22 二つに一つ
ドルミーレは大きな声を上げて笑った。
心底おかしそうに、そして全力で私を馬鹿にするように。
そんな見事なまでの高笑いに、怒りすら湧かない。
ドルミーレはひとしきり嗤うと、少し顔を嘲笑に歪めたまま私を見た。
「あなたは本当に面白いわね。まだ自分に何かできると思っているの? 私の夢に過ぎないあなたは、私の糧に過ぎないあなたは、もう消えるだけなのよ? 抗う余地なんて、まるでないというのに」
「そんなことない。だって、私はまだこうして存在している。まだ、終わってなんていないんだから!」
自分を奮い立たせるために強く声を上げ、私はドルミーレを強く睨んだ。
確かに今は、この上ない絶望的な状況だ。
ドルミーレに何もかも埋め尽くされて、心が辛うじてまだこの世にしがみついているだけ。
それでも、これはみんなが私を支えてくれている結果だから。まだ、諦める理由にはならない。
「ドルミーレ。私には、沢山の人たちが繋がってくれている。みんなの想いが、希望が、望みが、私の心を強くしてくれているんだ。だから私は、あなたに屈するわけにはいかない。あなたを打倒して、みんなの幸せを勝ち取らなきゃいけないんだ!」
この不確かな体で、何ができるのかはわからないけれど。
それでもまだ存在しているんだから、希望は潰えてはいない。
こんな身勝手で寂しい人に、その無駄に大きな力で好き勝手にされたらたまったものじゃないから。
みんなが生きる未来のためにも、私は最後まで足掻き続ける。
私がそう言うと、ドルミーレはもう一度クスリと笑った。
そして唐突に、その手に握っている折れた『真理の剣』を、さっと宙で振るう。
すると、握る柄から純白を黒が侵食して、そしてそれが伸びた先の刀身で、折れて欠けた部分を黒が補う。
あっという間に元通りとなった黒い『真理の剣』を掲げて、ドルミーレは私にほくそ笑む。
「その意気は見事だけれど。でも、どうやって? あなたに、私を打倒しうる力はあるのかしら。あなたが今まで使っていた力は、飽くまで私から流れ出ていたもの。こうしてその心が離れた今、あなたには何の力だってありはしないのよ?」
「そんなことない。確かに私は今まで、あなたの力に頼りっぱなしだったけど。でも私の本当の力は、私に必要な力は、それじゃないから。私の力は、みんなとの繋がりだから……!」
「そう。なら好きにしたらいいんじゃない?」
私の言葉を鼻で笑って、ドルミーレは頷いた。
「いいわ。抵抗したいなら、すればいいわ。本当にそんな力があると言うのなら────そうね、いいことを教えてあげましょうか」
彼女が否定する繋がりに縋る私を、脅威となんて全く考えていないドルミーレ。
赤子の抵抗に微笑むように、余裕たっぷりに私を見る。
「確かあなたは、私の呪いをどうにかしたいのよね。みんなが勝手に『魔女ウィルス』だなんて呼んでいるものを」
「そうだよ。それで、どれだけの人が今まで苦しんできたか。今だって、霰ちゃんが……!」
「それは、私を殺せばなくなるわ。『魔女ウィルス』は私の力に直結しているから、根元である私が滅べば、それもまた消滅し、呪いは形を失うでしょうね」
「…………!」
とてもあっさりと宣言された事実に、私は思わず息を飲んだ。
一番目指して目標は、とてもシンプルな解決策が用意されていた。
そのわかりやすい指標に、もう目前である現実に、気持ちが逸る。
けれどドルミーレは、そんな私を見て口の端を吊り上げる。
「私という存在の消滅に、『魔女ウィルス』は連動する。そうすれば、あなたの望むお友達の救済は叶うでしょう。けれど……そうね。『魔女ウィルス』と深く繋がって、その肉体や在り方に深く食い込んでいる人間は、私の呪いの消滅と同時に、肉体を保てなくなるでしょうね」
「え……!? どういうこと!?」
「確か、あなたたちは転臨とか、呼んでいたかしら。愚かにも私に近づこうとして、分不相応にも存在を高めようとした子たちがいるでしょう。そういう状態の子たちは、肉体が『魔女ウィルス』と綿密に混ざり合っているから、それがなくなれば、当然生きてなんていられないでしょうね」
「そ、そんな…………!」
サッと、血の気が引いていくのを感じた。
考えてみれば当然かもしれないけれど、でも、そんなこと思ってもみなかったから。
転臨をしている魔女たちは、『魔女ウィルス』の消滅と同時に死んでしまう。
そんな、そんなことって……。
私の知っている中でも、千鳥ちゃんとレイくんがいる。
それに夜子さんと、多分お母さんだってそうなはずだ。
ドルミーレを倒して『魔女ウィルス』を消滅させれば、多くの魔女を救えて、そして霰ちゃんもまだ間に合う。
けれどその代償に、転臨した魔女を見捨てなきゃいけないだなんて……!
戸惑いを隠せない私に、ドルミーレは嬉しそうにほくそ笑む。
「どちらに転んでも、助けられないものはあるわ。見捨てなければならないものが出る。あなたはそれを選べるの? そこまで考えて、私に抗える?」
「そ、それは…………」
そんなもの、選べるわけがない。
誰かを救うためには誰かを殺さなきゃいけないだなんて。
そんな残酷な選択、できるわけがないんだ。
だって、どっちも私には大切なんだから。
「待つんだドルミーレ。待ってくれ。他にもどうにかしようがあるはずだ」
震える私を前に、夜子さんが口を開いた。
ドルミーレは邪魔をするなと言いたげな顔で、横目に彼女を見る。
「二つに一つなんて、そんな極端なことを言わないでくれ。そもそも、こうしてアリスちゃんが心を保っていられているんだから、共存だってできるはずだ。君は蘇り、アリスちゃんもまた自我を持って存在し続ける。『魔女ウィルス』という呪いだって、もういらないだろう? 君が自らそれを絶ってくれれば、それで……」
「なにをぬるい事を言っているのよ、イヴ。あなたらしくもない。私がそんな事を望まないことくらい、あなたならよくわかっているでしょう」
夜子さんが語る理想を、ドルミーレはバッサリと切り捨てる。
「私とこの子は決して相容れない。お互いに、共存なんて望まない。それに私は、この呪いを止める気なんてさらさらないわ。私と同じ苦しみを、みんなが永劫に味わえばいいと思っているんだもの」
「でも、それを続けていたら、昔と同じようになってしまうわ。何かを変えないと、新しい未来は開けない。だからそのために……お願い!」
お母さんも身を乗り出して訴えかける。
けれどドルミーレは、首を振るだけだった。
「別に私は、何か希望を抱いているわけではないもの。だから人のために何かをしてあげるつもりはないし、その必要もない。特にこの子を生かしておくなんて、虫唾が走るわ」
そう、ドルミーレは事も無げに一蹴する。
その響かなさに、お母さんも夜子さんも怯んでしまって。
残酷な親友に顔をすぼめ、そして私に悲しげな目を向けてくる。
「ありがとう、お母さん、夜子さん。大丈夫、大丈夫だから」
今にも泣き出してしまいそうな二人に、私は言った。
今更ドルミーレに温情を乞うつもりはない。
その残酷さ、冷徹さはわかりきっている事だから、その言葉に悲観したりなんかしない。
私はもう、そんな事で立ち止まらない。
「……確かに、そんな残酷な選択、あんまりすぎる。選べるわけないんだ。どっちも大切なんだから。みんな大好きなんだから。だからきっと、今までの私だったら、選べなくてそこで手を止めちゃってたかもしれない。でも今の私には、なにが一番大切なのか、わかってるから」
震える拳を強く握って、ドルミーレを見据える。
今の自分の不確かさを噛み締めながら、それでもこの心を強く保って。
「私は、霰ちゃんを助けたい。だから、そのために必要な事をする。他のなにを差し置いたって、一番大切な人を守りたいんだ……!」
「へぇ、そう。ならあなたはその代わりに、大切なお友達や、この二人を死なせるということね。そこにもまた、あなたの言う繋がりがあるんじゃないの?」
「────ううん。そんな事、私は言ってないよ、ドルミーレ。他の人を見捨てるつもりなんて、私にはない」
どちらにしたって、私の選択を嘲笑うつもりだったんだろうドルミーレ。
笑みを浮かべた彼女に、私は透かさず言った。
「そうやって現実を受け入れて、苦渋の決断をして、自分を納得なんてさせない。仕方がないんだって、自分に言い訳なんて私はしたくない。だから私は、霰ちゃんを助けて、その上で転臨したみんなも救う。私は絶対に、誰一人切り捨てたりなんてしなんだ!」
もう、誰かを失うのなんて嫌なんだ。
大切な人たちはみんな大切で。だから、一番だけを助けたって、それ以外を失ったら意味がない。
そんな事をしたって、結局誰も救われなくなってしまうんだ。
何より私が一番、そんな未来を望んでないから。
だから、贅沢だとか無謀だとか、笑われたって知らない。
私は、自分が望む未来だけを見据える。
そのためにこの心を燃やすんだ。
私のそんな叫びに、ドルミーレは忌々しそうに顔を歪めた。