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待ってる~秋~

「待ってるよ」



その生き物は涙を目に溜めた。

その涙は感情の排泄のためではなく、生理的なもので、意味はないはずである。

その生き物の見る先には、ニンゲンの子供がいた。

縁側に座り足をぶらぶらさせて、じっと、何もない(くう)を見る癖のある、女の子。

竹垣をめぐらせた庭。

枸杞(くこ)(つた)が這う竹垣。赤い実のなる蔦の内側で、女の子は何をするともなく居て静かに幸福を味わっていた。








女の子は想う。

“わたしというものを見つけて、おどろいた”と。

今まで誰なんだろう?と思ってきた誰かが、わたしだと知り、“びっくり”

女の子は自分の手のひらを広げて見つめる。

顎先で切り揃えられたおかっぱが下へさがり女の子の視界を遮った。

薄暗い光の中でぼんやりと見てとれる手のひら。

この手が自分なのだと知った時も驚いて、何度も口に入れて確かめた。赤ちゃん、の頃だったのだと思う。

いちばんはっきりした感覚がある口。

自分は口そのもの。

広すぎる空間に口だけが浮かんでいるのが、自分だった。

いつも見ているそれを口に入れたとき、これは自分だとわかった。

自分が発した刺激が自分へ返ってくることが面白くてたまらなかった。

口へ入れたそれとは、手だった。

女の子は手のひらをじっと見る。

新しく見つけた、わたしという存在へ、静かに感動しているようだった。

わたし、があれば時間が生まれる。

頭のなかに、未来と過去ができる。





人としてのものがたりが豊かに育まれることの始まりであり、宇宙の連続性から切り離されてしまうような気がして愛を探求することの始まり。

旅立ちの合図。


どこまでも繋がり、境界のない曖昧な、平たく果てしなく意識が広がり続ける幼い頃の日常を思い出せる者は少ない。記憶は頭の持ち主にとって好ましくつくられる。



大人からはひとりごとを言っているように見えた。

「この子は想像のお友だちと遊んでいるのだ」と大人は女の子を理解した。

女の子にとってはひとりで遊んでいるつもりもなく、ひとりごとを言ってなどいなかった。

いつもなにかと一緒に囁きあって、笑った。

眠るときは夜空を飛んで旅をして、朝起きる前には天井から自分のからだへ螺旋状におりて目が覚めた。

楕円形の黒い大きなものがいつもこちらを見つめていたけれど、怖いとは思わなかった。

よく遊んだのは緑の体、蛙のような姿、大人の大きさのヒト。

あちこちにある入り口へ入って違う世界を楽しんだ。

わたしたちはあれをポケットと呼んだ。

(あし)草原(くさはら)の上にはいつも長い生き物が浮かんでいて、りゅう、と名付けて遊んだ。



「わたし」

わたしは、大きくなったのだな。

わたしは、すこしお姉さんになった。

わたしは、こんど幼稚園にあがる。

わたしは、赤よりも緑色が好き。

わたしは、おとなになる。



縁側でうつむいて手のひらを見ていた女の子は、そっと顔をあげて(そら)をみる。

目に入る光線の範囲が変わる。

様々なものが、閉じて、開いていった。








「待ってるよ」

大人の大きさ、蛙みたいなヒト。女の子とよく遊んだその生き物はもう一度唱えた。また会うと約束はしないけど、また会えたらいいなと思った。




君達が、わたしたちを忘れていくのを見るのは、慣れてるんだ。

君は君を生きるのに集中する。

君は大人になるんだ。

その邪魔を、したくはないんだ。

「ああ」

カエルみたいな生き物は腹のそこから絞り出す。

「ああ!楽しかったなあ!」

女の子はこちらにまったく気づかない。

いつもなら駆けて寄ってきただろうに。



家の中から声がして、女の子は縁側から家へ入っていった。

生き物は目をコシコシ、こする。なんだか今日は水気が多い。

庭先のポケットから帰ろう。しばらくはここへ来ないさ。


「おおい。おとなに、なれよう!」


しんと静まる空間へ、自身の声が願いとして染み込んだのを見届けて生き物は戻る。


待ってる。だけどその日は来なくともいい。

生き物は、満足な気持ちでポケットをくぐった。





おしまい






小さな頃は神もいて、魑魅魍魎も、宇宙人もいて、どれもわたしだった。


「大人になれよう」と言ってくれたヒトがいた気がする。



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