021 離宮の休日①
何代か前のアルタス王国の国王が王都郊外に造らせたというその離宮は、背後に豊かな森林が広がっており、退位後彼の王はその地で在位中は楽しむこどができなかった趣味の植物研究に勤しんだという。
今では背後の森も含めて全域が王家の保養地として禁域とされ、貴重な動植物の宝庫ともなっていた。
学舎では植物学も研究しているサイアが、機会があればいつか見てみたいと言っていた場所だった。
カリスは今その森のなかを、王太子に連れられて、サイアと歩いていた。
二人はびっしりと刺繍が施されてはいるものの、形としてはシンプルで動きやすい蒼黒を基調とした揃いの狩猟服を纏っている。カリスの服の刺繍が主に服地と同系色の糸で要所に銀糸を使っているのに対して、サイアのものには淡めの黄色の糸と銀糸を使い、さらにそこに装飾が加わることで女性らしさが表されていた。
カリスは腰に剣を佩き、サイアは剣の代わりに森歩きに適した少し長めの黒い棒を持っている。さらにカリスは弓矢も背負っていた。
「礼をしたいと言ったことが、こんなことですむとは思わなかった」
「立ち入り許可をもらったうえに休暇に同行させてもらってすまない」
「いや、久しぶりにこんなに長くカリスと色々話す機会が得られたのだ。わたしにとっても嬉しいばかりの休暇になって、本当に礼になるのかと思うくらいだ」
その言葉通り緊張の解けた楽しげな表情を浮かべているサハルもまた、王族に相応しい豪奢な、けれども動きやすい狩猟服を身に着けて、腰に剣を佩き弓矢を背負う。
「最愛の妻の望みが叶えられて感謝している」
そうかと頷くサハルは満足そうだ。
精霊銀の取り扱いやサイロウ産の服地の献上、そのほかにもいくつかの情報提供などに対して、礼をしたいと伝えられたカリスが頼んだのが離宮の森への訪問許可だった。最近はマナリの出戻りなどでいやな思いをしただろうサイアを喜ばせたいと考えてのことだった。
だが王太子の休暇に同行したことで、王太子妃と親しく話す機会をサイアに与えることができたのは、今後サイロウの名を背負って社交界で過ごすサイアにとってとても助けになることだ。
王妃との関係改善が進んだことで、王妃派王太子派のバランスを気にしすぎずにすむようになったからこそ頼めたことである。
王太子夫妻は今回の休暇にテルトとシーラも伴っている。テルトは王太子の側近として補佐のため、シーラは王太子妃の話し相手として、もともと同行予定であったが、そこにカリスたちが加わった。
休暇に際して離宮と禁域の森は、安全確保のため王太子付きの近衛騎士により普段の警備に重ねての万全な確認がなされている。そのうえで離れた位置に多数の近衛騎士を護衛として配置し、身辺警護にはサハル腹心の近衛二名を連れての森の散策。サイロウの護衛も最小限の側仕え一名のみであったので、二人の口調は自然砕けたものとなっていた。
「せっかくの休暇中に、サハルを連れだすことになってタシヤ妃殿下には申し訳ないことをした」
「いや、かまわない。タシヤは今頃厨房を占拠して菓子作りを楽しんでいる。王城ではできない離宮ならではの楽しみだからな、シーラもいるしかえって羽を伸ばしていることだろう。わたしもタシヤが厨房にいるあいだは別のことをしていることが多いから、あれもかえってわたしが離宮にいないほうが気を遣わずにすむのではないか」
虫の類がたいそう苦手な王太子妃は、離宮で兄のテルトやその妻シーラとともに留守を預かり、趣味の菓子や軽食作りをしながら待っている。
森歩きに来たのは、護衛を除けば王太子のサハル、あとはカリスとサイアの三人だ。サイアは朝からうきうきと楽しそうな笑顔を浮かべており、タシヤやシーラから微笑ましそうに見送られていた。
昨晩は離宮での休暇中ともあって、晩餐後は酒を片手に六人で遅くまで歓談の時間をもったが、そこでサイアはタシヤやシーラと打ち解けて話すことができていた。タシヤやシーラも素直で控え目ながら芯の強いサイアを気に入ったようで、妹のように接するようになっており、サイアの王都社交界での地歩は着実に固められている。
歓談中に、カリスの良さを聞かれたサイアが熱弁をふるったり、それで珍しくもカリスが微かに照れた仕草を見せたことをサハルやテルトに思い切りからかわれたりと、様々なことを語り合ううちに、もとから親友同士だった男性陣だけでなく、サイアとタシヤ、シーラも打ち解けてきたそのころ、タシヤが遠慮がちにサイアに尋ねた。
「あの、ひとつ聞いてもいいかしら。お気を悪くしないでほしいのだけれど、王城でお見かけしたときよりも、なんだかサイア様の背が少し、いえ、気にかかるくらいには小さいように思うのですけれど」
「ああ、実はわたくしも、舞踏会やお茶会でお会いしたときとなにかが違うように思っていましたのよ。なんというか、カリス様と並ぶと頭の位置が違うような……。確かに女性は靴の種類で身長は変わりますけれど……」
「そこまで変わるものかしらと思って……」
そこにサハルとテルトも加わった。
「それはわたしも思っていた」
「オレも午後にカリスたちが離宮に着いて馬車から降りてきたときに思った。だが聞くタイミングを逃してしまってね、そのままになっていた」
そんな皆の視線を集めたサイアは少しばかり恨めしそうにカリスを見た。だから言ったのにという心の声が聞こえるようだ。
「そんな可愛い顔で見ても駄目だよ。これについては譲らないし、わたしの判断は正しい」
「カリスさまは心配性すぎるのです。私転んだりしたことありませんでしょう?」
「明日は森のなかを歩くんだ。平らな床のうえとは違う」
「まあ、ということはやはり靴ですの?」
「そうなのですよ、タシヤ妃殿下。サイアのあの靴はほとんどつま先だけで立ち、歩いているようなものです。さらに言えば、そのつま先の部分も靴底に厚みを持たせることでより高さを出しているのです」
「まあ、妻にそんな靴を履かせるだなんて……」
「いいえ、シーラ様。これは私がカリス様を説得して作り変えていただいたのです。始めはそこまで高くしなくてもと、なかなか納得していただけなくて、ダンスを完璧に踊ってみせてようやく履くことを許していただきました」
「どういうことですの?」
「実際に見ていただいたほうが早いですね。カリスさま、お願いできますか」
サイアに請われて、カリスは立ち上がると自分の妻にダンスを申し込むように手を差しだしてソファから離れるようにエスコートすると、パートナーをホールドした。
「な、なるほど……」
「確かに……」
カリスが上手になるべく美しい姿勢で支えてはいるものの、サイアの頭がカリスの鳩尾より少しうえのあたりなので、身長差がありすぎる。婚約したはじめのころはぎりぎり鳩尾だったのでそのときよりは育っているのだが、サイアの願う身長にはまったく届いていないのだ。
そのサイアの特注の靴は、カリスの指示でサイアの背が伸びるのに合わせて都度低く作り直されている。サイアはそのままでいいのにと不満そうだが、いくら可愛い妻の頼みでもカリスはこれを聞き入れるつもりはなかった。
二人はホールドを解き、ソファに戻った。
「これでも踊れないわけではありません。カリスさまはダンスがとてもお上手ですし完璧にリードしてくださいます。ですが私がいやなのです。これは女の意地なのです!」
女の意地という部分に共感するものがあるのか、タシヤとシーラが納得したように頷いている。だが男性陣の心にはその理由は少しも響かなかった。
「サイアにはこんな頑固な一面もあったのだな……」
「確かにこんなに主張するサイア殿は初めて見た」
「サイアはこう言って聞かないし、確かにあんな拷問のような靴を履いて軽やかに踊ることができる。母も最初は作り変えることに反対していたはずなのに、いつの間にかサイアの味方になってしまうほどに見事なものだ。それを成し遂げることのできるサイアの努力と能力をわたしは尊敬しているよ」
「なら……」
「だが、森歩きのときに履くことは絶対に許可できない。足を痛めるような危険にさらすのは許容できないんだ。それなら、どうせばれるのであれば、休暇の最初から履かなくても同じことだろう? だいたいわたしはありのままのサイアが可愛くて好きだ。それでは駄目なのか?」
「……あと少し、せめてカリスさまの胸に届くまで……。本当は肩に届くまで……」
「いや、サイア、わたしはサイロウのなかでも体格がいいほうなんだ。そんなに無理をしなくとも身長差のあるダンスパートナーには慣れている。問題ないんだぞ?」
戯れのような夫婦の諍いを微笑ましく眺めながら、休暇初日の夜は更けていったのだった。




