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epilogue 1

「お、終わったぁ!」

 ミラは両手を上げて詩集と広げたノートの上に突っ伏した。

「おい。終わったらノートを寄越せ。採点するから」

「後でいいじゃない。それよりもこの節までの訳が終わったらお茶の時間にしてもいいって言ったんだから」

「お茶の時間なんてとっくに過ぎているんだよ。見ろ、窓の外を。すっかり日が傾いている」

 エセルの指の先を見ると、確かにさっきまで鮮やかな青空が広がっていたはずの窓の向こうはうっすらと赤く染まっている。

「うそ。いつの間にそんなに経っていたの?」

「あんたがこれっぽっちの訳に時間をかけすぎたからな」

 うんざりした顔でエセルはミラの下から奪ったノートに目を遣った。

「うん、まぁだいたいできているな。若干気になる所がないでもないが。まずここの動詞は――」

「解説は後にしてよ。もう頭が限界。甘い物を摂らないとせっかく解説してくれてもきちんと頭に入らないわよ。さぁアフタヌーンティーの時間だわー」

 不満そうな顔をしたエセルを横目にミラはベルを鳴らして使用人を呼んだ。

 やってきた年嵩の女中にお茶の用意を頼むと、すぐに紅茶とお茶菓子が運ばれてきた。

 部屋の中心にあるテーブルにお茶の用意がされていく様を見守り、女中が退室するなりミラは机を離れてテーブルへと向かった。

「ほらほら先生。せっかくの紅茶が冷めちゃいますからお茶しましょうよ」

 そう言いながらもミラの眼中にエセルは既にない。

 テーブルに置かれた三段プレートにはスコーンにローストビーフを挟んだサンドウィッチ、そしてミラが待ち望んだベリーパイが乗っている。

「ああ、会いたかったわベリーパイ」

 うっとりとした表情でプレートを見つめるミラにエセルは大きく溜息を吐いて、諦めたように彼女の向かいの椅子に座った。

「もうあんたはベリーパイとでも結婚しろよ。お幸せに」

 あからさまに小バカにしたような態度にミラは口を尖らせながら紅茶に砂糖を入れた。

「ふん、兄上が文句を言わないなら私はベリーパイとでもスコーンとでも結婚してやるわ。私は見ず知らずの殿方よりもベリーパイのほうが愛しいもの! 今の私の愛はベリーパイだけのものよ!」

「胸を張って言うな。かわいそうになってくる」

 エセルはスコーンにクロテッドクリームを塗りながら憐れむような視線を送ってくる。

「余計なお世話よ。我が家のお菓子に文句があるなら食べずに帰って。あなたの分は私が食べてあげるから」

「いや味に文句があるわけじゃないって。うん、美味いな。いいシェフを雇っているな。給金三倍出すからうちに来ないかって伝えておいてくれ」

「我が家のシェフは家宝も同然よ。冗談じゃないわ」

「……そんな本気で睨むなよ。どれだけ食い意地が張っているんだ」

 エセルは紅茶にブランデーを垂らしてミラから目を逸らした。

「私の日々の楽しみは食事とお茶くらいなの。兄上が何かって言うと礼儀作法の勉強だ、刺繍の腕を上げろ、ピアノとヴァイオリンのレッスンを増やせだのってうるさいからそうそうくつろいでいられないんだからね」

 不貞腐れた顔でミラは紅茶に口をつける。

「その上で今度はフランシズ語の授業は増えるし。しかも魔術だの古語もやれなんて聞いてないわよ」

「仕方ないだろ。魔術書のほとんどは昔書かれたものだから古語で書かれているんだよ。まあんたは現代フランシズ語は一応できているようだから、とりあえずは古語が優先だな」

「うわぁ嫌だ。魔術が必要だって言うなら魔術書を読むなんて遠回りな方法じゃなくて、ロード……じゃなくて先生が直接扱い方を教えてくれればいいじゃない」

 かわいらしさなど微塵もなく顔を歪めるミラにエセルは滔々と説く。

「魔術って言ったって色々種類があるんだよ。呪文を必要とするもの、道具を必要とするもの、必要なのは本人の才能だけだっていうもの。地域や民族によって全然違ったりする。だからまずはどれが自分に一番向いているかを知るためにも先人の遺した魔術書を読むなりして一通り魔術の知識をつけてもらう。実践はそれからだ」

「聞いているだけでうんざりしてくるわ」

「それに付き合わなきゃならないと思うも俺こそうんざりしてくるんだが」

「文句なら兄上に言ってちょうだい」

 ミラはフォークでパイを一口大に切りながら答えた。

「そもそも兄上がいけないのよ。今までこんなに私をカゴ入りにして魔術からも遠ざけてきたくせに、今さら魔術を勉強しろだなんて。本当に横暴なんだから」

 不満を口にしながらもパイを口にすれば自然頬が緩む。

「はぁ美味しい。この木苺とブルーベリーの甘酸っぱさが何とも言えないのよね」

「そりゃあ食材も本望だろうよ。……で、エディが悪いって話で思い出したが、そのお宅の兄上殿からの伝言だ。『魔術を使うことを薦めはしないが、最低限の扱いくらいは覚えるように。尚且つ当家の名誉を汚すような淑女らしからぬ振る舞いなど決してしないように』だそうだ」

「……美味しいパイを台無しにするようなことを言わないでよ。あーもう兄上も言いたいことがあるなら私にはっきり言えばいいのに!」

「あんたに面と向かってはっきり言ったら思い切り反発されるのが目に見えているからだろうよ。さすが兄。妹の性格をよくわかっているな」

 そう言ってエセルはおかしそうに笑った。

 一体何がそんなにおかしいのかと食ってかかりたい気分だったが、せっかくの美味しいパイを前にこれ以上不快な気分になるのはもったいない。エセルを睨むだけ睨んでミラはもくもくとパイを口に運んだ。

「そう言えば」

 ふと思い出したようにエセルがカップを手にしたまま口を開いた。

「うちの応接間の修繕が終わった。以前とほとんど変わりない状態だ。エディからあんたが気にしていたって聞いたから一応報告しておくな」

「終わった、ってもう? あれからまだ一週間よ?」

 辛うじて形は留めていたものの、壁紙もカーテンも家具も真っ黒になって焼け落ちたのに。

「言ったろ? 修繕の得意な魔術師に頼めばすぐ元通りだって。捕まえるのにも取引するのにも若干時間と手間はかかったけどな。まぁ何とかやらせたさ。何なら見に来るか?」

「いえ、遠慮しておく」

 ミラは真顔で即答した。

 確かに確認してみたい気はするが、一度死にかけたような場所に好き好んでもう一度足を運ぶ気にはなれない。それにこの、今一つ何を考えているのかわからないエセルのことだ。またうっかり彼のテリトリーに足を踏み入れて命の危機を感じるような目に遭わされてはたまらない。

「そうだ。私、あなたに聞きたいことがあったんだったわ」

 ミラはフォークを置いてエセルを見た。

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