閑話 誰にも渡さない!
阿武高校に入学して一年が過ぎた。
朝練も終り、部室で練習用ユニフォームから制服に着替えを済ませ、鞄から弁当箱を取り出す。
授業が始まるまでに栄養補給しないと腹が減って、集中出来なくなってしまう。
「お前、よく入るな...」
部室で弁当を食べる俺に下素野先輩がゲンナリした顔で呟く。
正直この先輩は苦手だ、いや嫌いと言ってもいいだろう。
入学当初は世話焼きの良い人に思えたが、何の事は無い単に先輩風を吹かす口だけ人間だった。
監督コーチやOBにおべっかを使い、控えや下級生に尊大な態度を取る。
何よりも女子から好かれる為だけの目的で野球部に入ったのが気に入らない。
最初に見せた態度も俺に彼女が居ると思ったらしい。
史佳と一緒に登校しているところを見られたのだ。
『なあ、あの子は野球部のマネージャーにならないのか?』
下素野は俺に聞いた。
史佳にその気が無いと知った途端、急に俺への態度が変わった。
その事を史佳に伝えると、
『嘘...見られていたなんて』
そう言って史佳は真っ青な顔で震えていた。
そして翌日から史佳は俺と登校するのを止めてしまった。
更に史佳は長かった髪を切り、コンタクトを止め家でしか掛けない眼鏡を外でも使い始めた。
『...こうでもしないと』
理由を聞くと史佳が答えた。
俺にしたら、そっちの方が良い。
史佳は綺麗で目立つ存在だ。
中学の頃から史佳は何度も男子から告白されていた。
髪を伸ばしコンタクトにしたのは、俺が中学の時に似合うと言ったからだけど、正直史佳がモテるのは複雑だった。
史佳の隣に居られたのは、幼馴染みだったからに過ぎないのだ。
野球を始めたのも、何とか史佳に格好良い所を見せたかったからだし。
「...俺もアイツと変わらないか」
だから史佳は俺の告白を断ったんだ。
『そんなに甲子園を甘く見るな』
そう言いたかったに違いない。
阿武高校の野球部は公立高校の中では県内トップクラスの実力。
合格して浮かれる俺に釘を刺してくれたんだろう。
事実、野球部員だというだけで校内から注目される。
下素野みたいに女子からチヤホヤされたいから野球部に居る奴も。
アイツみたいな奴になるな、って事だ。
「それも愛妻弁当か?」
「あ...はい」
食べ終わり、弁当箱を鞄に戻していると下素野はまた絡んで来た。
「なあ、今からでも遅くないから史佳をマネージャーになってくれる様に頼んでくれよ」
「いや、その気は無いみたいです」
またか、一体何回言ったら諦めるんだ?
しかも呼び捨てにしやがって。
「そうかよ」
「すみません」
我慢だ。
「まあ仕方ないか、お前は史佳の彼氏でもないしな」
「...そうですね」
それがどうした!
「ならその弁当をくれよ」
「何を...」
一体何を言い出すんだ?
確かに弁当はもう1つ残っている。
たがこれは俺の昼飯だ、やる訳無いだろ。
「だってよ、スッゲエ旨そうじゃんか」
「無理です」
コイツはバカなのか?
そんな事したら史佳は俺の弁当を作るのを止めるだろう。
言わなくとも史佳は野球部を、いや下素野を避けてるのに。
本当なら部室で食べない方が良いんだけど、教室で早弁する訳にもいかない。
一年前、コイツに史佳が弁当を作ってくれている事を、つい口を滑らしてしまったのが失敗だった。
「まあ良い、手作り弁当くらい俺も頼んだら作ってくれる女は居るし」
「...はあ」
ならソイツに頼めばいいだろうが!
糞、我慢だ。
一応は先輩、部内で波風を立てる訳にいかない。
「俺が史佳の彼氏なら、あんな眼鏡は止めさせて髪を伸ばす様に言うぜ。
俺好みの女にな」
「...おい」
「なんだよ」
我慢の限界だ、コイツ史佳を...
「下素野止めろ」
「...キャプテン」
睨み合う俺達に、空気を察した正技亮二キャプテンが間に入り止めてくれる。
危ない所だった。
「チッ!分かったよ」
舌打ちをしながら下素野が部室を出て行った。
「平井、よく我慢したな」
「いいえ、ありがとうございます」
キャプテンに頭を下げる、本当に人格者だ。
俺は尊敬している。
「アイツにはよく言っておく、気にしない様に」
「はい!」
ありがたい、下素野もキャプテンには逆らえないのだ。
野球の実力、先生達の信頼、学校の生徒達からの信用。
全てが俺の憧れ、この人が阿武高校に居るからこの学校を選んだ。
「今年が俺にはラストチャンスなんだ」
「...先輩」
去年は甲子園に届かなかった。
決して家の高校は弱くない、だが私立の強豪に準決勝で敗れてしまった。
俺は一年でレギュラーに抜擢され、必死で頑張ったが、やはり力の差は明らかだ。
秋季大会も三回戦で負け、選抜も叶わなかった。
「平井、頼むぞ」
「...頑張ります」
そんな言葉しか言えない。
こんな事じゃ、もう一度史佳に付き合ってくれなんか言えない。
だが野球はチームプレーだ、一人でやるもんじゃない。
去年の予選、史佳はスタンドで応援してくれたのに。
史佳は変装していたが、俺の目は誤魔化せない。
必死で声を枯らし、最後は号泣していたっけ。
絶対にやってやる、この夏は必ず結果を出してみせる。
それだけの力を野球部のみんなもつけたのは間違いない。
自惚れでは無い自信があった。
一日が終わり、史佳の自宅に寄る。
俺の手には空になった二つの弁当箱が握られている、
「よ!」
「政志、お弁当どうだった?」
「ありがとう、今日も最高だったよ」
「大袈裟ね」
俺からの呼び出しに出てきた史佳がクスリと笑う。
街灯に照らされ輝く史佳の笑顔。
胸が高鳴る、やっぱり最高だ。
「余り無理しないでね」
「大丈夫だよ、また頼む」
「...うん」
差し出した弁当箱に微笑みを浮かべ、史佳は受けとる。
また明日には史佳が用意してくれる。
愛情一杯の弁当を...
「どうしたの?」
「あ...いやその」
いかん顔が熱い、何か言わなくては。
「こんなに料理上手かったんだな」
「...ありがとう」
お世辞抜きに史佳の料理は旨い。
旨いだけではない、栄養のバランスも完璧で紫織も驚いていた。
あんなに料理が上手いとは知らなかった、中学の頃はそんな事無かった。
『まあ色々あったのよ』
以前史佳はそう言った。
一体何があったんだろう?
「じゃ、また明日ね」
明日、学校へ行く前に史佳から弁当を受けとる。
これが俺の活力源、誰がクソ野郎に渡すもんか。
「史佳...俺、絶対甲子園に行くからな」
思わず言ってしまった。
でもこれは、今付き合ってくれって意味じゃない。
その覚悟だけは分かって欲しいんだ。
「...あの...政志...」
「分かってるよ、まだ返事はいらない」
固まる史佳を残し自宅へと走る。
脳裏に一年前見てしまった史佳の姿が浮かんで、叫びたくなって来た。
『史佳、大好きだ!誰にも渡すもんか!!』
心で叫んだ。




