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「さあ。これからはヤンがしてくれていた強化(バフ)魔法はない。苦戦はするかもしれないが、覚悟を持って挑んでくれ」

 アロイスが戦闘前に訓示する。ハンナ、ゲオルグは無言でうなずき、レーニとジジは笑いながら了解と言う。いつも通りの平常心で臨んだのだった。



 弟が見れば「クトゥルフだ!」と言っただろうか。ハンナはそれが何なのかはよく知らない。化け物の姿に見える邪神だとは聞いた。作者が海産物が苦手だから、海の生物のような姿だとも。


 山肌を覆うかのような巨体。空いっぱいに広がる無数の触手。紫だか灰色だか判別のつかない体色。頭部と思しき所に巨大な一つ目がグルングルンと回転し、時々こちらを見る。視線は合わさない方がいい。あまり長いこと見ていると、こちらの精神がおかしくなる。


 意思疎通などできそうもない。これの正体がなんなのかは、ハンナは知らないし、それを知る人などこの世界にいないだろう。


 ハンナたちが戦うのは、そんな化け物である。魔王と呼ばれる存在と戦うような、RPGとは違うのだ。

 ある日どこからともなく表れ世界に広がり害をなす存在を殲滅する。それが勇者たちに課された使命である。


 この世界には魔法がある。攻撃魔法、回復魔法、強化魔法などなど。直接対象を焼いたり射抜いたりする攻撃魔法から、肉体を強化して剣や拳で戦う強化魔法など。

 攻撃の仕方がアナログだなあ、とハンナは思うのだ。ガトリングガン的なもので、こういう触手など一掃したいと彼女は思っている。

 だが、そんなものはない。


 ハンナが持つ武具は、強靭な女神の鎧と、ショートソード、そして自分の肉体だけであった。

 ゲオルグが盾を構え、突っ込んでいくのに合わせて彼女もついていく。アロイスはそこからまずは遠隔で攻撃魔法を放った後、剣に力を溜めながら触手を切っていく。剣に十分な力を溜められたところで、大きな一撃を相手に食らわせるのだ。

 レーニは後方から攻撃魔法を繰り出す。ジジは防御魔法を補助的に使いながら、時々レーニと同じように攻撃魔法を出す。彼女は回復が専門職なので、あまり魔法を使い過ぎないように、戦況を後方で観察する。


 これが、彼らの戦闘パターンだ。ヤンがいた時は、これに更にそれぞれに強化魔法をかけていた。


 戦闘のパターンはすでにできている。彼らは声掛けも最小限のまま、いつも通り戦闘に入った。



 甲高い悲鳴が聞こえる。己の口からは、あんな声は出ないな、とハンナはどこか他人事のように思った。

「っぐっ!」

 首にまとわりついた触手がより一層強く締まって、ハンナはくぐもった声を出す。どうにか抜け出せないか、とハンナはぬめる触手をどうにかつかもうとする。


 聞こえてくるのは女の悲鳴ばかりだ。捕まっているのは、ハンナ、レーニ、ジジ。女ばかり。

 弱いからだ。あいつらは弱いところから狙ってくる。ヤンが追放されたのも、彼が一番に狙われるからだ。


 弱い。不甲斐ない。力がない。


 そんなことを思っていると、ハンナは腹の底からいらだちが募ってしょうがなかった。ふざけるなよ、どうして私がこんな目に遭わなければいけない。


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