立てど芍薬、座れど牡丹、歩けど歩けど百合の花
本作品は、他コンテストにて応募した作品を改稿したものです。
「真実の愛って、なんだと思います?」
「美琴らしくない質問するね」
昼食を取る手を止めて、ぼくの左に座る美琴の顔を覗き込む。目が合うと美琴はいつも通りがははと豪快に笑って、けれどすぐに俯いた。
「自分でもキャラじゃないなって思います。でも、そういう話をしたい気分なんですよ、今」
美琴のふっくらとした右手がかすかに震えて、その指の隙間をピンク色の箸がすり抜けていく。箸はカシャンと小さな音を立てながら階段の下へと転げ落ちた。
「全然いいんだけど、急すぎてびっくりした」
そう言いながら箸を拾おうと立ち上がると、美琴はぼくを止めた。あとででいいです。そう言われてしまったぼくは再び踊り場に座った。
美琴の様子から察するに長話が始まりそうだなと思った。腕時計を確認すると、昼休みが終わるまであと九分だった。普段であれば美琴は既にお弁当二個を食べ終えているはずの時間だったけれど、今日の美琴は一個目のお弁当の半分も食べていない。
「わたし達が付き合い始めて大体一ヶ月経つじゃないですか。だから、今までわたしが話さなかったことを話してみたいな、と思ったんです」
「構わないよ」
そうだ、もうすぐ付き合い始めて一ヶ月だ。記念日のデートはどこに行こうか。……まあそれは後で考えればいい。
美琴と付き合いだしてから、屋上へとつながる階段の踊り場でこうして昼休みをともに過ごすのが日課になっていた。ふたりきりで過ごすための場所としてはここは最適であるように思えた。当然下の階から他の生徒の声ががやがやと聞こえはするけれど、あまり気にはならない。
ありがとうございます。美琴は小さくそうつぶやいたのち、身振り手振りを交えながら自身の考えを説明し始めた。
「えーと、まずですね、さっきの質問の答えはきっと人によって様々だと思うんです。
『一生その人を大事にしたいなと思うこと。』
『他の人に対してとは明らかに違う、特定の人にだけ強く惹かれる感情。』
『正直愛とかよくわからない。』
……こんなところでしょうか。正解も不正解もありません。
わたしが思う愛は弓子にとっての憎しみかもしれない。先輩にとっての悲しみかもしれない。あるいは愛とは万人にとって全く同質の感情かもしれない。
もちろん、それを確認する方法はないわけですが……。あれ、なんて言うんでしたっけ、こういうの」
美琴が首をかしげる。ぼくは弓子という名前を聞いて、クラスメイトが『一学年下に太田弓子という美人がいるぞ』と騒いでいたことを思い出した。彼らは『隣のブタは引き立て役だな』とも言っていた。ブタ、というのは恐らく美琴のことだった。
なんて見る目のないやつらなんだろう、とそれを聞いたぼくは思った。けれど美琴の良さはぼくだけが知っていた方がぼくにとっては都合がよかったし、わざわざ彼らに反論しようとは思わなかった。
視線を天井にやり、頭の中に太田弓子の姿を描こうと試みる。ぼくは美琴と太田弓子とが一緒にいるところを何度か見たことがあるはずだった。けれどもぼくは美琴以外の女の子には興味がなかったから、結局脳内にうまく太田弓子を描き出すことはできなかった。
「クオリアのこと?」
「ああそうです、それです。さすが先輩。
わたしの学年でも先輩の噂はよく聞きます。一個上の代に、うちの高校始まって以来の天才がいるって。先生方も褒めてましたよ、あいつは本質を見抜く力があるって」
本質、の部分を美琴は少し強調して言った。
「……どうも」
「そんな嫌そうな顔しないでくださいよ。ふふ。
わたし、先輩のそういうところが本当に好きです。寡黙で頭がいいのに、ちょっと抜けてて。
素直で、嘘がつけない。
賢い人は性格が悪いと思ってたんですけど、今思えば偏見でした」
屋上へと繋がるドアから初夏の日の光が差し込んで、ぼくらの前にぼくたちの影を作った。その影は異様に大きくて、逆にぼくたちの体の小ささを際立たせているように思った。
「まあ、そういう統計があるわけじゃないしね」
背中がじりじりと暑い。座り込んだ地面から伝わる冷たさがいつもより心地よかった。美琴はというとその大きな額にじっとりと汗をかいていて、ニキビを隠すためのコンシーラーは少し溶けはじめていた。美琴もいわゆる肥満体型に近かったけれど、肥満体型の人には汗っかきが多い、というイメージには統計に基づいた根拠があるのだろうかとふと思った。
「統計ですか。あはは、先輩らしい。そもそも性格の良さなんて正しく数値化できるものなんですかね。人は誰だって何かしらを偽って生きているはずなのに。
生物学的な話になってしまいますが、わたしは愛は『この人に自分の子どもを生んでほしいと思うこと、この人の子どもを生みたいと思うこと』だと思ってました。先輩に会うまで、ずっと」
「なるほど?」
「だってそうじゃないですか?結局。誰だって人から羨ましがられる遺伝子がほしい。自分の子孫を、有利に繁栄させるため」
「......そうだね。そうかもしれない」
それからしばらくの間美琴は黙った。不思議に思って美琴の方を見ると、美琴のくちびるが酸素を求める魚のようにパクパクと動いていた。焦らなくていいよ。そう言って美琴の右手にぼくの左手を重ねると、美琴は我に返ったように大袈裟にうなずいて、ぼくの目をじっと見つめた。美琴は話すスピードを少し落とした。慎重に言葉を選んでいるらしかった。
「……先輩が信じてくれるかわからないけど、わたし、もともと『美人』だったんです」
今はこんなデブでブスですけど、と自嘲気味に美琴は付け足した。
「何もしなくても男の子からはモテて、女の子からは嫌われて。みんなの中には、虚像のわたしがいて。ストーカーとかハブられたりとか、ほんとに日常茶飯事で。どんなことをされても何も感じなくなってました。心をシャットダウンしてる方が、楽だったんです。
それでいい、と思ってました。どうしようもないことなんだって」
「……」
美琴の声は震えていた。そして僅かに上ずってもいた。こんな美琴を見るのは初めてだった。少しでも衝撃を加えれば、彼女の心にはパキパキとヒビが入ってしまうのだろうと思った。
「でも、心の底では、誰かに助けてもらいたかったんです。ずっと、ずっと苦しかった。
ご飯は一日五食にして、
似合わないメイクを研究して、
言動とかもガサツにして。
頑張ったんです、わたし。頑張って『モテない子』になりました。
容姿目当てでわたしに近づく人はいなくなって、初めて信頼できる女の子に……弓子に、会えて。普通の人が見てる世界を知りました。
だから、先輩に告白されたとき、本当に嬉しかったんです。初めてわたしという人間の本質を好きになってくれる人が現れたんだって。
世の中結局顔なんだって、ずっとそう思ってました。でも先輩は、先輩だけは、違った」
そこまで言ってから美琴は天井を仰いだ。涙を零さないように堪えているのだと理解するのに、時間はかからなかった。
「……ねえ先輩、わたし、ほんとうの愛は、中身に惹かれ、中身を好きになることなんだと思います。外見なんかじゃ、なくて。
だからわたし、先輩に会えて本当にっ……本当に、良かった」
「それが話したかったこと?」
「そうです」
「美琴はぼくのことを神格化しすぎだと思う」
美琴はまたがははと笑った。いつも通りの明るい美琴だった。
「相変わらずドライですね。結構な勇気振り絞ったわたしが馬鹿みたいじゃないですか。
ほら、次は先輩の番です!ずっと聞いてみたかったんです。先輩は、わたしのどこを好きになったんですか?」
美琴は「あー恥ずかしい!」と言いながら自身の頬をぺちぺちぺちと三回叩いた。その恥ずかしさを紛らわすためなのか、美琴はすっくと立ち上がり、その大きな図体をいつもより大きく動かしてどすどすと階段を下った。顔は見えなかったけれど、耳は真っ赤だった。
「あんまり言いたくないな」
下の階から聞こえる昼休み特有の喧騒はすでにほぼ止んでいて、そのことが美琴と過ごすこの時間がもうすぐ終わるであろうことをぼくに伝えていた。
箸を拾った美琴が振り返る。さっきまでのしおらしさはどこへやら、この世の全てに救いを見出したかのような笑顔をしていた。
「恥ずかしがらないでくださいよ〜。わたしだけ恥ずかしいのは不公平なんで!さん、に、いち、ハイどうぞ!」
「…………
………ぼくね」
通るはずのない風がぼくたちの間をすり抜けていく。美琴のロングヘアーがだらりとその肩から落ちた。美琴の心はきっと四秒後には壊れてしまうのだろう、と思った。
「美琴は磨きさえすれば絶対かわいくなると思ったんだよね」
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