18 抵抗
「確かに、私はあなたにとって受け入れ難い選択をしてしまった。でもそれを私は後悔していないし、同じ状況になれば、またそうする。だって、あなたのお母さんだから」
お母さんの言葉は優しくも、けれどどこか威圧感もあって。
その語気に気圧されて、私は少したじろいだ。
「もちろん、あなたの気持ちを尊重したい。あなたが大切にする子を、犠牲になんてしたくない。でもね、アリスちゃん。あなたがそうやって誰かを想うように、あなたを想っている人がいるんだという事を、あなたは知っているはずよ」
「それは…………」
強かに見つめてくるお母さんは、声を荒げているわけでもないのに、それでもどこか恐ろしく見えて。
それはきっと、心の底から私を怒っているからだと、わかった。
「自分を犠牲にして誰かを助けること。それは美しいように見えるかもしれないし、勇気ある行動に見えるかもしれないけれど。それを安易に選ぶことは、ただの逃げよ。残された人の気持ちを、考えられてない」
「でも、他に方法がないって言ったのはお母さんたちだよ!? ドルミーレを目覚めさせて、その力を使うしか、方法がないんだよ……!」
「ええ、そうね。だからそれは、あなたにとって方法がないことと一緒よ。自分を救うためにあなたが消えたと知って、この子が喜ぶと思うの?」
「ッ…………」
お母さんの言うことは、ついさっきまで私をドルミーレで塗り潰そうとしていた人のものとは思えない。
けれどでもそれは、お母さんが私のお母さんだから。
無闇に自分の命を払おうとしている私を、叱らないわけにいかなかったんだ。
「あなたが犠牲になることで、救われる人もいるでしょう。でも、あなたがいないと救われない人だっている。もちろん、本当にそうすることしかできない時だって、あるかもしれないけれど。でも今はまだあなたにとって、その時じゃないんじゃないの……?」
「そんな、ことは…………」
あまりにももっともすぎて、私は何も言い返せなかった。
ただ、何か反論したいという気持ちが、勝手に口を動かすだけで。
私は少し、いや大分、自暴自棄になっていたのかもしれない。
霰ちゃんを助けるためならどんなことでもして、自分がどうなったって構わないと思ったけれど。
その後の霰ちゃんの気持ちを、他のみんなの気持ちを考えていなかったんだ。
きっと、今の私の気持ちをそのまま彼女に与えてしまう。
それは、霰ちゃんを救ったことになるのかな。彼女を、幸せにできると言えるのかな。
切迫した状況で、判断が鈍ってしまっていたのかもしれない。
こんなこと、そう簡単に受け入れていい選択じゃない。
もちろん、迷ってなんていられない時だってあるだろうけれど。
でも今ならまだ、他の道の選びようがあるんだから。
「……ごめんなさい、お母さん。私、焦ってた」
素直に謝ると、お母さんは途端に表情を緩めた。
そっと眉を落とし、私の頭を撫でる。
「私の言えた義理じゃないのに、こっちこそごめんなさい。でも私は、あなたのお母さんだから。そう思ってもらえないかもしれないけど、でも。だから……」
「お母さんは、私のお母さんだよ。今までも、これからも。大好きなお母さんだ。だから……ちょっとどころじゃないけど、色々あって喧嘩したって、それは変わらないよ」
「…………うん。そうね」
お母さんはうんうんと小さく頷いて、そのまま両手で顔を覆ってしまった。
その姿は私と然程変わらないような子供のようで。でも確かに、それは私のお母さんで。
そうやってありのままに気持ちを吐き出してくれることが、嬉しかった。
「────話はまとまったようだけれど。それで、どうするのかな? 君たち二人がかりで私と戦うかい? そんなことしても、今更意味はないと思うけどさ」
そして、夜子さんが口を開く。
私たちのやりとりを静かに見守って、穏やかな目を向けながら。
私はそんな彼女に向き直って、首を横に振った。
「そんなことはしません。言う通り、意味なんてないでしょうし。それに私は、夜子さんとは戦いたくない」
「そうか。でも、君はドルミーレの目覚めを受け入れないって結論を出したんじゃないのかい? それで、どうする」
「確かに、ドルミーレの目覚めは受け入れられません。でも私はまだ、霰ちゃんを諦めたわけじゃない。彼女を救うためには、『魔女ウィルス』の問題を解決することが、きっと不可欠なんでしょう────」
夜子さんは真剣な面持ちをしつつ、けれど立ち振る舞いは穏やかで。
私の出した答えを、選んだ結論を、ゆっくりと待ってくれている。
だから私は落ち着いて、考えを吐き出した。
「ドルミーレに自分を奪わせるわけには、いきません。でも、このまま立ち往生してもいられない。夜子さんとだって、無意味な争いはしたくない。だから私は、ドルミーレに抗う!」
それが本当に最適かは、わからない。
でも、今考えうる中で、一番明るい未来はそれだ。
一番過酷な道でもあるとは思うけれど。
ドルミーレが『魔女ウィルス』の発端なら、彼女を倒すことでその影響を断絶させることだってできるかもしれない。
私の全てを明け渡して、最終的な判断をドルミーレに委ねるなんて、そんなのリスクがありすぎる。
彼女を打倒することで、私は自分自身の未来と、みんなの安寧を手に入る。
それが誰も傷付かない一番の方法だと、私は思う。
「ドルミーレを呼び起こした上で、彼女に喰らわれることなく、逆に打倒するって? そんなこと、できると思っているのかい?」
「それがあまりにも困難な道だってことは、よくわかってます。でも私はそもそも、それを成すために進んできた。ここで諦めてる場合じゃないんです……!」
及第点で妥協して、程々の結果を受け入れるなんてしない。
大切な人を、友達を救って、その上で私も明日に踏み出す。
その最上の未来を手にするために、私は最後まで足掻くんだ。
どんなにそれが過酷な道でも、そうするしかないのなら、やり遂げてみせる。
私がそう強く意思を露わにすると、夜子さんはやれやれと肩を竦めた。
そしてお母さんの方へとのんびりと向き、緩く笑う。
「アリスちゃんは見事に中間を選んだ。全部欲張るらしい。君は、それでいいのかい? それを受け入れるのは、私たちとしてはアウトだけれど」
「ここまできたのだから、後は当人たちの問題よ。私は、アリスちゃんが立ち止まらないことを選んでくれたから、それでいい」
夜子さんにそう言いながらも、お母さんは少し震えていた。
本当なら、それすらも止めたいんだろうけれど。
でも、ドルミーレが目覚める条件はもう揃っているみたいだし、それは避けようがないと理解しているんだ。
ただあそこで、私が全てを受け入れてしまっていたら、本当に何もかもがおしまいだったから。
今はもう、お母さんは私を信じてくれている。
「そうか。まぁ、ホーリーがそう言うならいいだろう。本来なら、絶対にドルミーレに目覚めて欲しい私としては、アリスちゃんの抵抗は邪魔だ。でも、私だって君の友達だからね。それくらいのことは尊重してあげよう」
そう言って、夜子さんは口を曲げる。
「まぁ、抵抗は無意味だろうけど、とは言っておく。だからこそ、それくらいは見逃してあげるんだから」
わかってる。それは私も覚悟の上だ。
大元のドルミーレと、その夢に過ぎない私。
存在としての強度も、扱える力も段違いだ。
それに今の私は既に満身創痍で、どこまで抗えるかわからない。
それでも、心の強さだけは決して負けてない自信があるから。
彼女にはない強さを、私は持っているんだと信じているから。
もう逃げない。今ここで彼女とケリをつける。
大きく息を吸って呼吸を整え、震える身体に力を込めて。
それでも私は抗い勝つと、そう言おうとした時。
「────あらそう。やれるものなら、どうぞ」
私の口から、違う言葉が飛び出した。
それはとても冷たく、暗く思い声。
「みんな好き勝手なことをまぁ。煩わしいったらないわ」
二度目の声が、私の喉を震わせた瞬間。
私の視界は黒に染まり、全身の感覚が消失した。




