
そう尋ねるとエセルは渋い顔をした。
「俺は制約付きなんだよ」
「制約?」
「特定の条件下でないと大規模な魔術は使えない。そういう体質なんだ」
それは初耳だ。そんな魔術があること自体初めて知った。確かにこれは魔術について勉強したほうがいいのだろう。
けれどそれは置いておくとして、ミラにはエセルの言うことがそれほど面倒なことには思えない。
「それなら条件を満たせばいいだけじゃない」
条件下でなければ無理なら、その条件を満たせばいい。それだけだ。
けれど。
「無理だ」
やけにきっぱりとした、まるで拒絶するような声だった。
エセルは鋭いグレーの双眸をまっすぐにミラへと向けてきた。
「俺に条件は満たせない」
「何でよ?」
ミラが不審を全面に押し出した顔をすると、エセルは面倒臭そうに言った。
「俺だって自分の命は惜しいんだよ」
「何それ? どんな条件だって言うのよ」
「言えない。ああ、無理に聞こうとしないほうがいいぞ? 迂闊に聞いたらあんたは生涯呪われるからな」
「は!?」
エセルはにっこりと微笑んだ。
「魔術には色々ある。他人に聞かせるだけで呪うような危なっかしいものとか。俺の条件を聞くとな、漏れなくその呪いが発動するんだよ」
「の、呪いって何よ……」
「ん? まぁ大したものじゃないさ。ちょっと全身から一滴残らず血を噴き出して死んで、魂は悪魔に食われてしまって天国にも地獄にも行けないっていうだけのものだ」
きらきらしいエセルの笑顔とは対照的にミラの全身から血の気が引いて行く。
何が大したものじゃないのだ。そんなおぞましい最期を遂げる挙句に悪魔に魂を食べられるなど冗談ではない。悪魔なんてものが存在するのかどうかは半信半疑だが、そんな恐ろしい死に方はしたくない。
「わかった、わかったわ! もう聞かない、聞きたくない」
「そりゃあ懸命だ」
エセルはくつくつと笑ってから話を元に戻した。
「そんなわけで俺は大した魔術は使えない。だからあんたの助力が必要なんだ。ここまでいいか?」
「まぁ一応。けど魔術でどんなことをしろって言うの?」
盗品を取り返すのに必要な魔術など、どうにも想像がつかない。それとも『盗品を取り戻す魔術』というものがこの世には存在するのだろうか。