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第21話 三十八歳と、小手調べ

「プロジェクト・獅子王」の成功から、一週間が経過した。

 パーティ「月兎」の日常は、穏やかで、しかしどこまでも充実していた。

 午前中は、ギルド島の最新鋭訓練施設で、それぞれが自らのビルドの習熟度を上げるための個人トレーニングに励む。午後は、ラウンジで作戦会議を開き、SeekerNetの膨大なデータベースを元に、次なる目標についての議論を重ねる。

 その全ての費用は、彼らが自らの力で稼ぎ出した潤沢な資金によって賄われていた。

 彼らのレベルは20を超え、その魂は、もはやF級ダンジョンでゴブリンに怯えていた頃のそれではない。

 確かな実力と、揺るぎない自信。そして何よりも、互いへの絶対的な信頼。

 彼らはすでに、新人という名の蛹を破り、中級探索者という名の蝶へとその姿を変えようとしていた。


 その日の午後。

 いつものように、ラウンジのテーブル席で膨大なダンジョンデータを分析していた三人の間で、一つの結論が導き出されようとしていた。


「――やはり、次はD級に挑むべきですわね」

 麗華が、そのARウィンドウに表示されたいくつかのダンジョンのホログラムを、女王のように見下ろしながら言った。

「ええ」

 葉月もまた、その隣で自らがまとめたリスク分析レポートを提示しながら頷いた。

「私達の現在のレベルと装備、そして資金力を考えれば、D級ダンジョンの攻略は十分に現実的な目標です。むしろ、これ以上E級に留まることは、時間効率の観点から見ても得策ではありませんわ」

 そのあまりにも的確な、そしてどこまでも冷静な二人の天才の分析。

 それに、誠一は満足げに頷いた。

「ああ。俺も同意見だ」

 彼はそう言うと、その二つのARウィンドウの間に、自らが作成した一枚のシンプルなマップを投影した。

「俺たちの最初のD級の舞台は、ここだ」


 彼が指し示した場所。

 そこに記されていたのは、一つの、どこまでも不吉な、そしてどこまでも挑戦心を煽る名前だった。

 D級ダンジョン、【古代のカタコンベ】。


 ◇


 ポータルをくぐり抜けた瞬間、三人の全身を、これまでにないほどの冷たく、そしてどこまでも死の匂いがする空気が包み込んだ。

 ひんやりとした洞窟の湿気ではない。甘く物悲しい廃墟の庭園の香りでもない。

 何百年もの間、封印されていたかのような乾ききった埃の匂い。そして、その奥に微かに混じる骨と腐敗と、そして絶望そのものの匂い。

 彼らが降り立ったのは、一つの巨大な地下墓地だった。


 壁も床も天井も、全てが風化した無骨な石材で覆われている。壁の等間隔に掘られた無数の横穴には、かつて生きていたであろう名もなき者たちの骸骨が、まるで芸術品のように整然と並べられていた。

 唯一の光源は、壁に設置された不気味な青白い炎を灯す魔法の松明だけ。その光が、どこまでも続く回廊を不気味に照らし出し、三人の影を、まるで亡霊のように長く、長く引き伸ばしていた。


「…うぅ。少し、気味が悪いですわね…」

 麗華が、その美しい顔をわずかに歪ませた。

「はい、麗華様。アンデッドモンスターは、精神に干渉する特殊な攻撃を仕掛けてくることがあります。常に、解呪のフラスコを準備しておいてくださいまし」

 葉月が、その冷静な声で忠告する。

 そのいつもと変わらないやり取り。

 それに、誠一はふっと息を吐き出した。

 そして、彼は言った。

 その声は、この死の領域の重い沈黙を切り裂くかのようだった。

「――行くぞ。ここが、俺たちの新しい職場だ」


 ◇


 彼らがその回廊を、慎重に、しかし確かな足取りで進んでいった、その時だった。

 前方の闇の中から、カランコロンという、乾いた骨がぶつかり合うような音が響き渡った。

 そして、その闇の中から、一体、また一体と、青白い燐光をその眼窩に宿した骸骨の戦士たちが、その姿を現した。

【スケルトン・ウォリアー】。

 D級の最も基本的な、しかし最も厄介な雑魚モンスター。

 その数が、十数体。

 F級のゴブリンとは比較にならないほどの、統率の取れた軍隊のような動き。

 だが、今の彼らにとって、それはもはや脅威ではなかった。


「――始めますわ」

 葉月の、その静かな宣言。

 彼女が、その手に持つ魔導書を開いた。

 そして、彼女は詠唱した。

 三つの異なる属性の、しかし等しく絶望的な呪いが、同時にその戦場を支配した。

時間(じかん)(くさり)】【脆弱(ぜいじゃく)呪い(のろい)】【元素(げんそ)弱体(じゃくたい)呪い(のろい)】。

 スケルトンの軍勢の、その俊敏な動きが鈍重なものへと変わり、その骨の鎧が脆いものへと変わり、そして、その魔法への抵抗力が無へと帰していく。

 そのあまりにも完璧な、そしてどこまでも美しい下準備。

 それに、誠一と麗華は最高の形で応えた。


「――そこだ!」

 誠一の毒の瓶が、扇状に、そして寸分の狂いもなく、その軍勢のど真ん中へと叩きつけられた。

 緑色の毒の霧が、炸裂する。

「――スパァァァク!!」

 麗華の、その黄金の雷霆が、その毒の霧をさらに増幅させるかのように、その全てを焼き尽くした。

 数秒後。

 そこには、絶対的な静寂と、そしてその中心で、おびただしい数の魔石(ませき)の山を前にして、その完璧な勝利の余韻に浸る三人の姿だけがあった。

 彼らは、もはや言葉を交わす必要すらなかった。

 ただ、互いの目を見るだけで、その次に為すべきことを完璧に理解していた。


 ◇


 そこから先は、もはやただのダンジョン攻略ではなかった。

 一つの、完璧な「作業」だった。

 彼らは、そのD級の複雑に入り組んだカタコンベを、まるで自らの庭であるかのように進んでいく。

 スケルトンの軍勢も、ゴーストの集団も、そして肉塊のゴーレムも。

 その全ての脅威が、彼らのそのあまりにも洗練された三位一体の攻撃の前に、ただの経験値と、そして資金へとその姿を変えていくだけだった。


 そして、数時間の探索の末。

 彼らはついに、その場所へと到達する。

 カタコンベの最深部。

 ひときわ巨大な、円形の礼拝堂のような空間。

 その中央に、それはいた。

 黒檀の巨大な玉座。そこに、一体の禍々しいオーラを放つ骸骨の王が、静かに鎮座していた。

 その身を包むのは、古代の王族が纏っていたであろう豪奢な、しかし血と闇で汚れたローブ。その手には、先端に巨大な髑髏が埋め込まれた黒い杖が握られている。

 そして、その空虚な眼窩には、このカタコンベに眠る全ての魂の憎悪と絶望をその一身に集めたかのような、禍々しい青白い鬼火が不気味に燃え盛っていた。

【カタコンベの屍王(しおう)(リッチ)】。


「――来ますわ!」

 葉月のその警告と、ほぼ同時に。

 リッチが、その髑髏の杖を天へと掲げた。

 その杖の先端から、おびただしい数の紫色の呪いの弾丸が、雨のように三人へと降り注いだ。

 だが、その全てが空を切る。

 三人は、その死の弾幕を、まるでダンスを踊るかのように華麗に、そして優雅にすり抜けていく。

 そして彼らは、その嵐のその中心へと、完璧なタイミングでその反撃の狼煙を上げた。


 戦いは、熾烈を極めた。

 だが、彼らの心に焦りはなかった。

 リッチが放つ強力なネクロマンシーの魔法も、葉月の三重の呪いがその威力を半減させ。

 リッチが召喚する無限のスケルトンの軍勢も、誠一の毒の瓶がその進軍を完全に食い止める。

 そして、その二人が作り出した絶対的な安全圏の中から。

 麗華のその神々しいまでの雷霆が、リッチのその不死の肉体を確実に、そして着実に削り取っていく。

 それはもはや、ただの戦闘ではない。

 一つの、完璧に計算され尽くした勝利への方程式だった。


 そしてついに、その時は来た。

 リッチのその最後の、そして最も強力な魔法が不発に終わった、そのコンマ数秒の硬直。

 そのあまりにも大きな、そしてどこまでも決定的な一瞬の隙。

 それを見逃すほど、彼らは甘くはなかった。

 三つの異なる属性の、しかし等しく致死的な死の奔流が、一つの場所へと収束した。

 リッチの、その玉座に座る無防備な心臓部へと。

「――終わりですわ!」

 麗華の、その勝利を確信した絶叫。

 それが、このD級ダンジョンにおける最初にして最後の、神々の時代の終わりを告げるファンファーレとなった。


 ◇


「ふん。D級と言っても、この程度ですのね。拍子抜けですわ」

 ダンジョンから帰還した三人は、ギルド島のラウンジでその日の祝杯をあげていた。

 麗華が、その少しだけ上気した顔でそう言って、不敵に笑う。

「ああ。油断はできないが、E級と比べてそこまで大きな差は感じなかったな」

 誠一もまた、そのビールのジョッキを傾けながら頷いた。

「やはり、本当の勝負はB級からか…」

 彼のその視線は、もはや眼下のD級にはない。

 その、さらにその先。

 ギルドのデータベースに表示されたB級ダンジョンのリスト。

 そこに記された赤い髑髏のマークと共に、「警告:世界の呪い」という禍々しい文字へと向けられていた。

 彼らの本当の戦いは、まだ始まってもいなかったのだ。

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