第38話 怖いもの見たさ
深い森の奥にそれは存在していた。
左には切り立った山肌、右には断崖絶壁。まさしく世界の果てに今二人は立っていた。
ケイロス岬――。
この岬にはスピリットが現れるという。いわゆる幽霊だ。
どうしてここに現れるのか? まったく判明していない。
しかし、ここの崖下に、ぽっかりと洞窟の入り口が開いている。そこが今回の目的地だ。
ジェノアの酒場で気になる話を聞いた二人は、それについて問いただした。
その相手はエルフ族の男で、冒険者パーティの生き残りだと言った。
「あの岬には、女のスピリットが棲みついている。俺たちは4人パーティでその洞窟へ向かった――」
その男は震えながら、話し始めた。
4人の構成は戦士系2、魔術師1、治癒士1だったという。クラスは全員金級だった。
この地域に来るには若干早いという気はするが、パーティなら金級でも気を付けて進めばフィールドぐらいなら何とかなる。というよりも、むしろ、その方が報酬もよく、稼げるというのが本当のところだ。
クエスト報酬はクエスト単位で支給されるため、適正クラスのクエストだと稼ぐのに時間がかかるという事もあって、多人数パーティの場合、背伸びして上の階級適正のエリアに入ってくるものもいるのは確かだ。フィールド上の魔獣を倒してドロップ品を収集して商業ギルドへ売却するほうが、適正クラスのクエスト報酬よりも実入りがいいのは事実なのだ。
このエルフ男のパーティもそうだったという。
フィールドモンスターの掃討はそれほどの問題もなく順調に進んでいたという。さすがに上位クラスの魔獣ではあったが、彼らも金級冒険者だ、それなりに場数も踏んでいる。もちろん無理をせず安全管理を怠らぬよう細心の注意を払って「狩り」を進めていた。
進めていたのだが――。
それは突然に起きた。
戦士系の一人がいきなり何かに憑りつかれたようにふらふらと正気を失ったかと思うと、次の瞬間急に駆け出したのだ。
しかも、「エリーヌ、エリーヌ」と叫びながら。
残った3人は彼の後を追った。そうしてケイロス岬を駆け下りた先の洞窟へ消えてゆく彼の姿を見た。3人は彼の後を追って、その洞窟へ入っていった。
洞窟の中をしばらく進むと開けた場所に出て、そこには深い泉があり、周囲の壁には光る苔がびっしりと生えていて、昼間のように明るかった。
泉を覗くと、水底が見えたらしい。水深はかなりの深さだと思うとエルフ男は言った。
そしてその水底に、仲間の一人、さっき駆けだした戦士系の男が沈んでいたのを発見した。一目見て彼がもう死んでいることに気付いた仲間たち3人は、慌ててその洞窟を駆け戻った。しかし、どこでどう間違えたのか、いっこうに入口には辿り着かない。
そうこうしているうちに、仲間が一人消えた。治癒士の女がいつの間にかいなくなっていたのだ。
残った二人は必死に洞窟内を走り回った。
そのうち見覚えのある場所へ辿り着けるはずだと走りに走った。そうしてまた一人消えた。
エルフ男は最後に一人、洞窟内で走るのをやめた。もう駄目だと思った。生きてここからは出られないのだと、そう観念し、その場に頽れた。
その直後だ。
『なかまはわれの伴となった。ここで安らかに暮らすであろう。お前はこのことを皆に触れて回れ。ここへは近づくなと――』
女の声がした。頭の中に直接響いてくるような、異様な感覚だった。
次の瞬間目の前が真っ暗になり、次に気が付いた時、岬の洞窟の入り口で倒れていたという。どうやら気を失っていたらしい。
慌てて彼は崖を駆け上がり、ジェノアまで突っ走ってきたのだという。
「目の前が真っ暗になる前、俺は確かに見たんだ! 目の前に半透明の人影を! あれは、間違いなく女だった――」
これがそのエルフ男の話の全容だ。
冒険者たちの中にはそんなことを信じない者もいた。しかし、妙なことに、前にその岬へ行ったことがあるという冒険者の一団は、そんな洞窟など見た記憶はないと言った。
「だれか、誰か頼む――。最後に消えた女戦士は私の妻となるひとだった。せめて、せめて彼女の遺品だけでも見つけてほしい――」
男は周りの冒険者パーティに懇願していたのだ。
「どう思う? エリー」
ケイコは隣のエルフィーリエに囁いた。
「まあ気持ちは分からなくもないけど、その遺品とやらが見つかる可能性はだいぶんと低いだろうね」
「いや、そういう事じゃなくて、幽霊の方」
「え? なに? 幽霊?」
エルフィーリエが訝しげに聞き返す。
「うん、幽霊」
「幽霊ねぇ――。バウガルドにも不思議な話はいくつもあるけど、幽霊のような魔獣は確認されてないわね。だから、魔獣という事はないか、あるいは新種かも?」
エルフィーリエは意外と現実主義的な傾向が強い。
エルフ族というのは精神力と探求心にあふれる種族だ。ここバウガルドにはいくつもの種族が存在しているが、エルフ族とドワーフ族は特に寿命が長い。
ケイコがエルフィーリエをパートナーに選んだのも、一つにはそれが理由だ。
「ダイバー」はずっとここに居れるわけではない。最大継続潜入時間はきっかり8時間だ。つまり、どんなに長くても、80時間後には一旦は日本に戻らなければならない。というより、強制送還されるのだ。
そうして次にバウガルドへ戻れるのはどんなに速くても約12時間後、つまり、バウガルド時間で約120時間、約5日後だ。
これは「ダイシイ」の営業時間による制限だ。「ダイシイ」の営業終了時間の10分前にも、強制送還される。そういうシステムなのだ。
つまり、こちらの人間と共に暮らす、または、生きるとなると、それだけ長い時間が必要だという事になる。相手側にも時間がたっぷりと余裕があるものでなければならないという制約が付いてくるということだ。
その点、エルフ族やドワーフ族は心配ない。エルフ族は1500年ほど生きるというし、ドワーフ族も1200年ほど生きると言われている。
ある意味、《《人間よりも》》長寿だ。
「まあ、そんな話、見れば一目瞭然だから――」
「え?」
ケイコはエルフィーリエの言葉の意味を一瞬飲み込めなかった。
「だーかーらー。見ればわかるってことよ!」
「え? ええええ!!??」
ケイコは忘れていた。
エルフィーリエがエルフ族の中でも特に「探求心」が強いってことを。




