epilogue 2
「聞きたいこと? さっきの授業で何かわからないところでもあったか?」
「違うわよ。あの時、あなたが無謀にも自分のお屋敷の応接間に火を放った時のこと」
ミラが凄んでみせてもエセルはどこ吹く風だ。サンドウィッチを片手に首を傾げている。
「うん? あの時のことなら別に今さら説明しなきゃならないようなこともないだろ?」
「あるわよ。思えば重大なことをあなたは私に説明してないじゃない」
「重大なこと?」
まったく思い当たる節もないというようにエセルは眉を顰めた。
確かに彼のような人間からしたら、ミラが思っているほどほど重大なことではないのかもしれない。それでも聞かずにはいられなかった。
「あなたはあの時、あのまま火が消えなかったら自分も死ぬって言った。事前に自分一人どうとでも逃げ出す算段をしておくことくらいできたでしょう? なのに何だって私だけでなく自分まで死ぬかもしれないような状況を作ったの?」
もしかしたら口ではそう言っただけで、実は自分だけは、あるいはミラも助かるような手段を持ち合わせていたのかもしれないが。
だけどもしも本当だったのなら。もしも自分も逃げ出す手段などないような状態に自分も追い込んでいたのだとしたらミラには理解しかねる。
たかが知人の娘に魔術を使わせることが出来るかもしれないから、それも確率としては決して高くはない。そんなことのために自分の命を危険に晒せるものなのだろうか。
するとエセルは何でもないことのように言った。
「だってフェアじゃないだろう? あんただけ命の危険に晒しておいて、俺だけ安全なところにいたら」
「そりゃあ公平とは言い難いけど……」
納得できず口を尖らせるミラを遮ってエセルは続けた。
「俺はあんたには今後協力を仰ぎたいし、いくら俺だってカゴ入りのお嬢さんに無茶をさせたなぁくらいは思うわけだ。相手に命を懸けさせたのなら、俺も命を懸けて臨まなきゃそれは失礼ってものだろ」
それはいつもの軽口めいた調子と違って、本気で言っているのだとわかる真剣なものだった。
「意外にロード・エセルはフェアなのね」
「意外にって言うのが気になるところだが、俺はいつだってフェアな男だよ」
またいつものようにどこかふざけた調子でエセルは笑った。
もしかしたらミラは死んでいたかもしれない。この目の前の男に殺されていたかもしれない。それでも、その公平性には少しだけ尊敬の念を抱いた。だからと言って、あんなに心臓に悪い目に遭わせてくれたことは多分一生忘れられないだろうが。
「……フェアって言えばフェアだけど、でもロード・エセル。あなた絶対に私のこと嫌いよね」
ミラが険のある視線を向けると、エセルはそれを笑顔で受け止めた。
「それは仕方ない。俺は他力本願な人間は老若男女大嫌いなんだ」
「他力本願で悪かったわね」
確かにそれは否定できないが。
さらにエセルは貴公子然とした笑顔で続けた。
「その上何も考えず、守られている自覚すらなく他人に甘えながら生きているくせに、自己主張だけは一人前。こんな胸糞悪い女、そうそういないだろう」
笑顔で。きっと百人いる女性の九十九人が見惚れるだろうきらきらしい笑顔でそう言ってのけた。
別に彼に好かれたいわけではないが、さすがにそこまではっきり言われれば傷つく。そして同時に相当腹が立つ。
「ええ、ええ。あなたの仰る通りですとも。的を射すぎていて否定もできないわよ」
こめかみが引き攣るのを感じながら、ミラはカップの中の紅茶を一気に飲み干した。
エセルはそれをにやにやと眺めている。
「そう腹を立てるなよ。本当のことを言われたからって」
「うるさいわね。本当のことだから腹が立つのよ」
思い切り顔を背けると、エセルはますますおかしそうに笑った。
「素直なものだな、カゴ入りお嬢様」
「ふん。もうカゴは出たわよ。無理やり出てきてやったわ」
「それはめでたい。心から祝福させてもらおう」
「それはそれは。ありがとう存じますー」
仏頂面で答えると、さらに声を上げて笑い出したからますますもって腹立たしい。
もう時間も遅いことだしお引き取り願おうかと本気で考え出したところで、ようやく少しは笑いが納まったらしいエセルが声をかけてきた。
「祝辞ついでにもう一つ。大嫌いだったのはあんたがあの火に巻かれた中で選択するまでだ。自分で選択したあんたには、俺はそこそこの敬意を持っているよ」
ミラはカップを手にしたまま胡乱な視線をエセルに向けた。
彼はどうにも本意の見えない、底意地の悪そうな笑みを浮かべている。
それが敬意を抱く人間の顔だろうか。
「全然そう見えないんだけど」
「それはあんたの目が節穴だからだ」
やはり本意などこれっぽちも窺えない顔でエセルは笑った。
「まぁでもこんな国で魔術師になろうって言うんだ。その目も鍛えたほうがいいだろうな」
「別に私は魔術師になろうなんて気はないんだけど。最低限勉強しようとは思っているけど。あなたの言う通り、この国で魔術師なんて危なっかしくてなれないわよ」
「魔術を使う人間は皆、魔術師って呼ばれるんだよ。最低限勉強したらそれはもう立派な魔術師だ」
「ふぅん。認可がいるのかと思った」
「昔はあちこちの国で王家公認の魔術師なんてのもいたらしいが今はないな」
確かに魔女狩り最盛期の現在、魔術師の存在など公認されるわけもないか。されたとしても王家公認魔女扱いされ、公的犯罪者扱いだろう。
「それじゃあ魔術師の組織とかってないの? 魔術師協会認定とか」
「魔女狩りがそれほど盛んじゃない国……大陸の端のほうだとかならあるかもしれないが、少なくともアヴァロン周辺の国にはないな。うっかり魔術師が徒党を組んだら革命を起こそうとしているなんて邪推されかねない」
「ああ、魔女狩りの大義名分を与えるようなものだものね」
「そういうことだ。百年くらい前だったか。四人の魔術師の末裔で組織されたクラブもあったらしいが、大陸の魔女狩りの影響でいつの間にか解散していたって話だ。まぁ懸命だったな」
「四人の魔術師ねぇ」
ミラは左手の中指を見下ろした。手袋の下で微かに存在を主張している薔薇の指輪は、やはり外れることもなく今も確かにそこにある。
「あ、ねぇ。ロード・エセルも魔術師なんでしょ? じゃあクロフォード家もその四人の魔術師の末裔なの?」
「あーまぁそうなる」
何だか曖昧な答えだ。彼にしては珍しい。
ミラが首を傾げているとエセルは言った。
「正確にはどこの誰とは言えない。何しろその四人が存在した時代から八百年。四人はそれぞれ王族貴族になったんだ。貴族階級は貴族階級同士で結婚することが多いだろう。八百年のうちにそうして貴族階級の大半は四人の血が混じった勘定になると言っていい」
「そうなの?」
「もちろんヘリテージ家だって例外じゃないからな。多分四人全員の血が混じっていると思っていい。ただヘリテージ家は既に断絶したルイ・レヴェックの直系に最も近い家で、尚且つその遺産も受け継いだ家だから俺も便宜上、あんたをルイ・レヴェックの末裔って言ったが、厳密に言えばあんたは他の三人の魔術師の末裔でもあるってことだ」
「へぇ。じゃあもしかしてよその貴族にだって私達以外に魔術師がいるかもしれないの?」
「どうだかな。前にも言ったが世界的に魔術師は減っているからな。うちだって親父殿や兄上、母上とも魔術なんて全く使えない。俺やあんたはこんな時代に運悪く先祖返りでもしたってところだろう。まったく運が悪いにも程があるってものだ」
大仰に肩を竦めてエセルは言う。自分の境遇を嘆いているようにも、そうでないようにも、どうとでも取れるような調子で。
どうにも内面を覗きがたい彼をじっと見ていると、エセルはどこか呆れたような顔でミラの左手へ視線を向けてきた。
「おまけにあんたに至ってはその指輪を見られたら言い逃れも出来ないしな」
「特に何の謂われもない、ごく普通の指輪ですって言い張ってもダメなものかしら」
「どうだろうな。ただルイ・レヴェックの遺産として薔薇の指輪が遺されているっていうのは今でも知っている人間は知っているから、相手によっては言い逃れ出来ないだろうが」
「じゃあやっぱり人に見られないようにするのが一番なのね」
幸いアヴァロンは最も気温の高い夏でも夜は肌寒いくらいだから、一年中手袋をしていたところでそれほど不都合はないが。
「あ、遺産と言えば他の三人の魔術師はこの指輪みたいな遺産を遺したって言っていたじゃない? だったら他の遺産は現存しないの?」
途端、エセルは顔を背けて露骨に不機嫌な表情浮かべて顔を背けた。眉間にしわを寄せて、窓の方に向けられた目は据わっている。
「三つ全てが現存いるかは確かな証拠はない。ただ俺はその三つのうちの一つをこの目で見ている」
「そ、そうなんだ……」
一応答えてはくれたがやはり不機嫌だ。声のトーンがいつもよりずっと低い。
いつもへらへら笑っているだけに、こうも不機嫌を全面に押し出してこられると少し怖い。これならあの炎に巻かれた時のように怒鳴ってくれたほうがまだいいかもしれない。ただでさえミラは機嫌が悪くて静かになる人間というのは兄を思い出して苦手なのだ。
やはりこれは話の矛先を帰るべきか。けれど下手に話を逸らしたらあからさますぎて余計に機嫌が悪くなったりしないだろうか。
内心冷や汗を垂らしていると、ミラの心中などおかまいなしにエセルは低い声で唸るように言った。
「少なくともかつては俺もあんた同様、遺産の一つを持っていた」
「え? 持っていた、の?」
恐る恐る尋ねるとエセルは小さく頷いた。
「あんたと同じだよ。俺も遺産に選ばれた主だった。過去形だけどな」
「過去形ってどういう……」
「盗まれた」