病人は布団の中に
「……ぅう?」
重く響くような頭痛と、額に感じる冷たい感触で目が覚めた。
知らない天井、体に何かが載っているかのような圧迫感。水滴が落ちるポチャッという音。そして、体全体に染み渡るような温もり。
「ん……よいしょっと……ん?」
ゆっくりと体を起こすと、額に乗っていた冷たい何かが落ちてきた。
下に目を向けると、何やら白い布があった。触れてみると、氷のように冷たく、オレの額に乗っていたせいか少し温かかった。
先ほどの圧迫感の正体は、掛け布団だった。汗をかくことを目的としているのか、少し分厚く熱を逃がさないような構造になっているようだった。
なぜか服装も変わっている。夏の暑さと紫外線に対応するため、風通しが良く紫外線をカットする服装をしていたはずなのに、いつの間にか黒いパジャマみたいな格好になっている。ほらあの、前をボタンで留めるやつ。
雨降ってたのに、なんでそんな格好を?とか質問が来そうだから先に答えておくけど、曇っていようが雨が降っていようが、日焼け止めクリームを塗るのと同じだよ。これでも肌に気を使ってるんだ。
「あらぁ、お目覚めかしら?」
右方向から凛とした男性の声が聞こえた。
そう、男性である。声変わりはしているものの、おっさんみたいな地を揺るがすような低い声ではない。どちらかというと、聞いていて心地よくなる声だ。
右を向くと、女性がいた。
いや、女性の姿をした男性がいた。しかも、その青髪は長く、額に青色の水晶が付いている。それを除けば、外見は人間の女性とは変わらない。
ゆったりとした白い服を着ており、履いているスカートの裾は床につきそうだ。座っている状態でその状態なのだから、スカートの丈はかなり長いだろう。
そばにサイドテーブルが置いてあり、その上には水の入った白い桶が置いてあった。形としては、お風呂に置いてあるケ◯リンと変わらないが、素材はプラスチックではなく石っぽいように見える……石なのか?
「あ、え、えーっと……」
初めて見る顔に驚き、咄嗟に言葉が思いつかないオレの心境を察したのか、目の前の男性は自身の唇に人差し指を当てて言った。
「慌てなくていいのよ。あなたは丸三日ほど眠っていたのだから」
「み、三日も!?」
お腹に優しい食べ物を貰ってきてあげるわ。そう言って、男性は部屋を出て行った。
……男性?
……いや、もう女性でいいや。姉御って呼ぼう。
牢屋のような場所に召喚されてから、確かに記憶が無い。筋骨隆々の男に何か言ってから記憶が無くなるまでのことは覚えているのだが……というかあれは夢じゃなかったのか。
三日も寝ていたということは、おそらく飲まず食わずで、ということだろう。
この世界の、いやこの国の、いやいやこの場所の医療技術がどうなっているのかさっぱりわからないが、点滴なるものが無いため、もしあと数日オレは目を覚まさなかったら、栄養失調で死んでいただろう。
変だな……召喚されてからオレ、死にかけまくってない?
すっかりと温くなった布を、白い桶の縁にかける。そして、三日間動かしていない体を動かし、ベッドから這い出て、床に足をつけた。
「痛っ」
そういえば、数日間寝ているだけで、数年分の筋肉が落ちるとかテレビでやってたな……今のオレがまさにその状態なのかもしれない。
腰を捻りながら、ゆっくりと部屋を見渡す。
オレが寝ていたベッドとサイドテーブルを抜かせば、部屋にあるものは暖炉にクローゼット、壁掛けランタンが入り口付近に一つと、ベッドのそばに一つ。内開きっぽい木でできたシンプルな扉に、外が見えるほど透明なガラスが張ってある窓。
別にキラキラとした宝石が散りばめられているわけでもなく、カビが生えるほどジメジメしているわけでもなく、壁はクリーム色で床はライトグリーンのカーペット……目に優しいな。
オレは窓に近づいてみた。
透明すぎるため、本当に窓にガラスが張ってあるのか、確かめたかったのだ。
足腰の痛みを無視し、窓の方に近づこうと足を一歩踏み出した時だった。
「お待たせぇ〜!悪いわねぇ、シェフがなかなか出してくれなくって!人間のお口には合わないから、出すだけ無駄だ!なーんて、ひどいわよね……何をしているのかしら?」
ノックもなしに扉を開けて、片手に白い皿を持った姉御が帰ってきた。
さっきまで寝ていたオレがベッドから出て、部屋を歩き回っていたことに怒っているのか、声が一瞬にして低くなった。
「ん?いや、この窓は本当にガラス張りになっているのかなと。こんなに透明な窓は見たことがないからな」
経験上見たことないだけで、普通に透明なガラスは見たことあるぞ。透明と言っても、普通のガラスは砂埃で汚れてしまうから、外見るとき砂埃が風景に被ってしまうんだよ。だけど、このガラスは砂埃が一切付いていない。毎日掃除しているとしても、外側のガラスの掃除は人間には難しい。
一瞬だけ外が見えたが、ここは地上からかなり離れていて、ベランダも付いてない場所だ。つまり、オレが今いる場所は、かなりの高さがある建物……ということだ。情報が少ないため、それしかわからないのは不安だがな。
「勝手にベッドから抜け出したことは謝る。すまなかった」
オレは姉御の方へ向き直り、頭を下げた。
「……はぁ、まったく。頭を上げなさい」
ベッドを挟んで反対側から、ため息を吐く音が聞こえ、先ほどの優しそうな声色に戻った彼女に言われてオレは頭を上げた。
「別の世界から召喚されたのだもの。この世界の物に興味を持つ気持ちもわからなくはないわ。だけど……」
ベッドに戻ったオレの額に人差し指を当てられた。その指はひんやりと冷たかった。
「ソレとコレとは別よ。あなたは病人なの。まだ寝てなきゃだめよ」
子供に言い聞かせるような声で、そう叱られた。
いやいや、オレもう二十歳過ぎだぜ。子供みたいに言われなくてもいい歳だぜ。
まぁ言われなきゃできねぇところが、子供っぽいとか言われる原因なんだろうけどさ。
姉御はオレの態度に満足したのか、先ほど座っていたサイドテーブルの隣にある椅子に腰掛けると、手に持っていた皿の中身を見せてくれた。
「……紫色だな」
「えぇ、紫色よ」
オレの目がおかしくなったわけではなく、本当に紫色だった。
細かく言うと、すり潰された紫色の何かが、皿の上に盛られている。
せっかく用意してくれたのだから、食べなければ人間として駄目な気がする……というか、食べるという選択肢しかない気がする。だってさ……
「はい、あーん♪」
皿に盛られている紫色の物体をスプーンですくい、柔らかい微笑みを浮かべながら突き出してくる姉御を見たら、食べなければいけないと思うしかなくなるじゃないか……あ、左利きなんだ。いやそうじゃなくて。
ここで拒否しようものならば、オレはこの病み上がりという状態のまま放置され、そのうち死ぬだろう。
あれ?おかしいな、ここで食べなければ死ぬ未来しか見えないぞ?
そういえば、さっき姉御はなんて言ってたっけ……シェフが人間の口には合わないからやめろ、と言ってたんだっけか。
おやおや?食べても食べなくても、結果が同じように感じられてきたのだけど……これなんて詰みゲー?