目覚めは冷水をかけられて
バシャッ
という音と、顔面にまるで氷水のような液体の感触がするのと同時に、オレの意識は浮上した。
「うぅ……さむっ……あと頭と胸と背中と尻と顔が痛ぇ」
うっすらと目を開けると、黒い、どこまでも黒い穴が見えた。
あ、違ぇや。天井が見えねぇやつだこれ。知らない天井どころか、気が遠くなるほど高い塔の中だコレ。
本来なら、外から入る明かりとかそういうので天井が見えるのだけど、おそらく窓がないんだろうなぁ……。
起き上がって辺りを見回してみると、自身がいる場所がなんとなくわかった。
「……牢屋かよ」
床と壁は不規則な形の岩で出来ているのだが、どこかの遺跡みたいに隙間なく敷き詰められている。
オレの背丈は大体172cmなのだが、ちょうど胸の高さの壁に松明が等間隔で付けられている。そのおかげと言っちゃなんだが、割と遠くまで見渡せる。
予想が確信に変わったのは、見回した時に見えた巨大な鉄格子だ。金属なのか、それとも別の物質なのかわからないが、細い棒が縦に並んで刺さっていた。
もちろん、隙間から通り抜けることができない幅で。
「いやいや、広すぎだろ。人間一人閉じ込めるにしたって、この広さは異常だわ」
広さは……そうだな、直径50mくらいの円を想像してほしい。
そう、そのくらいだ。50m走ができるぜ。
にしても寒いな。
いや、オレが濡れているからなんだろうけど。
とりあえずは、そこの松明で暖を取ろう。
「わー、あったけぇ。生き返るわー、あははははー」
足元にあった魔法陣らしき線は見なかったことにした。
「いやー、このままじゃ風邪引くからなー、松明があって助かったぜ。ひゃっほう」
心なしか、自身の独り言が弱々しく聞こえる。あとなぜか頭がクラクラする。
ふと、檻がある方を見てみた。
誰かが立っている。
一人は女神と同じくらいの身長の少女がいた。シルエットからして額から角が生えているように見えるのは、オレの見間違いだろう。
もう一人は、かなり体格が良い男性だ。身長は鉄格子よりも高く、ここからでは頭のシルエットを見ることはできない。が、その腕や足の筋肉は時折、ピクピクと小刻みに揺れており、今にも鉄格子を壊してしまいそうな構えをしている。
いや、本当に壊しそうだ。あれ?どうして鉄格子の隙間に両手をねじ込んでいるのかな?
「ふんっ!!」
直後、そんな声と鉄格子のギギィという耳障りな音が同時に聞こえ、鉄格子がぐにゃりと変形し、巨体の男性が一人通れるような大きさの穴が空いた。
「……」
流石にオレでも唖然とするわ。堅そうな鉄格子を、掛け声一つで捩じ曲げるんだもの。
捻じ曲げられた鉄格子の間を、さも当然かのような平然とした表情で通り過ぎこちらへ向かってくる少女と大男。よく見ると、男性の側頭部にはそれぞれ一本ずつ、ヤギのような角が生えていた。
二人はそれぞれ、松明で暖を取っているオレの前に来ると、ピタリと立ち止まった。どうやら牢屋の見回りではなかったようだ。
松明で照らされた少女は蝋人形のように白く、まるで絵画の中から飛び出してきたような、綺麗な顔だった。開いた瞳は、人間には無い赤色をしており、松明の明かりがその中で揺らめいていた。
そして血の色のような、深紅のドレスを纏っており、銀髪は輝いていた。そしてやはり、額には一本の漆黒の角が生えていた。
もう一人の男性。これは彼女の父親だろうか。
髪は彼女と同じ銀髪で、側頭部には漆黒の角。真っ赤な目は暗闇でも淡く光っていた。一つ違うところがあるとするならば、皮膚の色だろう。少女と違って日焼けしているのか、少しだけ色黒かった。
あと、なぜか半裸だ。下は履いているが、それでも筋肉のせいで今にも破れそうだ。
「……」
「「……」」
オレも無言。相手も無言。
どうしろって言うんだよ。明らかに人間ではない相手と、急に対面して和やかに話せと言われたら、そりゃあ無理だと叫ぶだろう。
「どーも初めまして、オレはカタルと申します。先ほど冷水により目を覚ましたのですが、一体ここはどこなのですかねぇ?」
オレの思考に関わらず、なぜか体が勝手に動き出し、一礼したかと思うとおどけた口調で喋り始めた。そう、オレの体が、である。
まるで誰かに操られているかのごとく、勝手に動き出し、勝手に話し始めたのだ。20年くらい生きてきて、こんな不可解なことは今まで体験したことがない程、自身の行動に驚いた。
オレ自身驚いているのに、チラッと二人の顔を見ると彼らの方が驚いた顔をしていた。
なんでだ?なんでいきなり、勝手に体が動いたんだ?
「……うぬはアレか。我らをおちょくっているのだな?」
「いえいえ、オレは今あったことを、そのまま伝えただけでございますよぅ。それをおちょくっているなどと……そぉんな恐れ多いこと、オレが言うとでも?」
だめだ、制御できない。頭がクラクラする……あ、風邪だわこれ。
「……四天王の代わりとして召喚したが、まさかこんなふざけた人種が出るとは……我も腕が鈍ったか」
「ちちうえ」
男が額を押さえて独り言を呟いている中、鈴を転がすような声が聞こえた。
それでもそれが聞こえなかったのか、独り言を呟き続けている。
「……いっそここで殺してしまうか?いやいや、もう魔力は残っておらん……ここで魔力を使い果たしてしまったら、誰が娘を守るというのだ……はぁ、どうするか」
「ちちうえ」
なにやら物騒な言葉が聞こえた。
殺される?オレが?おいおい、勘弁してくれよ。
そんな想いに応えるかのごとく、オレの体と口は勝手に動いてしまう。
「おやおやぁ?もしかして、オレを召喚したことを悔やんでます?いやいやぁ、もう遅いと思いますけどねぇ」
「……こ奴……いや、本気で殺されたいようだな……ならば一思いに殺してやろう」
だめだ。頭が回らん。きっと今、38.0℃を超えたぞ。
汗か雨水か、それともただの水かわからないが、額を流れる感触を感じているものの、体は勝手に動いている。
肩をすくめ、ニヤニヤとした笑顔を浮かべた状態のオレの頭上に、紫色の毒々しい玉が出現した。ゴポゴポと不穏な音が聞こえて来る。
「ちちうえ!!」
三度目の呼びかけが聞こえた。その言葉は、男の耳に届いたのか、彼の目が少女へと向いた。
「なんだステラ。我は今、こ奴を処刑するのに忙しいのだが」
「まって、だいじなことなの。きいて」
少女の言葉に、オレは消え入りそうな意識を保つべく、しゃがみ込んだ。体が動くのは話すときだけ。それ以外は自分の意思で動かせるらしい。
そんなオレを見て、何を勘違いしたのか男が笑って言った。
「覚悟ができたか。ならば……行くz」
「まってっていってるでしょう!!」
「うおっ!?」
牢屋の壁を震わすような声に驚いたのか、空中に浮いていた紫色の玉は見当違いの方へ飛んでいき、オレがいる場所のちょうど反対方向にある壁にぶつかった。
ブシュゥゥゥゥッ!!
という、何かが勢い良く溶けるような音が聞こえてきたが、オレは聞こえないふりをした。そんな余裕、もう無いからな。
「あ……もうだめだ……」
頭がクラクラとして、もう何も考えられなくなったオレは、思わず座り込んでしまった。
あ、この床なんか冷たくて気持ちよさそうだな。ちょっと固いけど、この上がってしまった熱を冷ますには、丁度良いかもしれない。
オレはその冷たい床に横になり、働かない頭を休めようと意識を手放そうと目を閉じた。
「おやすみ〜……」
とりあえず、寝る前の挨拶は、しておいた方が良いよね?
男と少女が何か言い合いをしているが、オレはその内容を聞くことなく、意識を手放した。