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私の父は人間の皮を被った悪魔

今日は私の父親について話したいと思います。

私の父親は大変外面のいい人間だった。


しかし本性は人間の屑。

我が家の事情を知っていた幼馴染の母親曰く、人間の皮を被った悪魔。

私も成人して父親の本性を知った時は戦慄した。



私の母は姉の父親と結婚する事なく姉を生み、一人で姉を育てている中で父と出会う。

姉の父も大概屑なのだがそれは追々話をしたい。


当時まだ二十歳そこそこだった母は年上の父がひどく魅力的に見えたそう。

父は五人兄弟の末っ子でバツもついてない、所謂新品の男だった。

対して母は未婚の子持ち。母の時代は今よりもまだ世間体に厳しい時代と言えば察してもらえるだろうか。

未婚で子持ちの母が結婚も離婚もした事のない新品の父と結婚する、それは当然父の両親がよくは思わない。


しかし、父は家族とは縁を切り母と一緒になった。

お前の為に家族と縁を切ったと。家の名前を名乗る事はもうできないのでお前の家の婿になるとその言葉を父の口から聞いた母は、自分の為に家族を捨てさせてしまったと考え何があっても父を支えて立てていこうと決意する。

父の男気ある行動のお陰でめでたく二人は籍をいれる事が出来た。

連れ子である姉を邪険にもせず、何ていい夫を持ったのかと母は思ったそうだ。

しかし結婚してから父に多額の借金がある事が分かる。

それでも母は自分の為に家族を捨てた父を支えた。

共に働き、不仲な兄に頭を下げ生活するお金を借り、父の会社の社長にも金を貸してほしいと頭を下げた。

自分の借金ではないが自分の夫の借金。

夫婦は運命共同体と言わんばかりに父に尽くす。

真実に気づく十年の間、母は父に騙されていた。



真実は残酷だった。

私が生まれ、弟が生まれ、数年が経った頃。

私が小学校一年くらいだったろうか、初めて父の実家に行く事が出来た。

父に家族を捨てさせたままではいけないと、母は何度も父の両親に会いたいと父に伝えていたそうで、二人が結婚して十年目にそれは叶った。


父の両親は自分を許してくれるだろうか、認めてくれるだろうかと不安だったらしい。

気持ちは十分によく分かる。

母は父の家族から父を奪った女だったのだから母が不安になるのも仕方がない。

それでも父と家族が再び交流できるようになるなら、自分が辛くとも喜んで苦渋を飲むつもりだった母は姉と私と弟と、初めて父の実家の敷居を跨いだ。


おかしい、とその日に思ったと言う。

母は父を奪った女なのに、揃った親族に邪険にされる事もなく普通に迎え入れられた。

罵声を浴びせられる事も予想していた母はいいお嫁さんだね、安心だと拍子抜けするくらいに受け入れられている状況に戸惑いを隠せなかった。

しかし初めて会った父の両親や兄弟たちとまずは仲を深めないとと、おかしいと思いながらもその疑問を尋ねる事はしなかった。

この日から母と私たちは何度か父の実家に訪れる事になる。

父の実家は私たちが暮らしていた市営団地から車で二時間はかかる田舎でいつでも行けるという訳ではなかったが空白の時間を取り戻すように数ヵ月に一度訪れる。

何度目かの訪問で、母は父の一番上の兄に今まで思っていた疑問を尋ねた。


私を恨んでいるのではないのか?

夫は、縁を切っていたのではなかったのか?


答えは否。

父は家族との縁を切っておらず、母と付き合っていた事も家族は知らなかったという。

初めて実家を訪れる一年程前に結婚した事を告げられたと長男は母に言ったそうだ。


母は父に騙されていた。

未婚の母の負い目を利用され、母の家の婿になった。

それもこれも全部、金の為だった。

生活に困るくらいの多額の借金がある父はどこからもお金が借りれない状況だった。

しかし母と結婚し母の名字になれば話は変わる。

お金が借りれる。金が手に入れば好きなものを買える。

父はその為に態々恩着せがましく家族と縁を切ったと母に嘘を言い、母は見事に騙された。

自分の為に全てを捨ててくれた夫を大切にしなければと多額の借金を一緒に返し、自分や私たち子供に使うお金は細々と、しかし夫である父が馬鹿にされない様にないお金を何とかやりくりして用立てる。

そのお金が父の趣味や付き合いに消えていく事にも文句を言わず、夫は立てるものだからと馬鹿みたいな十年を費やした。


この一件で母の父に対する思いも信頼もなくなり夫婦は離婚…かと思いきや。

父は心を改める、姉や私や弟の為にも離婚は思い留まってくれと懇願してきた。

しかし父の金使いは直らない。家計は火の車にも関わらず人に借りた金を返したいから十万円工面してくれと母が他人様に迷惑をかけたままではいけないと苦労して何とか用意し渡した十万は遊びに使われた。


母の心は限界だった。

何も知らず父を慕う私たちを見てどう思っていたのか。

私の記憶の中では幼かった私たちの前でに母が父の悪口を言っていた記憶はない。

私たちを傷つけたくなかったのか、何なのか。

母の心が壊れる寸前だったそんな時、母は職場である男性に出会った。

男性に癒され行き場のなかった思い、傷ついた心が少しづつ癒されていく。

不倫はいけない事だが私はこの時の母の状況だと仕方のない事だったと思っている。

母は何度も祖父母に父との事を相談していた。

しかし祖父母は昔から素行の悪かった母よりも外面のいい父を信じきっていた為に母の言葉を信じない。

未婚で子持ちの母を貰ってくれただけ感謝しなさいと母を責めた。

誰も助けてくれない、私たちを傷つけたくない、母の拠り所は心を癒してくれた男性。

しかし男性との密かな交際は数ヵ月で父に知れた。

父は激怒。会社に乗り込み男性を責め母と男性の交際は終わりを告げたが父と母の仲も悪化した。


この頃から父は母に暴力を振るう事になる。

家の中はいつも父の罵声と母に暴力を振るう鈍い音が聞こえていて私は別室で姉と弟と三人で身を寄せ震えていた。

母はいつも痣だらけ。顔にも体にも。

それでも母は子供部屋から出てきてはいけないと私たちに笑っていた。

強い人だと本当に思う。


ある日、いつもの喧嘩だと思っていた夜中の事。

私たちの耳にもの凄い音が聞こえた。

その時の事は今でもよく覚えている。私にとっては忘れられない出来事。

いつもとは違う音に恐ろしさでいっぱいだったが私と姉は弟を部屋に残し父と母がいる居間へ向かった。

そこには…まだ小学四年だった幼い私にとって世にも恐ろしい光景が広がっていた。

父は割れたビール瓶で母を殺そうとしていた。

母は先端の曲がった包丁で父を殺そうとしていた。

辺りにはどちらのものか分からない血が飛び散っていて畳の床に、襖に生々しい血痕があった。


お父さんやめて!

お母さんやめて!

止まって!殺さないで!

お願い二人ともやめて!!


弟も居間に来て、姉と弟が母に、私は父に抱きついて必死に止めていた。

子供の力なんてたかが知れてる。それでも私たちは両親の殺し合いを必死で止めた。

長い、長い時間だった。実際はそんなに経っていなかったのかもしれない。

でも私には地獄のように長い時間だった。

足の裏は散乱していたビール瓶とグラスの破片で数ヵ所切れていた。


子供部屋に戻された私たちは眠る事もできずに朝を迎え、早朝五時頃に父が仕事へ行くと母が子供部屋にやってきた。

怖い思いをさせてごめんねと泣きながら私たちを抱き締める母に死なないでと泣いた。

幼馴染の母曰く、私たちの叫び声は団地中に聞こえていたらしい。

やめて、止まって、殺さないで、お父さん、お母さんと泣き叫ぶ私たちの声に、よっぽど家に行こうかと思ったくらいだったと言う。

夫に他人の家の事情に首を突っ込んで何かあったらどうすると止められその時は行くのを止めたと言っていたが、父の怒鳴り声と母の叫び声、私たちの悲痛な声を聞いて夜中寝静まっていた団地中の家と近隣の家の明かりが一斉に付いたという事を聞いた。

当時まだ小学四年だった私に家の壁が薄いとか、外に聞こえていたなど分かるはずがない。


朝は集団登校で学校に行く為団地の敷地内でグループを待っている私に幼馴染の母親が大丈夫かと声を掛けてきたのが不思議でならなかったのを覚えている。




それから母に対する暴力は酷くなった。

母の痣はいつも消える事なく新しい痣が増えていく。

母は過呼吸を起こすようになり何度も救急車のお世話になった。

呼吸が止まりそうな母の姿が目に焼き付いて離れない。

死んでしまうと毎回思った。


父と母は私が小学六年の時に別れた。

母に話を聞くまで知らなかったのだが…不思議な事に父は母と籍を抜く事は拒み、弟が高校を卒業するまで離婚届けが出される事はなかった。

理由は分からない。


我が父ながら情けない。

母は私たち三姉弟を女手一つで育ててくれた。

養育費の五万円を父が支払ったのは最初の二ヶ月だけ。

父の給料は当時二十数万はあったというのに子供三人の為の五万円も払えない。

金額を減すように母は言われ三万に、三万の養育費なんて何の足しにもならない。

数ヶ月後にはその三万も支払われなくなった。

母は昼間は事務の仕事をし夕方に一度家に帰るとご飯の支度をして夕方から夜までスーパーのパート、夜中はスナックで寝る間も惜しんで働き私たちを育てた。

まだ父の本性を知らなかった私は月に一度父に会っていて、母との生活はどうだと聞かれた時に母と余り会えていない事を父に話した。

母と会えるのは母が仕事に行くまでの朝の時間、そして夕飯の支度をする為に家にいる一時間程度。

それを聞いた父は養育費を五万にするから子供たちと少しでも一緒にいてやれと母に提案した。

母は本職以外の二つの掛け持ちの内どちらか一つでも辞めてしまえば生活は出来ない事、以前のように支払わなくなればまた空いた時間帯に出来る職を探さなければならない事を伝えると父は必ず支払うと約束した。

父を信じて母はスーパーのパートを辞めたのだが…舌の根も乾かぬ内に父は五万円から二万円に養育費の金額を下げてくれと電話を掛けてきたので母は激怒。

もう金はいらないから二度と電話をかけてくるなと父からの連絡を拒否するようになり私も弟も父と会う回数は以前よりも極端に減った。


母は本当に大変だったと思う。

よく体を壊さなかったと関心すらする。

自分も同じように出来るかと言われれば…きっと出来ないだろう。

父のようなどうしようもない男と一緒になってしまった事は母自身のせいだが父がもう少しでもまともな人間であったならまた違うとも思う。


私は成人するまでは父の事が好きだった。

幼馴染の家で母の苦労を聞くまでは。

何が切欠でその話になったのかは覚えていないが幼馴染の家で幼馴染の母から両親の話を聞いた時の衝撃は凄かった。

この話を聞いて私は母に今までの事を教えてほしいと伝え、真実を知る事となったのだ。


父の本性を知ってから、久しぶりに父と会う機会があった。

父方の祖父の葬式に弟と参加した時の事である。

その日は日曜で朝の八時に父が車で迎えにきた。

久々に会った父はガソリンスタンドでもたつく店員に悪態を付き私と弟とがっかりさせた。

免許のなかった二十歳の私とまだ高校生だった弟は当然父に送ってもらわなければ家に帰れない。

私は翌日仕事があったし弟も学校があったので飲酒はしないと思っていたが父は葬式の後に親族たちと酒を飲み始め顔を真っ赤にする程酔っぱらっていた。

因みに父は飲酒運転で何度か事故を起こしている。

死にかけた事もあるし会社にも迷惑をかけただろう。

平気で酒を飲み、私と弟を家に送ろうとしていた父。

はっきりいって信じられなかった。

短気を起こし暴れる父の姿、やってはいけない事を平気でやる父、母を騙しとことんまで利用し、あげく養育費までケチる父。

これが自分の父親かと思うと情けなかったし自分にもこの最低な男の血が流れているかと思うと鳥肌が立つ。



これ以降も色々あって私は自分の父親が如何に最低な男か思い知る。

三十路になった今、父とは一切連絡を取っていない。




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