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第16話 三十八歳と、王の庭

 斎藤誠一、天龍院麗華、相川葉月の三人は、もはやただの新人パーティではなかった。

 彼らのレベルは8を超え、F級ダンジョンは彼らにとって庭のようなものとなっていた。毎日のように繰り返されるダンジョン周回は、退屈な作業であると同時に、彼らの連携をまるで一本の鋼鉄のワイヤーのように強く、しなやかに鍛え上げていった。

 そして、彼らのギルド内口座には、地道な金策の果てに1000万円に迫る資金が蓄えられていた。

 E級ダンジョンへと挑む準備は、もはや十二分に整っていた。


 その日の朝。

 ギルド島「高天原」の、荘厳なポータルゲートの間。

 三人は、いつもより少しだけその表情を引き締めていた。

「――行きますわよ」

 麗華の、そのどこまでも気高い声が、静寂な空間に響き渡る。

 彼女のARウィンドウに表示されていたのは、もはやゴブリンの洞窟ではない。

 一つの美しく、そしてどこまでも不吉な名前だった。

 E級ダンジョン【廃墟(はいきょ)と化した王族(おうぞく)庭園(ていえん)】。


 ◇


 ポータルをくぐり抜けた瞬間、三人の全身を、これまでにないほどの甘く、そしてどこか物悲しい香りが包み込んだ。

 ひんやりとした洞窟の湿気ではない。キラキラとした胞子の舞う、幻想的な光でもない。

 雨上がりの青々とした草木の匂い。そして、その奥に微かに混じる、朽ち果てた大理石と錆びついた鉄の匂い。

 彼らが降り立ったのは、一つの忘れ去られた楽園だった。


 壁も床も天井も、全てが様々な色に輝く「発光苔」と、腰の高さほどもある巨大な「発光キノコ」で覆われている。それらが放つ、ぼんやりとした幻想的な光だけが、唯一の光源だった。

 空気中には、常にキラキラとした胞子が舞っている。

 かつてこの場所が、どれほどの栄華を誇っていたのか。それを物語るかのように、苔むした石畳の道がどこまでも続いていた。道の両脇には、蔦に覆われた美しい彫刻が施されたベンチや、半分崩れ落ちた噴水の残骸が、まるで墓標のように点在していた。

 そして、その道の先、霧の向こうに、巨大な白亜の宮殿のシルエットがぼんやりと浮かび上がっていた。


「…綺麗ですわ…」

 麗華が、そのあまりにも美しい、しかしいつまでも物悲しい光景に、感嘆の声を上げる。

「はい、麗華様。ですが、油断は禁物です」

 葉月が、その夢見心地な主君を、冷静な声で現実へと引き戻す。

「事前のデータによれば、このダンジョンに出現する敵は、かつてこの庭園で飼われていた魔法生物の末裔。知性も高く、厄介な特殊能力を持つ個体が多いとのことです」

「ああ」

 誠一が頷いた。

「今日の俺たちは、ただのレベル上げじゃない。『うろつく獅子』を狩り、カードを手に入れる。目的を忘れるな」

 そのあまりにも的確な、そしてどこまでも冷静なリーダーとしての言葉。

 それに、二人の少女の表情が引き締まった。

「「はい!」」

 三人は、その廃墟の奥深くへと歩みを進めていった。


 ◇


 庭園を進むにつれて、敵の姿も、次第にその凶暴性を増していった。

 だが、今の彼らにとって、E級の雑魚モンスターなど、もはや脅威ではなかった。

 そして、数時間の探索の末。

 彼らは、ついにその場所へと到達する。

 宮殿の中央広場。

 かつては王族たちが、華やかな夜会を開いていたであろう円形の巨大な中庭。

 その中央。

 血で黒ずんだ巨大な大理石の玉座の上に、それはいた。


「…あれが」

 葉月の、震える声。

 玉座にその巨大な体を横たえ、退屈そうに欠伸をしていたのは、一頭の獅子だった。

 その体長は、5メートルを超えているだろうか。その全身は鋼鉄のような黒い毛で覆われ、その筋肉はまるで鎧のように隆起していた。そして、その両の眼は、地獄の業火のように赤く燃え盛っていた。

 E級ダンジョン【廃墟と化した王族の庭園】のボス、【うろつく獅子】。

 そのあまりにも圧倒的な、そしてどこまでも暴力的な存在感。

 それに、三人はゴクリと喉を鳴らした。


 獅子は、その玉座からゆっくりと立ち上がった。

 そして、その赤い瞳で、侵入者たちの姿を値踏みするように捉えた。

「――来ます!」

 葉月の、悲鳴に近い声。

 それを合図にしたかのように、獅子はその大地を蹴った。

「呪いをお願いします!」

 誠一が叫ぶ。

「――時間(じかん)(くさり)!」

 葉月の呪いが、その神速の突進を、わずかに、しかし確実に鈍らせる。

「まず攻撃パターンを見るぞ!」

 誠一の冷静な声が、二人の少女の恐怖に染まりかけていた心を、現実へと引き戻した。


 獅子の最初の攻撃。

 それは、あまりにもシンプルで、そしてどこまでも致死的な飛びかかり攻撃だった。

 だが、呪いで10%はスピードが落ちている。

 その、コンマ数秒の猶予。

 それが、三人の運命を分けた。

 三人は、その死の爪を、それぞれ異なる、しかし完璧な動きで回避する。

 麗華は、その魔法の力で、数メートル後方へと瞬間移動。

 葉月は、その計算され尽くしたステップで、最小限の動きで攻撃範囲から離脱する。

 そして、誠一は。

 彼は、その三十八年間の人生で培ってきた危険予測能力で、その攻撃の最も安全な死角へと身を滑り込ませていた。


「グルルルルル…!」

 最初の攻撃を完璧に回避されたことに、獅子はその喉の奥で、苛立ちの唸り声を上げた。

 そして、その次の一手。

 ひっかき攻撃。

 その鋼鉄の爪が、大気を切り裂き、五本の真空の刃となって誠一へと襲いかかる。

 だが、それもまた、呪いによって本来の速度を失っていた。

 誠一は、その全てをいともたやすく見切り、そして避ける。

 さらに、噛みつき攻撃。

 その全てを砕き尽くすかのような、巨大な顎。

 それすらも、今の彼らには届かなかった。


「――なるほど」

 数分の、一方的な、そしてどこまでも美しい回避行動の果てに。

 葉月が、そのARウィンドウに表示された戦闘ログを分析しながら呟いた。

「速度が落ちてなければ、数発は攻撃を貰っていてもおかしくないですね」

「ええ」

 麗華もまた、その杖を握りしめ、その瞳に確かな手応えを感じていた。

「ですが、これなら…いけますわ!」

「ああ」

 誠一が頷いた。

 彼の、その冷静だったはずの瞳に、今や確かな、そしてどこまでも獰猛な狩人の光が宿っていた。

「――分析は終わりだ。より、攻撃的に行くぞ!」


 誠一の号令。

 それが、反撃の狼煙となった。

 葉月の二度目の【時間(じかん)(くさり)】が、獅子の動きを完全に封じる。

 そして、その鈍重になった絶対的な的へと。

 二つの異なる属性の、しかし等しく致死的な死の奔流が叩き込まれた。

「――スパーク!」

 麗華の黄金の雷霆が、獅子の硬い毛皮を焼き焦がす。

 そして、誠一の緑色の毒瓶が、その傷口から確実に命を蝕んでいく。

「グルオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!!!!」

 獅子は、その人生で初めて味わう本当の「痛み」に、絶叫を上げた。

 だが、その時にはもう、全てが終わっていた。

 彼の巨大な体は、ゆっくりとその場に崩れ落ち、そして満足げな光の粒子となって消滅していった。


 静寂。

 後に残されたのは、絶対的な静寂と、そしてその中心で荒い息をつきながら、しかし確かな勝利を噛みしめる三人の姿だけだった。

「――まず1体、討伐完了!」

 誠一が、勝利を宣言した。

「…うーん。楽勝でしたわね」

 麗華が、額の汗を拭いながら、そう言って不敵に笑った。

「そうか?」

 誠一は、そのあまりにも楽観的な感想に、苦笑いを浮かべた。

「呪いが強いから、かなり脅威度が落ちてたが、そこそこ強いらしいぞ、アイツ。スピードタイプだから、呪いで攻撃速度が落ちてたしな」

 そのあまりにも的確な、そしてどこまでも冷静な戦況分析。

 彼らは、その日の戦果…おびただしい数のE級魔石(ませき)と、そして残念ながらドロップしなかった宿星のカードへの次なる挑戦権を、手早く回収するとその場を後にした。

 彼らの、あまりにも長く、そしてどこまでも過酷な「プロジェクト」が、今、確かにその第一歩を踏み出したのだ。

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