勝者が語らぬ歴史 7
なぜ突然そんな話になるのか。
その困惑がはっきり顔に出ていたのだろう。エセルはにやりと笑った。
「あいつは末の妹の身を案じて案じて、それこそハゲてしまいそうなほどに案じているから。だからあんたをさっさとヘリテージ家から出してしまいたいのさ。それこそ出来るなら他国の貴族の嫁にでもやってしまいたいところだろうよ」
「待って。家族や領民を大事に思っているまではいいわよ? その辺りまでなら私も一応納得している。けど、何でそれが私の結婚に繋がるの? そりゃあいつまでも結婚しそびれていたら心配されるのはわからなくもないけれど、私はまだ十七よ? 社交界では二十一くらいまでに結婚するのが理想と言われているけど、それにはまだ四年もあるし、十七で結婚なんて、王族同士の結婚ならともかく普通だったら少し早いくらいよ」
だからこそミラは、そんなに自分を早く家から出したいのかと兄に対する反発心と、それにほんの少しの寂しさを抱いていたのだ。
そう考えながら少しばかり気落ちしてきたミラに、エセルはそのグレーの双眸をまっすぐに向けてきた。
「言ったろ? エディは家族が大事、特に年の離れた末の妹であるあんたが大事なんだ。だから、あいつはあんたをヘリテージ家から出してしまいたい。出来る限り早くに」
「……大事だったら何で私を追い出そうとするのよ」
大事だったらなおのこと、まるで追い出すように嫁にやろうとなどするだろうか。少なくともミラだったら大事なものを遠くへやりたいなどとは思わない。思えない。
今まであまり仲が良くなかったことも相まって、兄は自分を厭って嫁にやってしまいたいのだとしか思えない。
鬱陶しいとは思っていた。幾度となく思っていた。けれど決して嫌いなわけではないのに、兄にとってはそうではなかったのかもしれない。血の繋がった妹と言えど、本気で嫌って家から出してしまいたいと考えているのだと思った。
それが悔しくて悲しくて、どうしよもなく寂しくて、だからミラはますます兄に反発するようになっていった。
好きな人に嫌われるのが辛いなら、だったら自分も兄を嫌いになってしまえばいいと思った。だけどどんなに鬱陶しくて気が合わなくても、この世にたった一人の兄なのだ。父が亡くなった後、必死の思いでミラや家族を守ってきてくれた大事な兄なのだ。嫌いに何てなれるわけがなかった。
目に涙が滲むのを感じてミラは慌てて俯いた。唇を噛みしめ、両手を握りしめて涙が乾くのを待った。
「……あんたも知っているだろうけど、あいつは感情表現の不器用な男だからわからいにくいだろうけど、あんたが大事なんだよ」
顔は見えないが、その声がどこか今までよりいくらか優しく感じられた。
「あんたを守りたいから、あいつはあんたをこの家から出したいんだ。ずっと目に届くところに置いておいたのだってそう。せめて結婚するまでは自分の手で守りたいと、確実に守りたいと思ったんだ」
エセルの言っていることはよくわからない。
よくわからないけれど、その言葉が本当だったらとても……とても嬉しい。
「出来るだけあんたの存在を伏せておきたかったんだ。あんたは――だから」
「え?」
途中、よく聞こえなかった。
ミラは手袋で目元を拭って顔を上げた。
「今、何て?」
エセルはどこか複雑そうな顔をしてミラを見ていた。
「私が、何?」
何だかとても大事なことを言われた気がする。
沈黙したままのエセルの視線がミラの左手へと向けられた。
白い長手袋をした左手に。
よく見なければ気付かないほど、ほんの少しだけ手袋が膨らんだ左手の中指に。
「……ヘリテージ家が薔薇好きなのは、きっと先祖もそうだったからだな」
静かにエセルは呟いた。
目線はミラの左手から外さないまま。
「知っているか? この国を創設した四人の魔術師の一人は薔薇の紋章を使っていたんだ。四人の魔術師はそれぞれに自分の魔術を込めた道具を遺した。薔薇の紋章を使っていたルイ・レヴェックは薔薇をかたどった指輪を遺した」
「薔薇をかたどった……指輪」
ミラは無意識に右手を左手の中指に重ねていた。
「王国の建国から八百年余り。今や四人の創設の魔術師達の名前はアヴァロン王家とウォルター家しか残っていない。否、ウォルター家は前王妃の処刑と同時に当主や一族の数名が処刑され、残った一族も爵位も領地も没収され離散したっていう話だから、今となってはアヴァロン王家以外に魔術師達の名前を残す家はないか。けど、名前がなくなっても血は残った。そしてその血と共に、始祖である魔術師達の遺した道具も」
「……あなたは何が言いたいの?」
心臓がやけにうるさい。
これ以上、エセルに話をさせていいのだろうか。
「ルイ・レヴェックの名は既に残っていない。けれど、その血は今も確かにこのアヴァロン王家に残っている。直系ではなくとも、その血は今も生きている」
これ以上聞いてはいけない気がする。
いけない気がするのに耳を塞げない。
聞かずにいられない。
聞けばきっと、もう後戻りは出来なくなるのに――。
「もうこれ以上、迂遠な言い回しも無粋ってものか。なぁ? ルイ・レヴェックの末裔ヘリテージ家が代々受け継いできた薔薇の指輪に選ばれた人間。薔薇の指輪に選ばれた魔術師、ミランジェ・ヘリテージ」
射るような冷たいグレーの瞳から目が反らせぬままミラは長手袋の下、左手の中指にはまった指輪の存在を強く感じていた。