魔竜エルドラ
巨大な影が振動とともに別荘の庭園へと降り立った。
ドラゴンが王都内にやって来るなど前代未聞のことだ。
ユーリたちは知る由もないが、王都の住民はあまりのことにパニックに陥っていた。
もちろんそれはユーリたちも大差ない。
黒い竜は別荘に頭を向けるとそのあぎとから人の言葉を発した。
「久しぶりだな、勇者ユーリよ」
「……魔竜……エルドラ……!」
ユーリはバルコニーに出て、二階の手すりからドラゴンの威容を見つめた。となりにアンナも並ぶ。
エルドラは先ほど結界術師のバリアソナタが言ったように、ドラゴンの中の最高位である魔竜という種族だ。その実力は魔王に勝るとも劣らないと言われている。
かつて冒険のさなかに出会ったことのある相手だったが、ユーリたち勇者パーティーはエルドラと戦ったことはない。
「一体何の用……って、まさか!?」
「そうだ、お前が我を呼んだのだぞ、勇者ユーリ。……我はお前を結婚相手として所望する!」
さすがにお見合い相手としてドラゴンまでやってくるとは思っていなかったユーリは、しばらく呆然とするしかなかった。
そんなユーリを見下ろし、ふっふっふっとあぎとを震わせて笑うエルドラ。
動揺から立ち直ったユーリが、ようやく目の前のドラゴンに向かって喉の奥からかすれた声を出す。
「ま、待って……僕は人間だよ? さすがに結婚は難しいんじゃ……」
「安心するがいい。我ら魔竜には秘術がある。それを使えばお前と結婚するくらい、造作もないことだ」
「そ、そうなんだ……」
――つまり、頭に角が生えた可愛い女の子に変身する、みたいなやつか……それはちょっと見てみたいかも。
「お前にはドラゴンになってもらう」
――そっち!?
予想外の答えに慌てるユーリを気にした様子もなく、エルドラは目を閉じて理想の未来を夢想する。
「そして我はお前と結ばれて卵をさずかり、やがて生まれてくる幼い竜を合わせて家族三体で仲良く暮らすのだ……」
案外庶民的なことを口にするエルドラ。
エルドラが人型になるならそういったことも可能だったかもと思ったユーリだったが、さすがに自分がドラゴンに変化するのを受け入れるのは難しい。
ユーリが乗り気でないのを見て取ったエルドラは、あらかじめ考えていた次の方策へと進むことにした。
「もしお前がドラゴンになることを拒むというのなら……」
にやりと顎をゆがめるエルドラ。
「この王都を我がブレスによって焦土と化す。力を失った今のお前では我に太刀打ちできまい?」
「なっ!?」
驚くユーリの隣でアンナが息を飲んだ。
あまりに無茶苦茶すぎる要求であった。しかし、さすがに冗談ではなさそうである。
人間の姿を捨て、ドラゴンと化してエルドラの夫となるか。
もしくは。
人間の姿のまま、自分もろとも王都とその住民とを消滅させるか。
容赦のない二択を突き付けられたユーリは、すがるように大声で叫んだ。
「エ、エルドラ! 他に方法はないの!?」
「ない」
即答。
にべもない返事に、ぐっと言葉に詰まるユーリ。
「さあ、はやく我との契りを受け入れるのだ。さもないと……」
大して時間も経ってないのにもう焦れ始めたのか、エルドラは情けをかけることなくユーリを急き立てる。
魔竜が両のあぎとを開けると、牙が列なる口内に赤い光が集まりはじめた。
「くっ……」
ブレス発射までのカウントダウンということだろうか。ユーリは歯がみする。しかし、先ほどエルドラが言った通り、今の自分では手も足もでない。
――僕がドラゴンになることを受け入れれば、みんな助かるのか?
己の人生と王都すべての者の命。何を迷う必要がある? どちらが大事か、天秤にかけるまでもなく分かりきっていることだ。
そう決意しかけたユーリの手を、アンナがぎゅっと握った。
「駄目……です!」
非戦闘員のアンナにしてみれば、ドラゴンの前にいるだけでも逃げたくなるくらいの恐怖であろう。
しかしアンナは勇気と声とを振り絞って、自分の想いをユーリに向けて叫んだ。
「ユーリさまは魔王を倒すことですべての力を失いました。そして今度は魔竜によって人としての肉体まで失う……そんなこと、させるわけにはいきません!」
「アンナさん……」
――そうだ。アンナさんと一緒に冒険に行くって約束したじゃないか。二人で交わしたゆびきり、絶対に守らなきゃ!
ユーリはエルドラを睨みつけた。しかし、もうあまり時間がない。
ユーリに決意を促すためか、じわじわと見せつけるようにあぎとに赤い光を集めているエルドラ。
……が、その動きがぴたりと止んだ。
いつの間にか、無数の人間たちが自分の周りを囲んでいることに気づいたのだ。
戦士キリカが鱗をたやすく貫きそうな投げ槍を構え。
魔女ドロテアの詠唱によって生まれた氷塊が彼女のそばにいくつも浮遊し。
神官ロザリーの祈りがブレスに抗する加護を周囲にもたらした。
衛兵たちが長槍を構えて、いつでも突撃を敢行できるように待機している。
さらにドラゴンの右目と左目は、遠く離れた場所で弓に矢をつがえてそれぞれ眼球を狙うエルフとダークエルフの姿を捉えていた。
エルドラは戦闘態勢を解いた。それに伴い、両顎の中に集めていた赤い光も霧散する。エルドラはあたりを睥睨し、ニヤリと笑う。
「……ふ、よそう。お前たちと戦っても負けることはありえぬが……小さな体躯で我に歯向かうその勇気を讃えてこの場は引き下がることにしよう……」
何やらカッコイイ言い方をしているが、要するにびびったのである。
「さらばだ、勇者ユーリ! ……もう会うことはないであろう!」
ごう! と大きな翼で餞別の旋風を巻き起こし、エルドラは高く飛翔した。
呆然と見送る多くの人間たちの視界の中で、あっという間に豆粒ほどのサイズになっていくエルドラ。
飛び去っていくドラゴンの目から人知れずこぼれた一粒の涙が、この魔竜の想いが本気だったことを示していた。




