閑話 泣かせるもんか!
私には一つ上の大好きな姉が居る。
正確には近所に住んでいる幼馴染なんだけど、小さい頃から私は彼女の事を姉の様に慕っていた。
その人の名前は浅井史佳さん。
物凄く綺麗で、明るく社交的な彼女は、みんなの人気者。
昔から内気だった私は兄さんの陰に隠れ、同年代の子供達に溶け込めないでいた。
兄さんは何とか私に友達を作らせようとしたが、どうしても勇気が出ない。
そんな時、私を救ってくれたのが史姉だった。
忘れもしない私が五歳の時。
兄さんは他の男の子と遊び、私は一人で公園の砂場て砂山を作っていた。
『一緒に遊ぼ!』
突然差し出された手、それが史姉だった。
どうして良いか分からない私に史姉は微笑んだ。
引き込まれそうな史姉の笑顔、その輝きに私は心を奪われた
それから毎日史姉と遊ぶ様になった。
史姉は自分の友達も紹介してくれて、私は一人ぼっちでなくなっていた。
そんな史姉を兄さんが好きになったのは自然な流れ、当然の事。
私だって、もし男の子だったら間違いなく異性として好きになっていただろう。
兄さんが史姉と恋人になればと、ずっと思っていた。
そうしたら、ずっと一緒に居られる。
そのまま結婚してくれたら、家族になれるのにと、いつも考えていた。
兄さんは高校に合格したら告白するつもりだと言った。
史姉も兄さんの事が好きなのを知っていたから、間違いなく付き合う事になると思っていた。
...だが、そんな日は来なかった。
兄さんの告白を史姉は断ってしまったのだ。
訳を聞きたくて、私は史姉の自宅を訪ねた。
『...それは駄目なの』
史姉はそう言うばかりだった。
兄さんは甲子園に行けば必ず付き合えると信じている様だったが、私は不安で仕方無かった。
そして史姉は私を避ける様になった。
悲しかった。
一体何が起きたのか全く分からないのだ。
変化はそれだけで無かった。
眼鏡を掛け、髪を切ってしまった史姉は社交的だった性格も一変し、いつも何かに怯えている様になった。
兄さんの事が嫌いになった訳では無いのは分かった。
毎日兄さんのお弁当を作るくらいだから。
一緒の高校に入ったのに、史姉は私を避け続けた。
校内で会っても私から目を逸らし、うつ向きながら通り過ぎる姿に悲しくなった。
だから私は理由を聞く事にした。
史姉さんが話した内容は衝撃だった。
タイムリープなんか小説の世界で、常識的に考えたらある筈が無い。
そんなの信じる方がどうかしてる。
そう思ったけど、涙を流す表情を見たら、もしかしてと思った。
兄さんを裏切ってしまったのも信じられなかった。
あれだけ兄さんの事が好きな史姉が、まさかと思った。
だけど、もしそうなら史姉が私達兄妹を避けるのも納得出来た。
怒りは無かった。
現実にそうなったら分からないが、まだそんな事は起きてないのだ。
それに、悔やんでいる姿を見たら責める気も起きなかった。
きっと別れてから巻き戻る前に過ごした時間は、筆舌に尽くし難い絶望の時間だったのだろう。
私は史姉を助ける事に決めた。
頑張って野球部のマネージャーになり、兄さんの力になるんだと。
兄さんは私がマネージャーになるのを反対したが、何とか説得して無事野球部に入る事が出来た。
史姉からスコアシートの書き方を教わり、野球部の戦力分析を始めた。
野球に全く興味が無かったから最初は大変だったが、キャプテンの正技さんは丁寧に教えてくれた。
野球部には下素野が居る、この人の噂は学校で以前から聞いていた、親切な人間だと。
でも事前に兄さんや史姉から本当の姿を教えて貰っていたから、騙される事は無かった。
事前に髪をバッサリ切って、目の下に黒ずむメイクをしていたから、下素野は私に興味を持つ事は無かった様だ。
だが、邪険にされているのは分かった。
史姉は毎日私の家に来る様になった。
クラブで遅くなる私達の為に夕飯を作る為だ。
これは凄く助かっている。
兄さんも毎日楽しそうで、私も嬉しい。
いや史佳さんもだ、あんなに笑顔で料理を作っているんだから...
「さあ帰るか」
「うん!」
今日も1日が終わり、私達は家路に着く。
早く帰って史姉の夕飯を食べよう。
「「ただいま!」」
「お帰りなさい」
元気一杯に玄関の扉を開けると美味しそうな香りと史姉の声。
兄さんの顔が綻ぶ、私もだけど。
美味しい料理を堪能した後、兄さんは夜のランニングに、私は史姉とリビングで野球部の話を始める。
「これが新しいスタメンです」
「どれどれ...」
今日監督から発表されたベンチ入りメンバーが書かれた表を史姉に見せる。
このメンバーで夏の予選に挑むのだ。
「政志は三番か」
「うん、四番は正技キャプテンだよ」
「前回と一緒ね...」
メンバー表を見る史姉の目は真剣その物。
史姉のアドバイスをそれとなく、野球部の選手に正技さんを通じて伝えている。
彼女の記憶力は凄い、選手の長所と短所を全部覚えていた。
「...八番」
「はい...」
史姉の表情が曇る。
八番には下素野の名前が書かれていた。
「代わりは居るのにね」
「ですね、同じポジションに二年生で実力が上の選手はいますよ」
これは本当の事だ。
打力、走力、守備力、全てに於いて下素野より優る選手は居る。
だが下素野はレギュラー。
おべっかが上手く、監督に気に入られた成果だろう。
「反感を招かなきゃいいけど」
「反感?」
「そうよ、今のアイツは更に人望が無いから」
「確かに」
以前史姉から聞いた。
なんでも、前回の時も下素野がレギュラーに選ばれ、控えの選手に威張り散らしてチームメートから反感を買ったそうだ。
その時は兄さんと史姉が何とか場を取り持ち、無事に乗りきったらしい。
だが今回は違う。
兄さんは下素野を毛嫌いしているし、史姉も居ない。
キャプテンは静観するだけだろう。
「何も無ければ良いけど」
「大丈夫です」
不安そうな史姉を励ます。
心配しても仕方無い、みんなを信じよう。
そして甲子園の切符を掴む。
後は史姉と兄さんが付き合ってハッピーエンドだよ。
「もう泣かせませんから」
「...紫織ちゃん」
そっと史姉の手を握りしめる。
絶対に泣かせたりしない。
史姉にはいつも笑ってて欲しい。
それが今まで史姉が私にしてくれた恩返しになる。
決意を固め微笑む、あの日史姉が私にしてくれた様に。