5 ばかみたい
透子ちゃんの体は、心が抜け出てしまっているからこそ、長い間目を覚さなかった。
彼女の言う通り心が入れ替わっているんだとしたら、中身は氷室さんの状態で目を覚ますはずなのに。
そうはならなかっということは、既に、その心は────
「うそだ……うそだ! いやだ、私、そんなこと信じられない。信じないよ……!」
考えたくもない最悪の結末が脳裏をよぎって、私は喚いた。
そんなことあるわけがないと。そんな残酷なこと、起きるわけがないと。
あっていいわけが、ないんだと。
「そうだよ、おかしいよ……。魔法で心に干渉できるとしても、理論上は可能だとしても。魔女同士で、そんなことできるの? 透子ちゃんがもし魔法を仕掛けようとしたって、氷室さんが抵抗するはず。そんなうまいこといくわけが……」
「まぁ、そうね。魔法の使い手同士なら、上手くいかない可能性だってあった。けれどね、この子はなんていうか……素質がなかったのよ。魔法使いの家系出身とはいっても、落ちこぼれだったみたいだしね。そもそも私の魔法に抗えるような実力を、持ってなかったのよ」
縋るような思いで否定を口にしても、透子ちゃんはそれをあっさりと振り払う。
そして、フフフと軽やかに笑った。
「おかげで、しばらくは思うように魔法が使えなくて苦労したわ。私とは性質も結構違ったし。生き延びたはいいけれど、戦うのには全然適してなくてね、この身体。でもやっと慣れてきて、ここ数日はそれなりに動けたと思うけれど」
「っ…………」
参っちゃうわと笑う透子ちゃんに、私は血の気が引いていくのを感じた。
この人は、氷室さんのことをなんとも思っていない。
自分が生き延びるためだけに彼女を利用して、その代わりに氷室さんがどうなるかなんて、まるで考えてない。
一方的に身体を奪っておいて、どうしてそんなことが言えるんだろう。
「だからこそ、さっきはあそこまで力を振り絞ることができたわ。けれど、がむしゃらになり過ぎて、身体をダメにしちゃった。自分で魔法を解いて身体から抜け出すことができないくらい、本当にギリギリだった。危うく私も死んでしまうところだったから、我ながら無茶し過ぎたと思うわ。でもちゃんとあなたが私を助けてくれた」
呆然とする私にニコリと笑いかけて、透子ちゃんは軽やかに語る。
私がどんなに理解したくなくても、否定したくても、それを全て塗りつぶして。
透子ちゃんは一人、ただ事実を語りながら、笑う。
「……じゃあ、なに? 私が今解いたものは、氷室さんを苦しめていた魔力の暴走とかじゃなくて……透子ちゃんが氷室さんに掛けていた、入れ替わりの魔法なの……?」
「そうよ。だからこうして今、私は自分の身体に戻って目覚めることができたの。あなたも見たでしょう? その子の身体から、私の心が解き放たれるところを」
思えば、氷室さんの体から溢れた輝きの中に、どこか違和感を覚える輝きがあった。
あの時はあまり気にしている余裕がなかったけれど、あの赤い煌めきこそが透子ちゃんの心だったんだ。
言われてみれば、起き上がった透子ちゃんの元で輝いていて光は、氷室さんから飛び出したものと、同じように見えた。
『真理の剣』は、確かに氷室さんに掛けられた魔法を解いていた。
けれどそれは、氷室さんの窮地を救うものではなく、透子ちゃんを救うものだった。
だから、氷室さんは目覚めなくて、代わりに透子ちゃんが起き上がったんだ。
全部説明がついてしまう。理屈が通ってしまう。
否定すればするほど、それを埋める答えが現れてしまう。
頭ではもう、納得するしかないとわかっているのに。でもそれができない。
だって、それを認めてしまったら────。
「……でも、でもさぁ。私が今まで感じていた氷室さんの心は、確かに彼女のものだったはず、だよ。少なくとも、透子ちゃんのものとは違った。私が感じていた繋がりは、確かに氷室さんのものだった……!」
そう、そうだ。それが一番の証明になるはずだ。
私は、友達と心を繋げる事ができて、それは力を介することで明確なものになっている。
その繋がりが、何より今までの氷室さんと、この透子ちゃんとの違いを証明してくれる。
氷室さんは、氷室さんだったはずだ。
これこそが答えだろうと、私は透子ちゃんを見つめた。
しかし、透子ちゃんは静かに首を横に振る。
「ごめなさいね、アリスちゃん。却って混乱させちゃったみたい。さっきも言った通り、私はあなたが戸惑わないように、この子のフリをしていた。だからね、あなたが感じられる心の気配にも、手を加えていたのよ」
「て、手を加えていたって、どういう……」
「それも、心に干渉する魔法の一環。この子の身体を介することで、この子の気配に寄せていたの。もちろん、心が剥き出しの時はそんなことはできないけれど。でも、こうしてこの子の身体に入っている間は、あなたでも気付けなかったでしょうね。だって、そうしたんだし」
「────────」
最後の希望に縋った私の指摘は、あっさりと否定される。
身体中の力が抜けて、私はその場に手をついて項垂れた。
そんな都合のいいことまでできるのかと、一瞬思ったけれど。
でも、前例はある。透子ちゃんがクリアちゃんならば、尚更。
クリアちゃんは、私に繋がりを感じさせないようにして、追跡を免れていたんだから。
仕組みとしては、それと似たようなものだってことだ。
「は、はは……。なに、それ…………ばかみたい……」
もう、笑うことしかできなかった。
だってそれは、それが真実だとすれば。
私は結局、友達との繋がりをちゃんとわかっていなかったということなんだから。
友達が大切だとか、繋がりを信じるとか、それこそが私の力なんだとか、一丁前のことばっかり言ってきたくせに。
私はその、大切な友達の繋がりを、区別することができていなかったんだから。
誰よりも大切だとか言っておきながら、他の人とずっと間違えていたんだから。
友達との繋がり、絆、友情。聞こえのいい言葉ばっかり、都合のいいように並べて。
私が一番、誰よりもそれをわかってなかったってことじゃん。
私は大切な友達一人、ちゃんと認識できていなかったんだ。
私は、人の気持ちを何も感じ取れていなったんだ。
氷室さんは、私がずっと氷室さんだと思っていた人は、透子ちゃんだった。
氷室さんの記憶を持っていて、それを踏まえて行動していたとしも、それは透子ちゃんだったんだ。
私が心から信頼して、ずっと大切にして来た人は。
私の知る氷室さんは────氷室さんじゃなかったんだ。