第4章 「絵馬が抉られた理由」
九枚の五円玉を「御縁が始終あるように」との語呂合わせで賽銭箱へ投げ込んで、軽やかに柏手を打ち鳴らして。
そうして厳かに念じるのは言わずもがな、昇級試験の合格祈願。
この白い遊撃服の右肩へ黄金に輝く飾緒を頂いて英里奈ちゃん達と同じ少佐へ昇級する為には、どんな努力であっても決して惜しまない。
そんな私の新年の願いは、天満宮の祭神である天神様へ確かに御伝え申し上げたよ。
こうして神仏へ誓ったからには、是が非でも成就させなくっちゃ。
よく勘違いされがちだけど、初詣で願い事を言うのは神仏に願い事を叶えて貰うためじゃなくて決意表明のためだからね。
要するに「叶えて下さい、御願いします。」ではなく、「この願い事を叶えられるよう頑張りますから、見ていて下さいね。」って事。
南宋初期の儒学者である胡寅は「人事を尽くして天命に聴す」と自らの著書である「読史管見」の中で言ってるけど、神仏へ決意表明をした後は私なりに人事を尽くすだけだよ。
そうして人事を尽くして叶えたい願望というのが、少佐への昇級という人事制度に纏わる願い事なんだから、何とも面白いよね。
さしずめ私の場合は、「人事を尽くして人事異動を待つ」ってなるのかな?
こういう言い回しは、十代の女子高生兼少女士官がするもんじゃないね。
週刊誌や新聞に載っている四コマ漫画のサラリーマンが、オチのコマでぼやいていそうなセリフだよ。
まあ何はともあれ、私達四人は無事に本殿への参拝は出来た訳だね。
今からは肩の力を抜いたリラックスした気分で、この正月ムード全開な年始の天満宮の境内を気楽に散策しようかな。
初詣の定番といえば、まずは何と言っても絵馬の奉納だよね。
五百円玉と引き換えに頒布されたホームベース型の絵馬に願い事を書き記すんだけど、これがなかなか緊張するんだよなぁ。
何しろ境内に備え付けられているのは油性の黒マジックだから、書き損じちゃうとアウトだからね。
「うわあっ!しまった!」
「えっ!何、どうしたの?」
何とも素っ頓狂な声に驚いて顔を上げると、斜向かいの京花ちゃんが絵馬を見下ろしながらギョッとした顔で硬直していたんだ。
どうやら京花ちゃんったら、絵馬に書く願い事を書き損じちゃったみたいだね。
「あ〜あ…お京ったら、『家内安全』を『家内安政』って書いてどうすんだよ。」
「それがね、頭の中に『安政の大獄』ってフレーズが浮かんで消えなくってさ。堺電気館の年末オールナイトで『桜田門外の怪人忍者』って特撮時代劇を見たのが悪かったのかな?」
呆れ顔のマリナちゃんに照れ臭そうに弁明する京花ちゃんだけど、慌ただしい年の瀬に何とも際物な映画を見たもんだよね。
確かに堺東駅の近くで大正時代から営業している堺電気館は通好みの上映プログラムで評判のマニアックな名画座だから、そういう際物映画のオールナイト企画は館の雰囲気に合ってるけど。
いずれにせよ、「人の振り見て我が振り直せ」だね。
私も京花ちゃんのウッカリミスを他山の石としなくちゃいけないなぁ…
ところが京花ちゃんったら、絵馬の書き損じを意外な方法で解決しちゃうんだよね。
「仕方ない、こうなりゃ荒療治で!」
「なっ…!京花さん、何をなさるのですか?!」
和服姿の英里奈ちゃんがギョッとするのも、無理はないよ。
何しろ京花ちゃんったら、遊撃服の内ポケットから補助兵装のトレンチナイフを取り出しちゃったんだから。
とはいえ京花ちゃんだって、そこは分別のある防人乙女。
件のトレンチナイフは至って安全な目的に用いられたんだ。
「こうやって表面の書き損じを削れば…よしよし!綺麗な地肌が見えてきたよ。」
「そんな物で鉋掛けをする奴があるか、お京!」
鼻歌混じりで絵馬の表面を削る京花ちゃんに、呆れ顔で突っ込みを入れるマリナちゃん。
こうした軽妙な遣り取りには、B組のサイドテールコンビの阿吽の呼吸を感じさせるね。
とはいえ感心してばかりもいられないよ。
何しろ京花ちゃんが抜いているのはトレンチナイフだもの。
こんなのを抜き身で携行しようものなら、民間人だと銃刀法違反でしょっ引かれちゃうよ。
「みっ…皆様!御騒がせ致しまして誠に申し訳御座いません!私共の友人が些か大音声を出してしまい…」
「ちょっと友達が絵馬の書き損じを直したくなっちゃいましてね!どうぞお気になさらず!」
物見高さと野次馬根性にかけては他の追随を許さない民間人達の注目と関心を削ぐべく、私と英里奈ちゃんの二人はアタフタと釈明する羽目になったんだ。
正月から京花ちゃんの尻拭いをさせられるとは、全く先が思いやられるよ…