魔女ドロテア
一仕事終えてバルコニーから戻ってきたドロテアはユーリのそばにやってきた。
ユーリはどことなく疲れた様子で椅子に座り、背もたれに体をあずけている。
ドロテアもユーリの向かいに腰を下ろし、魔女のトレードマークであるとんがり帽子を脱ぐ。
頭を軽くふって美しい黒髪を揺らしながら、ユーリに向かって軽やかに微笑んだ。
「災難だったわね」
ユーリはようやく居住まいを正し、ドロテアに頭を下げた。
「さっきは助かったよ。ありがとうドロテア」
「どういたしまして……まあキリカが何を考えてるかは分かってたから、部屋の前で待機してたんだけどね」
「あんなことを考えてるなんて思いもしなかったよ……」
豹変した仲間を見たショックが大きいのか、二番目の見合い相手であるドロテアを前にしても、ユーリは気持ちを切り替えられずに浮かない顔をしていた。
もっとも、豹変したのではなくて元からああいう女であったかもしれないが。
「あなたはもう少し自分の魅力を自覚するべきね。旅をしている時も、あなたに言い寄ろうとする女はたくさんいたのよ? キリカが睨みを利かせてたから、ほとんどの子は近づくことすら諦めてたみたいだけど」
「そ、そうだったんだ……」
「まあ、キリカも頭を冷やしたら反省するんじゃないかしら。直情径行なところがあるからね。最終的な判断はあなたに任せるけど、良かったら許してあげてね?」
「……ちょっと考えさせて」
普段なら即答するところだろうが、さきほどの顛末の当事者としてはすぐに応とは言えない。
そのことはドロテアも理解しており、それ以上キリカについて何かを言うことはなかった。
話題転換とばかりに、自分が持ってきたバッグに手を伸ばす。
「そうそう、美味しいお茶を用意してきたの。一緒に飲まない? ……あ、アンナ、悪いけどティーカップを新しく用意してもらえる?」
「はい、少々お待ちください」
水筒を取り出したドロテアはアンナにお願いする。
騒動があった直後だったため、テーブルの上にキリカとの会談につかったティーカップなどがまだ残されたままだったのだ。アンナはてきぱきと片付け、すぐに新しいティーカップ一式を持ってきた。
「助かるわ、アンナ」
給仕を終えたアンナは一礼して少し離れた場所に下がった。
ドロテアは水筒を開けながらユーリに微笑みかける。
「ジャスミンティーよ。ユーリ、あなたも好きだったでしょう。私が注いであげる」
「ありがとう……すごく良い香りだね」
「そうでしょう! 味も期待していいからね」
「それは楽しみ!」
わくわくした顔で見つめるユーリの前でティーカップに熱いお茶が注がれ、湯気と香ばしい香りがあたりを包む。
ユーリは器を軽く触ってお茶が熱すぎないことを確認し、ジャスミンの芳香を楽しみつつカップを口元に運んだ。
三分の一ほど飲んだユーリの唇から、美味しいという賛辞の言葉がこぼれ出た。ドロテアの顔もそれを聞いてほころぶ。
「ふふ、良かった」
「さすがドロテアだね。これなら何杯でも飲めそうだよ」
言葉の通り、ふたたびカップを傾けるユーリ。その姿をドロテアはにこにこ笑顔で見つめていた。
二人は今がお見合い中であることも忘れたかのように、これまでの冒険のことなどを話題に盛り上がった。
……しかし会話を続けるうちに、ドロテアの様子が少しずつ変わっていった。穏やかな笑みは次第に鳴りを潜め、今は訝し気な表情でユーリの顔を凝視している。
「……ドロテア、どうかしたの? それにお茶も全然飲んでないみたいだけど……」
「ええっと……ユーリ、私を見て何か感じたりしない?」
「……? 何かって?」
ドロテアの言葉の意味がさっぱり分からず、小首をかしげるユーリ。ドロテアはそんなユーリの反応を見て、なぜかもどかしそうに語気を強めた。
「その……体が熱くなったりとか! ……我慢できない衝動が湧きおこったりとか!」
「ううん、別になんともないけど……」
「うそ……どうして……」
「それは、わたくしがこっそりとユーリに解毒魔法をかけたからですよ、ドロテア」
ドロテアが呆然と漏らした独り言に、来るはずのない返事がやってきた。
驚きに目を見開き、弾かれたように声の方を振り返るドロテア。
いつの間にか空いていた扉のそばに、金髪碧眼の美女が立っていた。勇者ユーリのパーティーの一員、神官のロザリーである。彼女は悲し気な瞳でドロテアのことを見ていた。
「やはり、お茶に惚れ薬を混ぜていたのですね……あなたのことを信じたかったのですが……解毒魔法を躊躇しなくて正解でした」
「な、なんてことしてくれたの!? こんな時のために時間をかけて調合した貴重品だったのに!!」
「……わたくしに文句を言う前に、やるべきことがあるのではないですか?」
呆れたような顔でドロテアの怒声を受け流すロザリー。
ロザリーの言葉にはっとなったドロテアは、恐る恐る振り返る。
顔に驚愕を張り付けている勇者とメイドを交互に見た後、魔女はばつが悪そうに目を泳がせた。
「あー、その、今回は、ちょっと手違いっていうか……ご、ごめんね! 今日はこれで失礼するわね!!」
ドロテアは自分のバッグととんがり帽子を引っ掴むと、まさに逃げる兎のように勢いよく駆け出し、ロザリーを恨みがましい目で見つつ、そのそばをすり抜けて行った。