3 目を覚ます
「え………………は……?」
全く状況が理解できなくて、間抜けな声が口からこぼれる。
透子ちゃんが、ずっと眠ったままだった彼女が、起き上がってこちらに微笑んでいる。
そして、私の呼びかけに応えたのも、また彼女で。
柔らかい表情で私を見る透子ちゃんには、ほのかに赤く瞬く輝きが舞っていて。
それは、先程氷室さんから解き放たれたものと、とてもよく似ているように思えた。
「アリスちゃん。あなたのおかげで、私は命拾いをしたわ」
「ぁ……う……ん? えっと……透子、ちゃん……?」
「ええ、そうよ」
何をどう理解して、何をどう受け入れればいいかわからない。
パニックになりそうな私に、透子ちゃんは愛おしそうに微笑んで、そっとベッドから降りた。
そのしなやかな振る舞いは、確かに透子ちゃんらしい。
けれど、透子ちゃん────クリアちゃんはさっき、自ら消滅を選んだ。
その心が炎と共に解けていく様を、私は見ていた。
だから、透子ちゃんが生きているわけがないんだ。
でもこうして自らの意思で立ち上がっているのだから、それは私の勘違いだったということ?
それともクリアちゃんと透子ちゃんは、やっぱり別人だったの?
いや、そんなことよりも、透子ちゃんは今なんて言った?
私のおかげで命拾いをした? 今透子ちゃんは、私の呼びかけに応えた……?
一体、どういう────
「ありがとう。生き延びるのに自信がある私でも、今回ばかりはもうダメかと思ったわ。けれど、あなたは私を助けてくれた。約束通り、私を守ってくれた」
「あの、透子ちゃん……私、何が何だか……」
「もう本当に限界だったわ。身体中凍りついた細胞と、『魔女ウィルス』に食い荒らされた細胞だらけで、もう生命を維持することは難しかった。あのままでは、私も一緒に消えてしまうところだった。でも、あなたが解き放ってくれたから、こうして生き延びられたわ」
「な……何を言ってるのか、わからないよ……!」
ゆっくりとこちらに歩み寄って、私の前にしゃがむ透子ちゃん。
私の側で眠る氷室さんを見て微笑んで、とても軽やかに語る。
その言葉が意味するところが全くわからなくて、私はただただ首を振った。
「あなたがその剣で、魔法を解いてくれた。だから、私は戻ってくることができた。本当はそのままでもよかったんだけれど、死んでは元も子もないしね」
「え? えぇ……?」
何が何だかわけがわからないけれど、無性に心がざわついた。
心臓が爆発しそうなくらい暴れ回って、喉が締まり、うまく呼吸できない。
クラクラする頭で、私は透子ちゃんを見つめることしかできなかった。
透子ちゃんは一体、何を言っているんだろう。
色んなことが混同していて、全く要領を得ない。
「わかん、ないよ……ちゃんと、説明して。透子ちゃんは、氷室さんがどうなったか知ってるの? 何か、関係があるの? どうして透子ちゃんが目を覚まして、氷室さんは眠ったままなの……!?」
「あぁ、アリスちゃん。可哀想に。でも私が悪いのよね。ごめんなさい。でももう、大丈夫だからね」
透子ちゃんはそう言って、穏やかに私の頭を撫でた。
とても優しいのに、どうしようもなく心がざわつく。
「私があなたを守るから。約束した通り、ずっと一緒にいるから。誰よりも近くで、決してその手を放したりなんてしないから」
「違う、私が聞きたいのは、そんなことじゃ……」
「アリスちゃん。あなたは私に約束をしてくれたわよね。私が、あなたの知る私じゃなくても、嫌いにならないって。私がどんなに変わり果てようと、私と一緒にいてくれるって。私の心から、目を逸らさないでいてくれるって。だから私は、心置きなく、今こうしてここにいる」
「そ、それは────」
違う。その約束をしたのは透子ちゃんじゃない。
それは私が、氷室さんと交わした約束だ。
私たちの絆を確かめ合うために、これからも共にあるためにと、誓ったものだ。
どうしてそれが、透子ちゃんの口から出てくるの。
「違う……違う、ちがう! 私は…………!」
「アリスちゃん、私はあなたが大好きよ。だから、何が何でもあなたのことを守りたかった。どんなことをしても、何を犠牲にしても、あなたのそばにい続けたかった。だから、あなたと常に並び立てる日々はとても幸せだったし、そんな私をあなたが受け入れてくれることが、とても嬉しかったの」
「いやだ、いやだいやだ。ちがう、ちがうよ……聞きたくない!」
耳を塞ぎたくても、体が硬直して腕を上げることすらできない。
ジャバウォックを目の前にした時でも感じ得なかった、未曾有の恐怖が全身を駆け抜ける。
心が、破裂してしまいそうだった。
「だから今もこうして、戻ってもあなたといられることが、生きていられることがとても幸せ。私が、いつまでもあなたと一緒にいてあげるからね」
「わかんない。わかりたくない。お願い、もう何も、言わないで……!」
透子ちゃんはただただ微笑む。
優しく柔らかく、笑っている。
そこに悪意も邪気もなく。それでも恐ろしい。
「入れ物は壊れちゃった。でもこうして私は自分の体に帰ってきたから。大丈夫、私はちゃんと生きてるわ。あなたと一緒にいられる。アリスちゃんが助けてくれたから」
「ち、ちがう……私が助けたのは、助けたかったのは────私は……氷室さんを…………」
「いいえ、あなたは私を助けてくれたのよ。その子はもう死んじゃうだろうけど、私は生きてる。だから何も問題ないでしょう?」
透子ちゃんは柔らかにそう言って、私の頬を撫でた。
「氷室 霰の中身はずっと私だった。私が、ずっとあなたと一緒にいたのよ。私がいつもあなたを守ってたんだから。外見が変わっても、私は私。私たちが育んできた絆は変わらない。ね、そうでしょ?」