第九十九話 街の宿屋にて
ふ、と目を開ける。
目覚めたばかりで視界がぼやけていたけれど、段々とはっきり見えるようになってきた。
初めに認識できたのは見慣れた天井。私の部屋の天井だ。
次に辺りを見渡せば馴染み深い光景が目に入ってきた。
薄ピンク色の掛け布団にカントリー調のシンプルなベッド。
ベッド脇にはランプや目覚まし時計が置かれたサイドチェスト。
勉強用の本より漫画や雑誌の方が数の多い本棚。
宿題の時以外ではあまり座らない勉強机。その横に赤いランドセルが掛けられている。
いつもと変わりない風景だ。
⋯あれ?今日は何日だっけ?
壁に貼られたカレンダーに目を向けるけど、今日が何月の何日、何曜日かがどうしてか思い出せない。
窓から差し込む陽の光と、針が九時を回った目覚まし時計を見れば、朝の時間を少し過ぎた辺りみたいだ。
⋯お母さんが起こしに来なかったみたいだから、学校が休みの日なんだろうか。
寝起きでぼんやりした頭のまま、ベッドから身体を起こすことにした。
二階にある自分の部屋から一階の居間へと下りる。居間には誰もいなかった。
⋯お父さんは仕事で、お母さんはパートの日だからいないのかな。
頭では分かっていても自分以外誰もいない家の中、漠然とした寂しさや不安がじんわりと押し寄せてきた時。
ピンポーン⋯
玄関のチャイムが鳴った。
あっ!?今日友達と遊ぶ約束してたんだった!!
「はーい!今行くからちょっと待っててー!!」
返事をしながら少しずつ思い出す。
そうだ。今日は土曜日だけどお父さんは急な仕事、お母さんは他の人と交代でパートに行かないといけないからって二人とも朝からいないんだった。
だから昨日、午前中から遊べるねってこっそり友達と約束したんだったっけ。何でそんな大事なことを忘れちゃってたんだろう。
パジャマ姿であることも忘れて玄関へ向かう。
早く、早く知ってる誰かに会いたい。
そう思いながら玄関の扉を開ける。
玄関の扉から漏れ出る光がいやに眩しく感じられて、開いた瞬間思わず目を閉じてしまった。
――――――
「ん⋯」
「あら、やっと目を覚ましてくれたのね」
次に目を開けた時、そこは見覚えのある天井と温かい声色の老婦人の姿が見えた。
どうやら裏の小路亭で今使わせてもらっている部屋へ戻ってきたみたいだ。
「マーサさん⋯私⋯」
「あらあらエニカさん。そんな急に起き上がったらいけないわ。門番さんから貴女が倒れたことを聞いているから無理は禁物よ」
マーサさんの物腰が柔らかいながらも身体を起こそうとする私を制止する声を掛けられて、そのままベッドで横になりながら話すことにした。
「すみません⋯ご迷惑をお掛けしてしまって⋯」
「気にしないで頂戴。ここまでエニカさん達を送って下さった門番さん達から色々話を聞かせて貰ったわ。
本当に大変だったわね⋯でも貴女達が無事で本当に良かったわ」
「マーサさん⋯」
マーサさんの温かな言葉に思わず涙腺が緩みそうになる。
そこでふと、思い出されたのはソイルとヒサメだ。
コロは私が目覚めてから何も言葉を発してないけど、とっさに触れた猫耳の感触で私の擬態用イヤーマフとしてピッタリくっついていることはすぐに分かった。
だけど、こうやって私が目を覚ましてマーサさんと話していても、二人が声を掛けてくる様子は無かった。
もしかしてあの後、二人の身に何かあったんじゃ⋯
そんな不安が胸の中にじんわりと押し寄せてくる。
「お世話をおかけしているところ、重ね重ねすみませんがソイルとヒサメはいますか⋯?」
「ああ、ごめんなさいね。ソイルちゃんとヒサメちゃんならいるわよ。
魔力の消耗が激しかったみたいだから、隣のベッドで休んでもらっているの」
「そうだったんですね⋯二人の分までご面倒をお掛けしてすみませ⋯えっ」
流石に二人の様子が気になって、ゆっくりベッドから起き上がった瞬間、思考が止まった。
隣のシングルベッドに横たわって穏やかな寝顔を見せるヒサメと、ヒサメの足元で平ためな砂山化しているソイル。
の、傍に宙に浮かぶメイド服と数体の小人がいたからだ。
⋯⋯もしかして、お化け?
「あ、あのあのっ、そ、そこ、いや、そちらにいるのは⋯」
「え?ああ、この子達のことね。紹介が遅くなってごめんなさいね。
この子達は私が契約している従魔で、メイド服の子がシルキーのブランシュ、小さい子達がブラウニーのセピア、カーキ、オーカー、マルーン、テラコッタよ。ブラウニーはまだ何人かいるのだけど、今日姿を見せてくれたのはこの子達だけみたいね。
みんな家事妖精でこの屋敷のお世話を良くしてくれるのよ」
マーサさんの紹介と共に両手(両袖?)を体の前で合わせて綺麗なお辞儀をしてくれたのがブランシュさん。
見た目は上品なクラシカルデザインのロング丈メイド服が空中に浮いている姿で、一瞬メイド服の幽霊かと思ってしまったけど、お辞儀を初めとした所作の一つ一つが洗練されて落ち着いた印象の人(妖精?)だ。
次に小さな手を振って答えてくれたのはブラウニーの五人。
この子達はおとぎ話に出てくる小人の服装に、岐阜県の工芸品でお土産でもよく売ってるさる◯ぼのような見た目をしていた。
似ているけどよく見たらそれぞれ違う色合いの服を着ているのがちょっとお洒落で可愛い印象を受ける。
「初めまして。ご存知かもしれませんがエニカと言います。マーサさんとクリストフさんには大変お世話になっています。
しばらくお世話になりますが、改めてよろしくお願いします」
マーサさんの従魔で家事妖精であることから、この宿屋の管理や環境整備などもしていると思って改まって挨拶をした。
「ふふっ。ご丁寧にありがとう、エニカさん。
この子達、気に入らないお客さんだったら私がお願いしても姿を見せないから、エニカさんのことを気に入ったみたいね」
「え?そうなんですかね⋯?」
裏の小路亭に泊まってからまだ日数が経ってないように思うけど⋯気に入ってもらえるようなことしたっけ?
「ん⋯?エニカ姉様の声が聞こえる⋯」
「ピギャ⋯」
考え込んでいた最中、ヒサメとソイルの声が聞こえてきた。今のやり取りで二人を起こしちゃったみたいだ。
「あ⋯ごめんね。せっかく休んでいたのに起こしちゃったね。ヒサメもソイルも身体の調子はどう?」
「エ、エニカ姉様ぁぁぁぁぁ!!!やっと目を覚ましたんだねぇぇぇぇぇ!!!心配したよぉぉぉぉぉ!!!」
「ピギャァァァァァ!!!!!」
「あらあら、ヒサメちゃんとソイルちゃんたら。
エニカさんが目を覚まして嬉しい気持ちは分かるけど、エニカさんも目が覚めたばかりで、貴方達も病み上がりみたいなものだから無理をしちゃ駄目よ。
ブランシュ、セピア、カーキ、オーカー、マルーン、テラコッタ。
ヒサメちゃんとソイルちゃんをちょっと落ち着かせてもらっていいかしら?」
「待ってくれないかマーサさん!!!さっきもそんなこと言ってブランシュにボクの意識を落とさせただろう!!?邪魔をしないでくれ⋯あああっ!!!」
「ピ⋯ピギャギャァァァァァ!!!」
あれ?今ヒサメが何か不穏なことを⋯って、ブランシュさん一瞬でヒサメに関節技か何か掛けなかった!!?
ソイルはブラウニーの子達にお神輿みたいに担ぎ上げられちゃってるし!!?
「マ、マーサさんっ!!二人とももう落ち着いたみたいなので止めてやって下さい!!」
「あらそう?ヒサメちゃんとソイルちゃんが暴走しそうな時は声を出してもらえれば、この屋敷内ならブランシュ達がどうにかすると思うわ」
「ブランシュさん達がどうにかする前に、二人には私からも言っておきますのでどうかお願いします!!!」
食事を作って持ってきてくれたクリストフさんが部屋に来るまで、この騒動は続いた。
その頃には目を覚ます前に見た夢のことなんて、何一つ覚えていることも、思い出すことすら無かった。
次回更新日は4/13の予定です。




