第6章 「襟巻撫で牛に誓った新年の抱負」
挿絵の画像を作成する際には、「AIイラストくん」を使用させて頂きました。
天神様こと菅原道真公の御使いである牛の像は、天満宮には無くてはならない存在だよね。
全国津々浦々の天満宮がそうであるように、この堺天満宮にも黒御影石で出来た臥牛像が安置されているんだ。
上方落語として広く知られている「池田の牛ほめ」に倣って形容するなら、天角地眼に一黒鹿頭、耳小歯違って具合の、それは見目麗しく整った立派な臥牛像なんだ。
とはいえ幾ら見事な臥牛像だと言っても、それだけでは他府県の天満宮にあるのと大差ないよね。
この堺天満宮の臥牛像には、他と一線を画す個性とドラマ性があるんだよ。
「冬真っ盛りの今時分に見てみると、確かに防寒用のマフラーを巻いているようにも見えるな。どうやら堺天満宮の『襟巻き撫で牛』の異名は伊達じゃなさそうだよ。」
「そうでしょ、マリナちゃん!この首回りに巻かれた赤い布こそが、この堺天満宮の臥牛像のトレードマークなんだ!」
黒いサイドテールの目立つクールビューティな少女に応じながら、私は黒御影石の臥牛像を片手で示したの。
新春の北風に煽られて揺らめく赤い布は、私が最後に見た時よりも真新しくて色鮮やかに感じられたんだ。
どうやら襟巻き撫で牛の仇名の由来である赤布はキチンと管理され、定期的に洗濯や交換等も行われているみたいだね。
その管理が天満宮の宮司さん達による公的な物なのか、或いは氏子さん達による自発的な物なのかまでは分からないけど。
いずれにせよ、あの臥牛像が襟巻きも含めて大事に扱われているなら何よりだよ。
「ははぁ、成る程ねぇ…この撫で牛が今のような姿になったのには、小5の頃の千里ちゃんが一枚噛んでいるんだね。謂わば千里ちゃんは、『牛の首事件』の当事者って訳だね。」
「京花さん、そのような言い草は千里さんに悪いですよ…今から六年前、この天満宮の臥牛像の首が仏像泥棒によって強奪の後に遺棄される事件が御座いました。後に林間学校中の小学生によって泥だらけの姿で回収されたのですが、その発見者こそが小学生時代の千里さん達なのですよ。千里さん達に発見された牛の首は、天満宮に送り届けられて胴体と接合されたのですが、首と胴体の境目に接合痕が残ってしまいました。その接合痕を隠す為に赤い布を巻かれた事に因んで、あの臥牛像は『襟巻き撫で牛』と呼ばれるようになったのです。林間学校が明けてからの全校集会で表彰式が行われておりましたから、私もよく覚えておりますよ。」
私に代わって的確な説明をしてくれて感謝するよ、英里奈ちゃん。
それに全校集会の事も覚えていてくれたとは、話が早いね。
やっぱり持つべきものは、堺市立土居川小学校の同窓生だよ。
「事件のあらましについては、英里奈ちゃんが話してくれた通りだよ。だけど今の話は、地方新聞や堺市の広報紙といったマスメディアでも公開されているパブリックなレベルの情報なんだ。だけど『牛の首事件』には、当事者である私達しか知らない真相があるんだよ…」
こうやって声を潜めた語り口って、やっぱり気分が出てくるよね。
今から怪談話を切り出すみたいで、ゾクゾクするよ。
「それって確か、千里ちゃんと当時の友達二人の夢枕に臥牛像の首が現れたって話だよね?シフトの合間の休憩時間に話してくれたのを覚えてるよ。あれは確か、私達四人が卒配間もない研修生だった三年前の四月頃だったかな。」
「ちょっと…知ってるからって先に言わないでよ、京花ちゃん。」
どうも今日は、言いたかった内容を先に言われちゃう日みたいだね。
私の事を「ボランティアガイド」って呼んだの、京花ちゃんでしょ?
「京花ちゃんの話した通り、林間学校で同じ部屋割になった私達三人は、揃って同じ夢を見たんだ。夢の中の私は江戸時代の町娘になっていたの。それで処刑された罪人の首が置かれる獄門台を他の町人と眺めていたんだけど、それが臥牛像の首だったんだ。」
あの何かを訴え掛けるような悲しそうな牛の目は、今でもハッキリ思い出せるよ。
きっとそれは、あの林間学校の夜に牛の夢を見た二人の友達も同じなんだろうな。
そう言えば林間学校の時に一緒だった二人の友達とも、もう随分と会ってないなぁ。
図画工作の成績が良くてコンテストに入選した事もある猪地乃紀ちゃんとも、家庭科クラブに所属していて料理の上手だった月石明花ちゃんとも。
とはいえ猪地乃紀ちゃんは美術の才能を伸ばすために帝都美術大学付属高校へ進学した訳だから、そう気軽に会いに行けないんだけど。
今年の春に届いたメールには帝都の渋谷で撮ったという写メが添付されていたけど、随分と垢ぬけていて驚かされたなぁ。
東京府へ行くと、あんなに変わるんだね。
もう一人の友達である月石明花ちゃんは堺県に今も住んでいるから、思い立ったら気安く会えるけどね。
とはいえ同じ堺県でも明花ちゃんが今住んでいるのは奈良市の方だから、私の住む堺市からだと南海線と近鉄線を乗り継がないといけないけど。
明花ちゃんが通っている寧楽高校は平城京の近くにあるから、堺市からだと通学時間がかかって大変みたいだね。
こういう距離感も、これはこれで億劫なんだよなぁ。
そんな具合に物思いに耽っていた私の思考は、英里奈ちゃんの感想によって現実に引き戻されたんだ。
「それは恐らく、盗まれて捨てられた臥牛像の首が天満宮に戻りたくて発した声なき声を、就寝中の千里さん達の無意識が受信されたのでしょうね。信長公によって安土城へ移植された妙国寺の蘇鉄も『堺へ帰りたい』と毎夜のように夜泣きしたようですし、この堺県の寺社仏閣の境内に安置されている事物の強い郷土愛が伺えますよ。」
「私もそうだと思うよ、英里奈ちゃん。意に沿わない形で住み慣れた所から連れ去られたら、誰だって嫌だもん。牛の首だって蘇鉄だって、愚痴る権利はあると思うんだ。」
嵐山の巫女さんを妹に持つ少女に頷きながら、私は赤い襟巻きを巻かれた臥牛像に改めて視線を向けたんだ。
首と胴体は接合修復されたけど、臥牛像の顔の造形自体には何の手も加えられていないはずだったの。
だけど苔だらけで雑木林に転がっていた時は悲しそうに見えたのに、今の臥牛像はとっても穏やかで満ち足りた笑顔を浮かべているように感じられたんだ。
「君も私達と同じように、住み慣れた郷土を愛しているんだね。君が天満宮の境内を安心して眺めていられるように、私達も頑張るよ。そのためにも、今度の昇級試験を頑張るからさ。」
私はそう呟きながら臥牛像へ歩み寄り、額から顔にかけての辺りを軽く撫でたんだ。
黒御影石で出来た臥牛像の表面はヒンヤリとしていたけど、その滑らかな触感には優しさと穏やかさが感じられたの。
この臥牛像の持つ郷土愛に負けないよう、私も都市防衛の要である防人乙女としてシッカリやりたい所だね。
次に御参りする時には、私は少佐の飾緒を右肩へ頂いているんだろうか。
ううん、絶対にそうしなくっちゃね!