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令嬢の諸事情

 大陸の西の島国アヴァロン。

 八百年の歴史を持ち、元は小さな島だけが領土だったが八百年の間に世界中に植民地を広げ、太陽の沈まない国と呼ばれるようになって長い王国。

 そのアヴァロン王国の本国である島国、その首都リンディン。

 物語はそこから始まる。




 ヘリテージ伯爵家の屋敷は多くの招待客で溢れかえっていた。

 エドワード・ヘリテージ伯爵はまだ二十七歳と若く、理知的な美貌の伯爵と社交界で名高い。既に妻を迎えてはいるが今も婦人達からの人気は高く、夜会を開けば大勢の招待客が詰めかけてくるのはヘリテージ家では見慣れた光景だ。

 しかし近年さらに招待客の数が増したと、華やかな夜会の裏で働き通しの使用人達の間では嘆きの声が聞こえる。

 招待客がさらに増えたその要因であり、さらには使用人達同様、夜会の裏で溜息を零すのは先日十七歳になったばかりのヘリテージ伯爵家の末娘ミランジェ・ヘリテージだ。


 兄であるヘリテージ伯爵や義姉、母と共に招待客達に挨拶を済ませ、ようやく一人になったミランジェ・ヘリテージことミラは大きく息を吐いた。

 栗色の巻き髪に深緑の大きな双眸、兄に似て容貌に恵まれたはずの少女はにこやかに招待客達と挨拶を交わしていた時とは別人のようにうんざりとした顔だ。

「ああ疲れた」

 今日初めて着る、仕立てたばかりの惜しみなくレースとフリルをあしらったピンクを基調にした夜会用ドレスの着心地は最高だ。姉に贈られた、薔薇の細工が施されたネックレスとピアスもお気に入りで身につけていると幸せな気分になれる。それは今日も例外ではなかった。少なくとも、先程の招待客への挨拶前までは。

 一人でバルコニーに出ると、庭園に咲く薔薇の香りが微かに漂ってきた。甘い香りに少し頬が緩むが、そう簡単に今日の気分は浮上しそうにない。

 夜風にあたりながら、ミラは口を尖らせる。

「兄上め。またあんなに独身男を呼んでくれて……どれだけ私に結婚させたいのよ」

 ヘリテージ家の夜会を訪れる招待客が増えた理由。それはヘリテージ伯爵が妹の結婚相手として見つくろった独身男性達を招待するようになったからだった。

「まだ私は結婚なんてする気はないって言っているのに……何でああ人の話を聞かないのよ。無駄に偉そうだし、何様のつもりなのよ」

 まだ周りの同世代の友人たちだって結婚していないと訴えているのに、あの頑固な兄は妹の意見を全く聞き入れる気がないらしい。

 兄とは十も年が離れているため、幼い頃からほとんど交流がなかった。その上、保守的で謹厳実直な兄と陽気で楽しがりの自分とでは性格が違いすぎるのだ。

 さらに数年前、父である先代ヘリテージ伯爵が死んで以来、当主としての自覚を持ち過ぎたのかますます頑固になって、何かとミラの生活にまで口を挟むようになってきたのだからたまったものではない。


 ――そのドレスは品がない。

 ――遊んでいる暇があるならピアノのレッスンを増やせ。

 ――修道院付属の寄宿女学校に入って少しは淑女らしさを身につけて来い。

 ――社交界デビューも済ませたのだから早く嫁に行け。

 ――いいから嫁に行け。

 ――口答えせず嫁に行け。


 そうして今まで並べられてきた言葉を思い返していくうちにますます気分がめいってきた。

「鬱陶しい……分かってはいたけど鬱陶しすぎるわよ、何なの? あの兄は……嫌がらせ? 神経衰弱でもなったらどうしてくれるのよ」

 とは言え、所詮は養われの身だ。貴族らしい優雅な生活が送れるのは全て兄が伯爵としての務めを果たし、父が起こした事業を受け継いでくれたからだ。

 父が亡くなった時、世間知らずの母と姉、そして自分だけではあっという間に資産を食い潰し、今頃路頭に迷っていただろう。

 何不自由のない暮らしをさせてくれる兄にはもちろん感謝している。けれど昔よりさらに酷くなった過干渉と過保護は別だ。姉に対してはそうでもなかった気がするのだが、なぜか兄はミラにばかり鬱陶しいほど干渉してくる。少し出かけるにも渋い顔をし、可能な限りミラを屋敷から出そうとしない。屋敷で暮らしている分には何も言われないが、ひとたび外出となれば家族の誰かに付き添ってもらい、さらに使用人も数人連れて行けと言う。

 王族ではないのだからそこまでしなくても問題ない、むしろ自意識過剰のようで恥ずかしいと何度訴えても兄は聞く耳を持たない。

 ところが社交界デビューを果たしてからというもの、今度は何かと言うと結婚しろと言ってくる。それこそ結婚しろが挨拶代わりになるほど言われる。

「ずっと軟禁生活が続いたと思ったら、今度はよっぽど私を家から出したいって言うのかしら。……何よ、こーんな可愛らしい妹がいて何が不満だって言うのよ」

 口に出してみると余計気分が沈んだ。

 兄は自分が嫌いなのだろうか。

 昔から気が合うとは言い難かったが、嫌われていると感じたことはなかった。両親や乳母(ナニー)は皆、兄は心配性だから年の離れた妹が心配でしょうがないのだと笑っていたけれど。

「けど、最近の兄上は明らかに私を追い出したがっているようにしか思えないじゃない」

 屋敷内からは音楽が流れてくる。もう舞踏会は始まったのだろう。

 早く戻らねばまた兄から怒涛の勢いの小言を浴びせられてしまう。

「あーあ。でも戻りたくない」

 紹介される紳士達は皆下心が隠し切れておらずそのほとんどが、黙っておけば深窓の令嬢であるミラの外見に騙された者、あるいは伯爵家の資産狙いだということがありありしていて、会話するだけで気疲れしてしまう。

 そんな人間と結婚して生涯を共にしなければならないなど、考えただけで憂鬱になる。

 かと言ってミラは自分から進んで結婚相手を探しに恋愛をしようと思えるタイプの人間ではない。未婚女性の地位が低いこの国では生涯独身で過ごすということは難しい。決して不可能なわけではないが、男家族にお情けで養ってもらうか仕事を探すかしなければならない。あの兄にいつまでも自分の言いつけに背いて独身でいる妹をお情けで養ってくれる人情があるとは思えない。となるとどこか家庭教師(ガヴァネス)の仕事でも探すか。王宮で侍女として仕事を探そうかとも思ったが、自由気ままに生きるミラに務まるような仕事とは思えない。そもそもこの国には上流階級の女が働くことは卑しいという古い意識が根付いている。

 保守的な兄のことだ。仕事を探して一人で生きて行くと言っても猛反対され、無理やり適当な貴族に嫁に行かされて終わるだろう。

「もう修道女になるしかないかしら」

 修道院で神に一生を捧げ、清く正しく暮らす……ミラには一番向いていない気がするが、この際贅沢は言っていられない。

 結婚してその気もない男との生活に生涯を捧げるか、修道女となって生涯を神に捧げ過ごすか二つに一つだ。

 何という究極の選択だ。

どうしようかと大きく溜息を吐いた時。

「あまり外にいては冷えてしまいますよ」

 背後から聞こえてきた柔らかな声音にミラは反射的な振り返った。

 そこには黒のタキシードを着て正装した紳士が柔和な笑みを湛えて立っていた。

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