124 導きの声、救いの手
「それで、何がどうなるとも思えないけれど……」
ドルミーレはのっそりと僅かに顔を上げて、私をジトっと見た。
とても悲観的なその言葉に、私は素直に頷いた。
「私だって、それがそのまま解決に繋がるかはわからない。でも今の私には、少しでも力が必要なんだ。その為には、この心から欠けたものを埋めないといけない」
「…………」
闇のように深く黒い瞳が、突き刺すように私を見つめる。
顔を向けたくなるような冷たい視線を、しかし私は真っ直ぐに見返した。
少しして、ドルミーレがポツリと口を開く。
「……あなたが言う繋がりというもの、結局よくわからなかったわ。遠い昔のことを少し思い出したけれど、あなたが盲信するような強固な物が、果たして本当に存在するのか。私はそれが、やっぱり信じられなかった」
「あるよ。確かな繋がりというものは、存在する。だって私はそれに支えられて、ここまで来たんだもん。だから、それがきっと、私に足りないものを補ってくれるって、信じてる」
「…………そう」
頷きながらも、ドルミーレはさして信じていないようだった。
好きにしたら良いとでもいうような、とてもおざなりな相槌。
「まぁ、良いでしょう。これ以上囲っている理由もないもの。それが本当に混沌を打倒するきっかけになるのなら。持って行きなさい」
ドルミーレがそう言った瞬間、蹲った彼女の内側から、細々とした小さな光が飛び出して来た。
ほんの小さな瞬きのそれは、ゆらゆらとドルミーレの元を飛び出して、私の手元へと流れてくる。
両手でそれを受け取ると、ほのかな温かさを感じた。
「晴香……おかえり」
輝きを抱くと、それはスッと私の胸に溶けた。
弱々しくも、けれど確かに晴香の温もりを感じる。
私の心にポッカリと空いた穴を埋めて、じんわりと満たしてくれる。
その温かさを受けて、私は思い出した。
私のために奮闘して、その想いを託してくれた人たちの存在を。
みんなが、私を守るために、支えるために、寄り添うために、懸命に戦ってくれた。
そうやって想いを私に託して、先を照らしてくれたんだ。
私が未来を諦めて良い理由なんて、どこにもありはしない。
「そうだよね、晴香。私はあなたたちの想いに応えなきゃいけないんだ」
胸を抱き、想いを噛み締める。
沢山の人たちに守られてきた私は、その想いを未来に繋げる義務がある。
みんなが守りたかったもの、私が守りたいものを、守る責任があるんだ。
「混沌になんて、屈しちゃいけない。絶望を受け入れちゃいけない。私は……私が、みんなを守らなくちゃいけないんだ……!」
冷え切った心に温もりが染み渡り、気持ちが強く湧き立ってくる。
一度は挫けた意志が、友達の支えでもう一度立ち上がる。
私は一人じゃない。だから、絶望なんてしている暇はないんだ。
「いいじゃない、その調子よ。そのまま、あれをどうにかしてちょうだい」
「ドルミーレ……」
私の様子を見て、ドルミーレがクツクツと笑う。
都合の良いその様に、私は眉を寄せた。
「私はジャバウォックを絶対に倒す。でもそれは、あなたのためなんかじゃない。私は、私の未来を、私の大切な人たちとの未来を手にするために戦うんだ。あなたは、関係ないよ」
「ええ、なんだっていいわ。あの忌々しい魔物がいなくなってさえくれれば。そうすれば私は、安心して夢を見ていられるんだもの」
「…………」
自分勝手なその態度に、言いたいことはたくさんある。
でも、今ここでドルミーレと問答している場合じゃない。
私の気持ち、彼女にぶつけたいものは、全てのカタをつけるべき時に言えばいい。
「あなたはそこで閉じ籠っていれば良いよ。私は、私の道を行く……!」
もどかしい気持ちを言い放って、私は来た道を駆け出した。
ドルミーレは何も答えず、静かに洞窟の奥で蹲ったまま。
私は振り向くことをせず、一目散にその場を飛び出した。
木々でできた洞窟は長く長く続いて、いくら走っても終わりが見えない。
永久にこの道が続いているんじゃないかと思うくらいに果てしない。
そうしてしばらく走っていると、前も後ろもわからないくらいに真っ暗になって、私はいつの間にか何も見えない暗闇の中にいた。
洞窟の一本道は無くなったけれど、代わりに何も無くなってしまった。
「そもそも、どうやったら戻れるんだろう……」
勢いよく飛び出して来たは良いけれど、意識の取り戻し方がわからない。
いつもこうして心の奥に落ちた時は、しばらくすると意識がぼやけて現実で目を覚ますけれど。
混沌に飲み込まれて闇に落ちている今、全く同じようにはいかないかもしれない。
それに、こうして再び対抗する気力が湧いてきたのは良いけれど、未だどう対抗すればいいかはわからない。
晴香をはじめとする友達との繋がりは、確かに私に力を与えてくれているけれど。
でも、『真理の剣』が折れてしまった今、ジャバウォックという混沌に対抗するには、どうしたら良いんだろう。
いやそもそも、こうして私は今意識だけの状態になっているわけで。
ジャバウォックの攻撃を受けた私の体は、今頃消し炭になっていてもおかしくはない。
私は果たして、もう一度戦うことができるのかな。
不安で再び心が押し潰されそうになりつつも、それを必死で振り払って。
晴香の温もりと、みんなとの繋がりを信じてひたすらにがむしゃらに暗闇を走る。
諦めなかった先に、必ず何かを見出せるだろうと信じて。
『────アリスちゃん』
そんな時、小さく私を呼ぶ声が聞こえた。
冷たく暗い闇の中、弱々しくも確かに。
ハッと顔を上げてみると、遥か彼方に青い光が淡く光っているのが見えた。
『こっちだよ────アリスちゃん……』
この声を、私は知っている。何度も私を助けてくれた声だ。
それが誰なのかを、私は未だに知ることができないけれど。
でも確かにそれは、いつも私に手を差し伸べてくれる、青い輝きを放つ心。
「助けて────私は、ここにいる────!」
縋る思いで手を伸ばす。
その声がたまらなく愛おしく思えて、心の底からホッとして。
呼んでくれたからじゃない。助けに来てくれたからじゃない。寂しかったからじゃない。
私の心は、その誰だかわからないその人に会えたことが、泣きそうなくらいに嬉しく思えたんだ。
『大丈夫……大丈夫だから。私が、付いている。私が守るから、アリスちゃん……』
青い輝きが降りて来て、ぼんやりと人の形のようなものを象る。
姿ははっきりとわからないけれど、静かながらも温かみを持つその心に、じんと満たされる。
伸ばされた手は柔らかく、私は飛びつくようにその手を掴んだ。
『……どんな絶望の縁でも、どんな暗闇の底でも、私はあなたの手を、放さない。それは……あなたがしてくれた、ことだから。私は絶対に、あなたのそばを離れない』
握り合った手が、強く絡みつくように繋がる。
その輝きはとても儚げて、不安定で今にも消えそうに感じられるのに。
それでもこうして手を取り合っていると、あらゆる不安が吹き飛んだ。
『一緒に、戻ろう……一緒に、取り戻そう……みんながアリスちゃんを、待ってる。私も……』
青い輝きはそう言って、私をすぅっと引っ張り上げた。
終わりのない暗闇の中を、天に登るようにするすると登っていく。
まるで地獄の底から救い出されるように、希望が胸に満ちていった。
「そうか。そういうことなんだ……」
暖かい光に導かれて、私はようやく理解した。
どんな時でも私を支えてくれる、大切な人たちとの繋がり。私は今までそれを信じてきたけれど。
でもそれは、私が思っていたよりももっとずっと力強く、尊いものだった。
大切にしていたつもりで、私はまだまだわかっていなかったんだ。
私には、沢山の人たちの心が繋がってくれている。それが、私を支えてくれている。
触れ合った人たち、手を取り合った人たち、気持ちを分かち合った人たち。そういったみんなの心が私に繋がっていて、この心は決して一人ぼっちなんかじゃない。
私を形作るものは決して私だけじゃなく、みんなとの出会いや関わり、そして繋がりがあってこそ、初めて私はできあがっているんだ。
だからこそ、友達の繋がりは私の力となってくれている。
いつだって、私の力はみんなとの繋がりだったんだ。
ドルミーレの『始まりの力』なんていうのは、きっかけに過ぎなくて。
私の、私自身の力は、みんなとの繋がりの中で生まれたもの。
私は飽くまでドルミーレの夢として生まれた存在で、だからこの内にある力も根本は彼女のものだけれど。
でもこうして存在している私の心を支えているものは、私自身から漲る、私と共にあるみんなとの繋がり。
ドルミーレの力を頼ってそればっかりを振り回していても、私の道を切り開くことなんてできなかったんだ。
ドルミーレのものである剣の、真理の力という物がどういうものなのかは、私にはわからない。
世界の真理なんて、そんな壮大なものは私にはわからないけれど、でも、私は思う。
孤独を突き詰め、一つの答え以外を振り払うような力よりも、沢山の繋がりを抱いて多くの可能性を見出す力の方が、ずっと真実に近いって。
本当の答えなんて私にはわからない。
でも、全てを台無しにしてしまう邪悪を切り開くために、私にとって必要なものは、みんなとのこの絆だ。
これこそが、闇を切り開くための私の力なんだ。
『────あなたなら、大丈夫。だから、真っ直ぐ突き進んで。私が……私があなたの力に、なるから……』
青い光はそう言って、更にぐんぐんと私を引き上げる。
私はその手を強く、強く強く握って。
そして、闇が晴れた。