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「平凡女子の、ことはちゃん、でーす」

 

 もうずっと前のことだ。



「はーい、みんなー! 今日は授業参観です。お父さんお母さんに胸を張れるように、頑張りましょうねー!」



 担任の教師の言葉に続いて、はーい! という元気な子供らしい声が重なる。教室の後ろで見守っていた保護者たちの間から、くすくすと忍び笑いが聞こえてきた。



「じゃあみんな、昨日書いた作文を発表しましょう! まずは阿部あべくん!」

「は、はぃっ」



 指名された生徒が、ガチガチに緊張した様子で立ち上がって、原稿用紙を読み上げる。



「ぼ、ぼくのっ、しょうらいの、ゆめは、しゃっ、しゃちょーに、なること、ですっ」



 吃りつつも一生懸命に夢を語る姿に、暖かな視線が集まる。

 順番が次の女子生徒に移ると、彼女は前の生徒の態度など知らないとばかりに意気揚々と語り出した。



「わたしのしょうらいのゆめは、すてきなおよめさんになることです! きれいなウェディングドレスをきて、まっしろなけっこんしきじょうで、すきなひととけっこんします!」



 夢見る小学生らしい、可愛らしい発表だ。ふふんと誇らしげに胸を張るところも、少女らしい。


 次々と生徒たちが将来の夢を発表していく中で、最後に指名された女子生徒が、薄い笑みを浮かべて立ち上がる。

 その目は、どこか焦点が定まっていない。



「私の将来の夢は―――――」



 他の生徒とは比べ物にならないほど流暢に滑り出した言葉に、教室中の音が消えた。
















「……よし、じゃあ今日はここまでだー。全員、ノート書き終わったか? ……いいな。じゃあ消すぞー」

「待って、センセー待って! 俺まだ終わってない!」

「待ってあげて先生! 村田、早く行かなきゃならんのよ! 憧れの先輩の元に!」

「好きな先輩に告白しなきゃならんのよ! 今のところ脈なしだけど!」

「うるせぇ!!」

「そうかそうか。はい消去ー」

「無慈悲っ! 待って、待ってって!」

「先生の悪魔!!」

「鬼ィ!!」



 悲鳴を上げる男子生徒に構わず、さっさと黒板の文字を消していく教師に非難がかかる。

 そんなクラスメイトたちを尻目に、ふぃーっとのんびり息を吐く女子生徒がいる。



「ったく先生め……悪りぃ幽斎ゆうさい! またノート見せてくれ!」

「いーよー」



 気の抜ける返事をした彼女に、俺も私もという生徒たちが群がる。

 それに対して本人は、見ているとなんとなく肩の力が抜ける笑顔で「いーよー」とやはりのんびりノートを見せる。



「おっしゃ終わったぜ! ちょっと部長のとこ行ってくる!」

「行ってらー」

「おお、行ってこい村田! そしていい加減言ってこい! 好きですってなぁ!!」

「それは無理だな!!」



 好きな先輩と一緒にいたいという理由で美術部に入部した村田が、陸上部顔負けのスピードで廊下を駆けて行った。

 クラスメイトたちは今日こそ告るぞ、いや無理だろと面白おかしくその様子を見送る。



「村田ってほんと一途よねぇ……琴葉ことは、あんたは好きな人とかいないの?」



 友人に訊かれた彼女は、あははー、と笑って言った。



「いなーい、よー。私は誰とも、オツキアイしないのー」



 ―――高校一年生の幽斎琴葉は平凡である。


 学力も運動神経も平均的で、特段良くも悪くもない。

 容姿も平凡。彫りの浅い素朴な顔立ちで、自然な可愛らしさはあっても、すべての人間が振り返るほどの美少女というわけではない。

 おしゃれ好きの女子軍の中では、簡単に埋もれてしまう容姿。


 性格は波風立てない主義で、あまり自己主張は激しくない。つまりは普通。


 全てが平々凡々で、特筆すべきところは一切ない。ちょっと驚くほどないのだ。

 強いて言うなら、焦茶色の髪は肩元で切り揃えられているが、前髪が長く左目が隠れてしまっていることくらいだろうか。

 彼女がそこまで前髪を伸ばす理由は誰も知らない。


 そんなザ・平均女子の琴葉。

 だが本人は、そんな普通に充実した日常を気に入っていた。



「おーいしー」



 昼休み。モグ、と口の中に詰めた卵焼きをゆっくりゆっくり咀嚼した琴葉は、こくんとそれを嚥下して、次のおかずへ箸を伸ばす。

 この間、約四十五秒だ。長い。



「琴葉って食べるの遅いよねぇ」



 一緒に食べていた友人がそう苦笑すると、本人は「だってー、美味しーんだもーん」とのんびり返して、小さな口にブロッコリーを放り込む。友人はさらに苦笑を深めた。


 弁当箱に注がれる視線で言いたいことはわかる。食べるのが遅いくせに量が少ない、と言いたいのだろう。


 実際彼女のものと比べると、その半分もないのだから、かなりの少食だ。

 しかし琴葉は、だからこそ味わって食べているのだと胸を張って言える。


 というか以前実際に言った。ふふんっと発育途中の胸を張ってドヤ顔を披露すると、なんとも複雑そうな表情で頭にチョップが降りてきた。遺憾の意。



「あんた、そんなに少食だといつかぶっ倒れるよ」

「私、とってもけんこーう」

「知ってる。ほんと意味わかんないよね」



 琴葉は毎年受けている健康診断で「驚くほど良好です」の言葉以外受けたことがない。友人はそれが不気味らしい。幽霊か、と言われた。失礼な。



「おーい、難波ー!」



 弁当箱を片付けたところで大声で名前を呼ばれた琴葉は、ふっと顔を上げて担任の教師を見た。その拍子に前髪がさらりと揺れて、押さえるように手を添えた。


 グッチーというあだ名で親しまれている担任は、何やら教卓に大量の資料を置いている。もしやあれを運べということだろうか。



「琴葉、グッチー呼んでるよ。行ってあげな! ガンバ!」

「うーん、うん。わかったー、行ってくるー」



 友達の雑な応援を受けて教卓に寄っていった琴葉は、案の定資料を資料室まで運ぶように頼まれた。「お前どうせ暇だろ?」と押し付けられたとも言う。


 確かに琴葉は委員会にも入ってないし、用事もないので引き受けたが、貧弱な女子の腕では中々に重い。



(なーんで男子に頼まなかったんだろーなー)



 資料室はニ階、琴葉のクラスの階は三階である。階段を一つ降りれば辿り着くとはいえ、量の多さにげんなりしてしまう。


 資料を落とさないようにゆっくりゆっくり廊下を歩くが、重みのせいで時々ふらついた。この学校は廊下が長いので余計に。


 琴葉の通う高校は地元では名の知れた名門私立、星歌志せいかし学園。俗に言うお金持ち学園というやつだ。

 数多の芸能人や政治家、資産家などが輩出されてきた有名校で、進学科の偏差値は72を超える。


 特に生徒会に所属する生徒はとびきり優秀で、生徒たちから絶大な人気を誇っている。

 全員が成績優秀で運動神経抜群、その上容姿端麗だ。校内は彼らとお近づきになりたい生徒で溢れている。


 まあ、琴葉はそうは思わないが。



(どーでもいー、よねー)



 ヨイショと資料を抱え直して階段を降りると、踊り場の窓から中庭の景色が見えた。

 真っ白に塗られた噴水の縁に誰かが座っていて、その周囲に人が群がっている。



(……あれ、生徒会の人だー)



 件の生徒会メンバーの一人で、確か琴葉と同じ一年生だ。全校集会などで見たことがある。

 みんなの中心にいるその人物は大きな身振りで何かを話して、周りはそれに合わせて笑っている。なんとも楽しそうな光景だ。



(……いー、なぁー……)



 ぼんやりとそれを眺めていると、不意にその人物が顔を上げた。

 何を思ったのか、そのままこちらへ視線を寄越し―――にっと、琴葉に明るく笑いかけた。



「…………んぇ?」



 突然のことにぽけっとしているうちに、その人物は会話に戻ってしまった。

 友人らしき人物に肩をどつかれ、楽しげな笑顔が弾けている。会話の内容はきっと「どこを見てたんだ」とかそういうのだろう。


 だが琴葉はそれどころではない。バクバクと激しく鳴る心臓がうるさくて、思わずギュッと胸を掴んだ。



(……見てた。あの人、私のことを―――)



 その胸の高鳴りは、恋―――ではなく。

 まごうことなき、焦りだった。



「…………っ、はっ………!!」



 全身から冷や汗が噴き出していた。たらり、と額を伝う感覚が不快だった。

 思わず資料を抱えたまま、その場にうずくまる。



(大丈夫、大丈夫……今のは、偶然。あそこからは五十メートル以上離れてるし、ここは二階だし、見えるわけがない……大丈夫、だいじょーぶ……)



 内心で必死に自分に言い聞かせて、ひたすら深呼吸を繰り返す。


 どのくらいそうしていたか、やがて琴葉は立ち上がり、かぶりを振った。

 その顔には、いつもの軽薄な笑みが浮かんでいる。



「だいじょーぶ。しりょーしつ、行かないとー」



 先程までうずくまっていたとは思えないほど飄々とした調子で呟いた琴葉は、気を取り直して階段を降りていく。


 資料室に入ると、古い紙の匂いが鼻をついた。資料で溢れた部屋は教室の半分ほどで、窓から入った太陽光が室内を照らしている。



「えーと、ここかなー」



 適当な机に資料を置いて、ふぅっと疲労の息を吐く。肩が凝っていたので、腕を大きくぐるりと回した。


 疲れた。やはり男子生徒に頼めばよかったのに……とグッチーを恨めしく思っていた時、不意に風が吹いて、積み上げられていた資料の何枚かが宙を舞った。



「わっ、あー!」



 慌てて手を伸ばした時、彼女の背後から突然伸びた腕がそれを掴んだ。

 驚いて振り返り、直後に硬直する。



「おっと、うし! 取れた! ハイこれどーぞ!」



 まるで太陽のように暖かく、明るい笑顔。

 その姿に、心臓がバクリと嫌な音を立てる。

 なんとか口元に笑みを浮かべるが、口の端が僅かに引き攣っていた。



「あり、がと、ございます……」



 震える手でなんとか資料を受け取ると、琴葉はもう一度「ありがとうございます」と頭を下げて、すぐに部屋を出ようとした。

 だが振り返った瞬間に腕を掴まれ、ガチッと固まる。


 琴葉としてはすぐにでもその場を離れたかった。

 なぜなら彼は、先程中庭にいた生徒会員で、人気者。一緒にいるところを見られたら、どんな噂が立つことか。

 それに琴葉は、彼と視線を合わせるのがなんとなく気まずかった。



「待って! ねぇ君、名前なんていうの?」

「……山田花子でーす」



 一瞬迷ったのち、琴葉は堂々と嘘をついた。

 でも山田花子はなかった。偽名感ダラダラである。

 流石に信じないかと見上げた先にあったのは、変わらずピカピカの笑顔だった。



「花子ちゃんかあ! 俺は光成こうせいしゅんっていうんだ! よろしくね!」

「信じたー……」

「うん?」



 どうも単純な性格らしい。不思議そうに首を傾げる姿が、無邪気な子供のように見えてならない。

 舜はにぱぁと笑って、琴葉の両手を取った。



「花子ちゃんって、何年何組?」

「四年十組ですー」

「えっ、俺一年生だから先輩だ!」


(アホなのかなー)



 無邪気かつ天然かつ鈍感なイケメン陽キャ。それが舜の属性らしい。

 いっそなんか面白く思えてきて、すっかり焦りもなくなって、琴葉は舜で遊ぶ体制に入った。



「花子先輩は、何が好きですか?」

「美味しいものは好きだよー」

「好きなタイプは?」

「アジサイの似合う人ー」

「じゃあ花が好きなんすね!」

「うんにゃ、お花嫌い」

「えっ」



 物凄く遊んでいる。オロオロと右往左往する舜が面白いらしい。

 んふふー、と笑った琴葉は、ふと疑問に思ったことを問いかけた。



「きみ、どこから来たのー?」

「あっはい! ◯◯町3丁目×××-△△△……」

「住所を訊いてるんじゃなーい、かなー……」



 測らずとも得てしまった情報が恨めしい。これが女子軍にバレたらどうなることか。

 そんなことを考えながら、琴葉は舜を見上げる。


 百七十センチは悠に超えるだろう長身。撫で付けられた明るいトーンの茶髪がオシャレで、全体的にイケメンな陽キャという感じだった。

 だが琴葉の目には、イケメンは映っていない。



(おっきいわんこ……)



 全力で尻尾を振る大型犬にしか見えなかった。



「そうじゃなくてねー、ここにどうやって入ってきたのかなー、ってねー」



 なにせ舜は、先程まで中庭にいたはずである。ついでに言えば、扉が開く音は聞いていない。

 舜は変わらずピカピカの笑顔で言い放った。



「窓から入りました!」

「まど、からぁ……?? どうやって?」

「壁に足をかけて、こう、ひょいひょいーっと!」



 ここ二階なんだけどなぁ、と琴葉は首を傾げた。

 確かによく見れば窓の一つが空いている。あそこからは入ったのだろう。



(前世、お猿さん……?)



 もしくは忍者かなにかなのだろう。多分。


 窓の外からは、舜を探すファンたちの声が聞こえてくる。

 ふむ、と一つ頷いた琴葉は、握られたままの手を握り返した。

 輝きの増した笑顔ににこっと笑い返した琴葉は、そのまま舜を窓際まで誘導した。



「花子先輩? どうしたんすか?」

「えーとねー、窓の外見てー」

「? はいっす!」



 言われた通りに外を見た舜を横目に、琴葉は一歩後ろに引いた。

 舜がそれを疑問に思うより一瞬早く、琴葉は彼を全力で突き飛ばした。細身の体が宙に浮く。

 えっ、と驚いて振り返った舜は、そのまま地面へ落下していく。彼に気づいた生徒たちの間から悲鳴が上がった。


 しかしそんな周囲の心配とは裏腹に、舜は咄嗟に受け身を取った。壁を一蹴りして勢いを殺し、そのままスタッと地面に着地する。

 その人間離れした身体能力に、周囲から拍手が湧いた。



「舜くん、すごぉーい!」

「カッコいー!」



 向けられた賞賛に舜は笑顔で応えて、それから資料室の窓を見上げた。



「先輩……?」



 資料室の窓辺にはすでに誰もいなくて、パステルグリーンのカーテンだけが、風を受けてぱたぱたと靡いていた。

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