1-1 「断罪の朝に薔薇は散る」
カレドニア王国。その中心にそびえる白亜の王城は、初夏の陽光を受けてきらめき、空の青をそのまま抱いたような美しさをたたえていた。
だが、王城の大広間に満ちる空気は、外の穏やかな天候とは裏腹に、重く、湿っていた。
王命の下、貴族や廷臣、各地の領主たちが集められた。
豪奢な天井画、彩色されたステンドグラス、金細工のシャンデリア――どれもがこの場の権威を象徴しているはずだった。
だが今、その煌めきは誰の心にも届かない。ただ、不穏なざわめきだけが、床の石を這うように広がっていた。
中央に立たされている少女が、その中心にいた。
クラウディア・フォン・レーヴェンシュタイン。レーヴェンシュタイン公爵家の嫡娘にして、王太子の婚約者。
その名を知らぬ者は、この国にはいない。
黒に近い濃紫のドレスは、シルクの光沢と繊細な銀刺繍によって気品と威厳を示していた。
腰まで届く金の髪は丁寧に編み込まれ、背中に垂らされている。
白磁のように透き通った肌。わずかな紅を差した唇。
静かにまっすぐに立つその姿は、まさに完璧な貴族令嬢の象徴だった。
だが、その彼女が今、王族たちの前に「罪人」として立たされていた。
「クラウディア・フォン・レーヴェンシュタイン」
重く、冷たい声が響いた。
その声の主は――王太子、ユリウス・フォン・ガルナード。
クラウディアがかつて未来を誓い、共に歩むと信じていた男だった。
「そなたは、聖女アメリア殿に対する侮辱と、毒をもって彼女を害そうとした嫌疑により、本日ここに召喚された。……身に覚えはあるか?」
王太子の隣には、純白のドレスに身を包んだ少女が立っていた。
アメリア――“聖女”と称えられる存在であり、王太子の側近。そして……クラウディアが最も警戒していた人物だ。
アメリアは潤んだ瞳で、王太子に寄り添うように一歩前へ出た。
金の巻き髪が柔らかく揺れ、周囲の視線を惹きつける。
「わたくし……クラウディア様に、何かしたでしょうか……」
掠れるような声。濡れたまなざし。
その一つひとつが、周囲の感情を揺さぶった。
「お優しいお方だったはずのクラウディア様が……あのような言葉を浴びせるなんて……」
アメリアの言葉に、貴族たちの間でざわめきが起こる。
「まさか、あのクラウディア様が……」
「いや、最近は機嫌が悪いことが多かったと、侍女から聞いたことがある……」
悪意のないふりをした言葉が、次々と噴き出す。
クラウディアは、微動だにせずその場に立ち続けていた。
(……くだらない)
心の中で呟く。
この程度の工作、あの少女には容易いことだ。
けれど――問題はそこではない。
「証人はいるのか?」
王太子の問いに、数名の貴族令嬢が前へ出た。
クラウディアの親しい友人たちだった。
幼少期から舞踏を共にし、詩を読み、茶会を楽しんできた相手たち。
「確かに、クラウディア様は、アメリア様に冷たく……時には脅すようなお言葉を」
「毒草の入った小瓶を、クラウディア様の部屋で見つけたのは事実です」
そして最後に名乗り出たのは――エミリア。
クラウディアに仕える侍女であり、最も信頼していた少女だった。
「……エミリア。あなたまで?」
クラウディアは低く問いかけた。
声は震えていない。ただ静かに、確認するように。
「申し訳ありません、クラウディア様……でも、真実は、曲げられません」
涙を流すエミリアの顔。
その裏に、どれほどの恐怖と計算があるか、クラウディアにはわかっていた。
(私が敗れれば、彼女たちの“明日”が守られる。……それだけ)
視線をそらす者。目を伏せる者。
その中に、自分の母と兄の姿もあった。
レーヴェンシュタイン公爵家。
誇り高く、冷徹な名門。
クラウディアが幼い頃から叩き込まれてきたのは、決して情ではなく、「家の利益」のために生きる術だった。
兄のルーベルトは、クラウディアと目を合わせようともしない。
母もまた、口元を固く結び、まるで「これはあなたの失策よ」とでも言いたげな顔だった。
(最初から、私は“家の駒”だったのよね)
ああ、知っていた。分かっていた。
でも、それでも……ほんの少しだけ、心の奥で信じていた自分が愚かしかった。
クラウディアは、目を閉じる。
(ユグドラシル、状況分析を)
《了解。証言の整合性は不十分ながら、政治的判断により処分の決定は不可避。反証の余地なし。》
心にだけ響く、透明な声。
それは、彼女が創り出したAI――ユグドラシルのものだった。
(ふふ、やっぱり、これは“始まり”なのね)