クロフォード侯爵邸への招待 3
「それではもう少々お待ち下さいませ」
老齢の執事はそう言って静かに応接間を退室した。
一人残されたミラはテーブルの上に置かれたカップを手に取った。東国風の白磁のカップには香りのよい紅茶が注がれている。
大きな窓から差す陽光に照らされた室内は広すぎず狭すぎず居心地がいい。大理石風に塗られた壁にかけられている絵画は明るい色彩の風景画。ミラが腰をおろしているソファやセンターテーブルはウォールナット材で、主張しすぎないが繊細な彫刻が施されている。
王国有数の大富豪の邸宅なのだから当たり前と言えば当たり前だが、全てが全て一流のものだ。
これがエセル・クロフォードと話をするために来たのでなければ目の保養にでもなっただろうに、と思いながらミラは紅茶に口をつけた。
香りのいい紅茶は味もよかった。淹れた人間が上手なのだろうし、もともと良い茶葉を使っているのだろう。本当にこれでただ楽しくお茶をするだけだったらよかったのに。
名門貴族にして大富豪の次男。クロフォード家は二つの爵位を持っている。現在の当主がクロフォード侯爵を名乗り、そして今はクロフォード家の持つもう一つの爵位、子爵位である長男がいずれはクロフォード侯爵の名を継ぐ。そして次男であるエセルは現在長男が名乗る子爵位を譲り受けるのだろうとは噂好きの知人に聞いた話だ。
エセル・クロフォードは現在十九歳で、留学先から帰国してからは王立大学で博物学を専攻しているらしい。
アヴァロンでは長子相続制のため、いくら貴族でも次男三男は分与される財産は微々たるものだ。そのため次男以下は法律家や聖職者などの格の高い職業に就くため、皆それなりに苦労して勉強するのだが次男と言えど、いずれ継ぐ爵位があるならそう苦労することもないらしい。エセルは大学でも自分の専攻以外の学問も気ままに学び、学生生活を謳歌しているらしいとのこと。
持つ者の余裕とでも言うのか、エセルはただ立っているだけで品があり、まさに紳士の中の紳士だ……とは知人の言だ。
クロフォード家の次男を知っているかと聞いた知人たちは、皆そのようなことを言っていた。生涯苦労なく過ごすことができるだろう資産と紳士的な物腰、そんな点からエセルはミラと同世代の貴族の令嬢達の理想の結婚相手として秘かに噂になっていたらしい。
実際はただの性悪なのに、皆見事に騙されている。
兄といいエセルといい、実際は性格のねじくれた者ばかりなのに、それを見事に隠して社交界での評価は高いというのだからミラとしては男性不信になりそうだ。
そしてお茶を飲み終えた頃、応接間の扉がノックされた。
ようやくお茶会の主催者様のお出ましか、と身構えたミラに対し、室内に入って来たエセルはと言えば欠伸をしながら気の抜けた様子だ。
「あー今日はようこそ。ヘリテージのお嬢さん」
寝ぼけているかのようにその目は開ききっておらず、かろうじてフロックコートを羽織ってはいるがボタンは止められておらず、とりあえず一応羽織りはしたという感じだ。
今までの緊張感が消え失せていくとともに、ミラの中に小さな怒りが芽生えていく。
「ちょっとロード・エセル。あなた、人を招いておきながらその格好は何よ? お客様を迎える時は身だしなみくらい整えるものでしょ? そしてそのやる気のない言葉は何? 私は客人よ、もっときちんと迎えなさいよ」
「昨夜遅かったからあまり寝てないんだよ……勘弁してくれ。それに俺とあんたの仲じゃないか。今さら格式張ったところで気色悪いだけだろう」
また欠伸をしながらエセルはミラの向かいのソファに腰を下ろした。
一体どんな仲だと言うのかと思いながらも、確かにエセルの本性を知っているミラに今さら紳士然とした態度をされたって滑稽なだけだ。だからと言って人を招いておきながらその態度はないだろう。
「……クロフォード侯爵家の次男殿ともあろうお方が女性を前にそのような無礼をなさるとは思いませんでした。こんなこと、社交界の女性達が知ったら嘆き悲しみますね」
せめてもの腹いせに満面の笑顔でそう言ってやると、エセルは気のない調子で返してきた。
「そうだなぁ。完璧に紳士を演じてきた俺だが、今さらカゴ入りお嬢様が何を言ったくらいでも少しくらいは影響があるかもしれないからなぁ。でもカゴ入りお嬢様の言をそう簡単に鵜呑みにする連中はどれだけいるだろうなぁ」
どうでもよさそうに言う割に、いちいち人の神経を逆撫でるように言ってくるからこの男は性格が悪いと言うのだ。
確かに今さらミラが何か言ってもエセルの評価にはこれっぽちも影響しないのではないかという気はする。それくらいエセルは完璧に猫を被りきっているらしいことは、知人達の証言で忌々しいほどに理解した。
「もういいです。私が悪かったです。今さら紳士らしくしてくれなんて申しません」
「ご理解いただけて何より。それであんたも今さら言葉遣いを改める必要もないんじゃ? 少正直俺もあんたの本性を知っている以上、今さら淑女らしくされても怖いんだが」
「怖いって何よ、失礼ね。別に嫌味を言うため以外にあなたに他人向けの言葉遣いなんてしないから安心してよ」
「あぁそれはよかった。もしこのままあんたの言葉遣いがそのままだったら蕁麻疹でも出るところだった」
本当に失礼な男だ。実はこの男は失礼の国の王子か何かなんじゃないだろうか。女性にこんな無礼な働く男がアヴァロンの紳士だなんて信じたくもない。
ミラは怒りに身を震わせながらエセルを睨んだ。
「人を脅迫するわ、無礼発言を連発するわ、あなた何!?」
「脅迫? 俺がいつ脅迫なんてしたよ?」
エセルは大きく目を瞬かせた。
「したじゃない! この招待状!」
ミラは招待状を取り出してエセルの前に突きつけた。
封筒から取り出された白い便箋の一枚目、一行目。
「この出だしの『ヘリテージの魔女殿へ』って! これって脅迫よね!? どう考えても招待に応じなかったら私が魔術師だってスタンリー派に言いふらすってことよね!?」
「あーそんなこと考えもしなかった。ただ単にちょっと砕けた感じで招待しようと思っただけで」
人を小バカにしたような笑みを浮かべてエセルは言う。そして続けた。
「脅迫だなんてとんでもない。ただ俺は、あんたに協力を仰ぎたいだけなんだからな」
「協力?」
何てこの男には似合わない言葉だろう。
訝しげにミラはエセルを見るが、当の本人はまるで気にする様子もなく話を続けた。
「そう、協力。俺にはちょっとした目的があってね。ミランジェ・ヘリテージ。もしあんたが俺に協力してくれるなら、俺はクロフォード家、そして俺の持ちうる全てを以てあんたとヘリテージ家を支援しよう」
「……断ったなら?」
恐る恐る聞いたミラに、エセルはにっこりと微笑む。
「かの王太后の耳に、ヘリテージ家の令嬢が魔術師だという噂話が舞い込むことになるだろうな」
「や、やっぱり脅迫じゃない!?」
思わずミラは立ち上がったが、エセルはソファに腰を下ろしたまま、まるで悪魔のような綺麗な顔で言うのだ。
「人聞きの悪い。これはただのお願いだよ」