19 魔女の再臨
プツリと、なんの前触れもなく、そしてなんの余韻もなく。
私の全てが断絶し、閉鎖された。
強烈な存在感に飲み込まれて、私というものが潰される感覚。
けれどそれすらも感じている余裕もなく瞬間的に大きなものがのしかかってきて。
私は、なす術もなく私という存在を覆い尽くされた。
ドルミーレだと、そう気づいた段階ではもう遅くって。
表へと飛び出してきた彼女に、私はあっさりと全てを奪われた。
体も、意識も、何もかも。
私から全てが抜け落ちていって、代わりに喪失感が与えられる。
抗いようのない闇が雪崩れ込んできて、濁流のように私の心を洗い流して。
その波に埋もれて、私はただただ大きな力に飲み込まれるしかなかった。
どんなに意気込んでも、強く心を決めても、強すぎる力には敵わないということなのかな。
ドルミーレがその気になれば、私なんて障害にすらならなくて。
抵抗とか、まして打倒とか、そんなことができるような相手じゃないのかな。
だって、今こうして心が押しつぶされていく中で、私は何もできない。
自分の何もかもを奪われて、乗っ取られて、私が私でなくなっていく。
それに抗うことなんてできなくて、大きな力はただ一方的に私を消し去っていく。
『────消させなんて、しない』
全てが真っ暗、何も感じられなくなった無の中で、一筋の光が差す。
その声が聞こえた瞬間、私は闇に溶け込みかけていた中で、微かに自分を見出して。
そしてそんな私に、光の中から手が伸びてきて、なかったはずの私の手を、握った。
『私が、私たちが、アリスちゃんを見失わない。だから……あなたは、消えない……。あなたは、私たちと、確かに繋がって存在を、しているんだから……』
そんな、霰ちゃんの声が聞こえて。
私の手を、沢山の手が握ってくれて。そして────
「ッ…………!」
永劫とも思える刹那を越え、唐突に世界が帰って来て、私の目に光が飛び込んできた。
断絶されていた体の感覚は、まだ少し朧げだけれど、でも戻っていて。
ドルミーレに押し潰されそうになっていた私は、まだ消えていないと自覚できた。
チカチカする目、クラクラする頭を抱えながら、今の唐突な遮断に咳き込む。
今起こったことがどういうことなのか、現状を正確に把握することはできないけれど。
確かに今私は、あと一歩で消えてしまうところだった。
それははっきりと断言できる。
ドルミーレに全てを奪われて、大きな力に飲み込まれて、闇に押しつぶされるとこだった。
そうして消えてなくなってしまいそうな私を、霰ちゃんが、そして私に繋がるみんながら、引っ張り上げてくれた。
なくなりそうな私の存在を、捕まえて、証明してくれたんだ。
「はぁ……はぁ……」
刹那の間だったけれど、私は今確かに消えかけていて。
その恐怖が、遅れて身を震わせた。
それでも、今はそれに竦んでいる場合じゃないと懸命に頭を上げて、そして。
私は、見た。
「わた、し…………?」
そこには。私が顔を向けた先には、私が立っていた。
こちらに背を向けて、私と全く同じ姿をした女の子が、立っていた。
そっくりさんでも、真似事でも、分身ですらない。私にはわかる。紛れもない私自身が、そこにいる。
私がポツリと上げた声に反応して、その『私』はゆっくりとこちらに振り返った。
そうして明らかになった顔も、それはやっぱり私そのもので。
けれどその瞳は、黒く濁った闇の色をしていた。
「あら、しぶといわね。まだ消えていなかったの」
そして、私の口が言葉を吐き出す。
それは私の声のようで、でも私とは似ても似つかないような冷たいもので。
見た目が全く同じでも、醸し出している雰囲気が、私とは全く別人のものだった。
考えなくたってわかる。それが誰なのか。
私の姿を持つ私ではない人が、一体誰なのか。
「ドルミーレ……!」
私が叫ぶと、ドルミーレはニンマリと口角を上げた。
そして次の瞬間、その姿に黒い闇がまとわりついて、そして、風貌が一変した。
降ろされた髪は闇のように黒く、その体には黒のシックなドレスをまとっている。
それは私であるはずなのに、もはや別人で。それは完全に、ドルミーレだった。
「無様な姿ね。いえ、この期に及んで存在を保っていることを、褒めてあげるべきかしら。どの道、いずれ消え行くことに変わりはないけれど」
そう言ってドルミーレは静かに笑みを浮かべる。
一瞬何を言っているのかわからなくて。でも、すぐに理解した。
今自分が置かれている状況を。私の今の在り方を。
自分の手を見ただけで、それは明らかだった。
この体は、実体じゃない。肉体じゃない。
ぼんやりと光をまとった姿は、さっきの霰ちゃんの時に似ている。
この私は、心だけの状態なんだ。
と、いうことは。私の目の前にいる、『私』は。
私の姿をした、ドルミーレはつまり。
私の肉体を乗っ取って、現実へと目覚めた状態だということだ。
私は自らの肉体を乗っ取られて、意識を掻き消されて、ドルミーレに飲み込まれたんだ。
けれど辛うじてまだこの心は侵されず、肉体から逃げ出して自分を保っている。
それは、さっき私を繋ぎ止めてくれた、友達のおかげ。
あの一瞬で、既に全て終わってしまっていたんだ。
意気込んで息巻いたのに、私はドルミーレの一挙動に負けた。
これほどまでに力の差が、存在の差があっただなんて。
こんなにも、抗いようがなかっただなんて。
実体を失った現状でも、サッと血の気が引くような、全身が冷えていく感覚があった。
今の私はもう既に、死んでいるような状態なんだと、絶望が駆け抜ける。
でも、私はまだこうやって自らの意思でこの世にしがみついている。
みんなが飲み込まれそうになっていた私を、闇の中から見出してくれた。
ならまだ終わったわけじゃないから。まだ、諦めちゃいけない。
「そんなになっても元気ね、あなたは。本当に、理解に苦しむわ」
歯を食いしばってドルミーレを睨むと、そんな溜息が返って来た。
私の体で、私と同じ姿で、でも全く違う彼女が。
「ドルミーレ……本当に、私を乗っ取って、復活を……」
「あなたは私なんだもの。何もおかしなことはないでしょう?」
「違う、違うよ! 私は私だ……!」
「いいえ、何も違わないわ。あなたは、私よ。私は、私なんだから」
ドルミーレは私を嘲笑うようにして、ピシャリと言い切る。
自分が全ての中心だと、そう言わんばかりに。
「あなたの全ては、私のためにある。大人しく、糧になっていればいいのよ」
ドルミーレはそう言って、見下した目で私を突き刺した。