表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

13/21

第13話 三十八歳と、初めての弟子

 冒険者になって、三週間が経過した。

 斎藤誠一の日常は、もはや完全に、この新しい世界の理に染まっていた。

 彼のレベルは、すでに7に到達していた。F級ダンジョンは、もはや彼らにとって、脅威ですらなかった。ただ、経験値と資金を、効率的に回収するための「作業場」となっていた。


「――はぁ」


「…誠一さん、葉月。私、少し飽きてきましたわ」

 その、あまりにも正直な、そしてどこまでもお嬢様らしい一言。

 それに、後方で警戒を続けていた相川葉月が、呆れたように、その眉をひそめた。

「麗華様。まだ探索を開始して、三週間ですわよ。我々は新人なのですから、まずは基礎を固めることが…」

「ですが、基礎はもう完璧ですわ!見てくださいな、この、芸術的なまでの殲滅速度を!」

 麗華は、そう言って、その手に持つ杖をくるりと回してみせた。

 その、あまりにも子供っぽい、そしてどこまでも微笑ましい口論。

 それに、誠一は、苦笑いを浮かべながら、仲裁に入った。


「まあまあ、二人とも。麗華さんの言うことにも、一理ある。確かに、同じような敵ばかりでは飽きるよな」

 彼の、その鶴の一声。

 それに、麗華の顔が、ぱっと輝いた。

「では!」

「ああ。だが、E級に挑むには、まだ少し早い。俺たちのレベルも、装備も、まだ万全とは言えないからな」

 誠一は、その元サラリーマンらしい、慎重さで、その言葉を続けた。

「今日は、気分転換に、別のF級ダンジョンに行ってみる、というのはどうだ?」


 ◇


 彼らが、次なる舞台として選んだのは、【野犬の巣窟】と呼ばれる、岩と枯れ木に覆われた、荒涼としたダンジョンだった。

「…うわぁ。ゴブリンの洞窟より、さらに殺風景ですわね」

 麗華が、その不満げな声を上げる。

 だが、その彼女の言葉は、すぐに、別の音によって、かき消された。

 ガキンッ!

 キャンッ!

 前方の、大きな岩陰から、剣戟の音と、そして若い、悲鳴に近い声が聞こえてくる。


「――行ってみよう」

 誠一の、その静かな声に、二人の少女もまた、頷いた。

 三人が、その岩陰へと、回り込むようにして近づくと、そこには、信じられない光景が広がっていた。

 三人の、まだあどけなさの残る、若い探索者パーティ。

 彼らが、たった五体の、F級モンスター【ハウンドドッグ】に、完全に包囲され、なすすべもなく、蹂躙されていたのだ。


「くそっ!囲まれた!」

 パーティの、リーダー格であろう、大柄な、しかしその動きがどこかぎこちない、盾役の少年が、叫ぶ。

「ミカ!魔法はまだか!」

「ご、ごめんなさい!詠唱が、間に合わなくて…!」

 後方で、杖を構えた、小柄な少女が、涙声で答える。

 そして、もう一人。パーティのアタッカーであろう、ツインテールの少女が、その手に持った、身の丈には不釣り合いな長剣を、やみくもに振り回していた。

 だが、その大振りな攻撃は、俊敏なハウンドドッグに、一度も当たることなく、空を切るだけだった。


 その、あまりにも危なっかしい、そしてどこまでも素人くさい光景。

 それに、麗華と葉月は、思わず、その眉をひそめた。

 だが、誠一は、違った。

 彼の、その瞳には、侮蔑の色はない。

 ただ、自分の娘と同じくらいの歳の、若者たちが、必死に、そして不器様に、その夢を追いかけている姿。

 それが、彼の、その父親としての魂を、揺さぶっていた。


「――葉月さん、呪いを。麗華さん、援護を」

 彼の、その静かな、しかしどこまでも力強い声。

 それに、二人の少女は、はっとしたように、その顔を上げた。

 そして、彼女たちは同時に、その師であり、保護者であり、そして最高の仲間である、この男の、その言葉に、完璧に応えた。


 そこから先は、もはや救出劇ですらなかった。

 ただ、一方的な、そしてどこまでも美しい「授業」だった。

 葉月の【時間(じかん)(くさり)】が、暴れ回っていたハウンドドッグたちの動きを、完全に封じ。

 誠一の【ポイゾナスコンコクション】が、その鈍重になった獲物たちを、確実に、毒の霧で蝕んでいく。

 そして、麗華の【スパーク】が、その全てを締めくくる、華麗なフィナーレを奏でた。

 数秒後。

 そこには、絶対的な静寂と、そしてその中心で、今、何が起きたのか理解できないまま、呆然と立ち尽くす、三人の若い探索者たちの姿だけがあった。


 ◇


「…あ、あの…」

 盾役の少年が、その震える声で、言った。

「…助けていただいて、ありがとうございます…」

「ああ、気にするな」

 誠一は、そう言って、その温和な笑みを浮かべた。

「君たち、どこの学校の、探索部だい?」

「は、はい!僕たちは、都立の、第三商業高校の者です…!」

「そうか。うちの、娘と同じくらいだな」

 誠一は、そう言うと、その三人の、あまりにもちぐはぐな装備と、そしてその立ち回りを、そのプロの、しかしどこまでも優しい目で、見渡した。

 そして、彼は言った。

 それは、彼が、その三十八年間の人生で、初めて行う、本当の意味での「コンサルティング」だったのかもしれない。


「君。盾役だな?」

 誠一は、まず、リーダーの少年へと、向き直った。

「はい!」

「良い盾だ。それに、HPも高い。だが、守ってるだけじゃ、ダメだ。HPがあるから、もう少し大胆に攻撃していいよ。お前が、一歩前に出て、敵のヘイトを買うだけで、後ろの二人は、ずっと楽になる。盾役ってのはな、ただの壁じゃない。パーティの、攻撃の起点なんだ」

「…は、はい!」

 少年の、その目に、確かな光が宿った。


「次に、君」

 誠一は、その視線を、長剣を握りしめたまま、俯いている、ツインテールの少女へと向けた。

「その剣、良い剣だな。だが、君の、その俊敏な動きには、合っていない」

「…え…」

「長剣は、重いからな。振りやすい形の、ナイフがオススメだよ。その剣を一回振る間に、ナイフなら、三回は振れる。ハウンドドッグだから、一撃の重さより、攻撃しやすい武器がいいよ。手数で、圧倒するんだ」

 少女は、はっとしたように、その顔を上げた。


「そして、君」

 誠一は、最後に、その後方で、震えている、魔法使いの少女へと、その優しい視線を向けた。

「詠唱、間に合わなかったな。だが、それは君のせいじゃない。前衛の二人が、君のための時間を、作ってやれなかったからだ。パーティってのはな、そういうもんだ。一人で、戦うんじゃない。互いの、弱点を補い合って、初めて、一つの力になるんだ」


 その、あまりにも的確な、そしてどこまでも温かい、アドバイスの数々。

 それに、三人の若い探索者たちは、ただ言葉を失っていた。

 彼らが、学校の座学で学んできた、どの理論よりも。

 今、目の前の、このどこにでもいる「おっさん」が語る言葉の方が、遥かに、そしてどこまでも、本物の「真実」の響きを持っていた。


「…あの!」

 リーダーの少年が、その顔を、決意の色に染め上げて、叫んだ。

「…ありがとうございました!俺たち、もう一度、基礎から、やり直します!」

「ああ、頑張れよ」

 誠一は、そう言って、その若者たちの、その輝かしい未来を、心から祝福するかのように、その背中を、優しく叩いた。


 ◇


 その、あまりにも微笑ましい、そしてどこまでも温かい光景。

 それを、麗華と葉月は、その後方で、ただ静かに、見つめていた。

 そして、彼女たちは、改めて、理解した。

 自分たちが、パーティを組んだ、この斎藤誠一という男が、ただの「冴えない中年」などではない。

 一つの、巨大な、そしてどこまでも計り知れない「器」の、持ち主なのだと。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ