120 掻き乱される世界
ジャバウォックという存在の恐ろしさに、改めて恐怖と不安が駆け抜ける。
こうやって辛うじて攻防のようなものを繰り返しているけれど、どう考えてもジャバウォックは人が相対するような存在じゃない。
混沌の権化であり、破壊の化身であるこれは、全てを崩壊させる概念そのものなんだから。
「おら、化け物! こっちだ!」
私が怯みかけた時、地上からカノンさんの声が飛んできた。
彼女の周りには普段使っている木刀ではなく、様々な種類の抜き身の剣が滞空していて、その全ての鋒がジャバウォックに向けられていた。
そして、それらがカノンさんの雄叫びと共に次々と発射される。
剣たちが意思を持ったように、それらはジャバウォックに向けて真っ直ぐに突き進み、数え切れない程大量の剣が次々と掃射された。
その剣の乱射は空を切り、凄まじいスピードでジャバウォックを切り刻まんと飛び込んで。
しかしそれはやはりというべきか、その黒い体に触れた瞬間に砕け、全ての剣はパラパラと粉になってダメージにならない。
「魔法で形成したら剣でもダメか! ふざけてんだろ!」
「あははっー! カノンちゃんてばダッサーイ!」
地団駄を踏むカノンさんをゲラゲラと笑いながら、今度はカルマちゃんが大きく飛び上がった。
空中に乗り出した彼女の両手には、身の丈を優に越える、巨大な鎌がそれぞれ握られている。
周りのビルを簡単に輪切りにできそうな鎌を軽々と振り回し、カルマちゃんはそれをジャバウォックへと叩きつけた。
特大の刃が二つ、その首を切り落とさんと振り下ろされて。
しかしそれも刃が突き立てられた瞬間に、刃先から霧散して形を失い、カルマちゃんの腕は空を振り抜いた。
『ッ────────!!!』
そうやって二人が攻撃を仕掛けたことにより、ジャバウォックがそちらに首をもたげて唸った。
あれにとっては取るに足らないことだろうけれど、それでも害を与えようとする意思には、敵対行動をとるようにできているのかもしれない。
その咆哮に呼応して、二人の周囲の空間が渦巻き、竜巻のような乱流が起きた。
風が吹き荒れるのではなく、空間ごとの捩れたトルネードに、二人は直撃は免れるも大きく吹き飛ばされた。
しかしジャバウォックはそれだけでは飽きたらず、大口を開けて黒く禍々しい力を放射しようとした。
「カノンさん! カルマちゃん!」
私は慌てて、氷室さんと一緒にジャバウォックの前まで転移をする。
氷室さんが空中を凍結させて、二人が立ち直る足場を一時的に作っている間に、私はジャバウォックへと『真理の剣』を振るった。
それはジャバウォックが力を吐き出すのと全く同じタイミングで、白と黒がぶつかり合い、大きく爆ぜながらも攻撃は霧散した。
それに追撃するように、千鳥ちゃんが再び上空から雷を落とす。
私と氷室さんはジャバウォックの意識を逸らすため、それに合わせて上昇した。
すぐさま雷を振り払ったジャバウォックは、目論見通り私を追いかけて軌道を変える。
『────────!!!』
そうやって追い縋ってくるジャバウォックに、私がもう一度『真理の剣』を振るおうとした、その時。
周囲の空間がぐわんと大きく揺らいで、一瞬で辺りの景色がぐるぐると回りだした。
目が回りそうになりながらも咄嗟に近くの氷室さんの手を取って、攻撃の手を止め警戒の体勢をとる。
その瞬間、視界が高速で駆け抜けた。
「────アリスちゃん!?」
突然驚愕と共に呼ばれたかと思うと、いつの間にか再び景色が一変していた。
ビルが立ち並ぶ駅前広場はもうそこにはなく、半壊したお城がそびえる、『まほうつかいの国』の王都へと様変わりしている。
再び、世界を超えてしまったみたいだった。
混乱と戸惑いに苛まれる中、私を呼んだのがレイくんだと気付く。
周囲の魔女たちを指揮して街の人たちを避難させていたようで、喧騒の中心で宙に浮く私たちを見上げていた。
どうやらここは、お城のある中心地から少し離れているようだった。
周りに千鳥ちゃんたちの姿はなく、私と氷室さんだけが、時空の歪みに巻き込まれてしまったみたい。
けれどもちろん、その原因であるジャバウォックは、私たちの目と鼻の先にいた。
「危ない!」
時空に掻き回されたせいか、少しフラフラする。
そんな中レイくんが大声を上げて、自らの分身を大量に差し向けてきた。
それが私たちに向かってくるジャバウォックを僅かに押し留めてくれて、その隙に私たちはなんとか距離をとった。
「他のみんなはどこに行ったんだい? もしかして、やられた!?」
「ううん、わからないの。私たち、ジャバウォックに巻き込まれて一度向こうの世界に飛ばされて、今戻されたとこで……」
避難していく街の人々を見送りながら、私たちはレイくんと身を寄せ合った。
王都の状況は先程よりも悪くなっていて、街の崩壊は著しいし、空間の断裂や混同も激しい。
世界は、その枠組みを保つことが難しくなっているみたいだった。
「僕も参戦したいところだけれど、こんな状況だから避難が全然進まない。少しならサポートできるけど……」
「ありがとう。でも、街の人たちのことも助けないといけないし、レイくんはそのままお願い。なんとか二人で踏ん張って、みんなと合流してみるよ」
心配げに言うレイくんに、私は首を振った。
レイくんは戦力として頼もしいけれど、指示を出す人がいないとみんなが困ってしまう。
ロード・スクルドだけでは魔女の統率までは難しいだろうし、レイくんは必要不可欠だ。
「わかった。頼むから、くれぐれも気をつけて────」
レイくんがそう頷いた瞬間、空から爆炎が降り注いできた。
それはジャバウォックが吐き出したもので、レイくんが大量に突撃させた分身を焼き払いながら、そのままレイくん目掛けて放射する。
私たちは咄嗟に飛び退いてそれを避けたけれど、ジャバウォックは炎を吐き出しながら、その攻撃でレイくんを追った。
そして、炎の放射がレイくんに直撃する。
咄嗟に防御を取ったようだけれど、その身は黒々とした炎にすっぽりと飲み込まれてしまった。
「レイくん!!!」
反応が遅れた自分を恨めしく思いながら、すぐさま『真理の剣』を横薙ぎに振るう。
剣から放たれた斬撃の波動が炎の放射を両断し、すぐさま爆炎は晴れた。
中から、黒く煤けたレイくんがよろよろと姿を現した。
「……僕のことは、いい……! アリスちゃん、君は、ジャバウォックを倒すことに専念するん、だ……!」
「で、でも……!」
「いいから……!」
掠れた声を上げるレイくんは、今にも倒れてしまいそうにボロボロだった。
けれど確かに言う通り、それで怯んでいてはジャバウォックが更に世界を壊してしまう。
駆け寄ったりして時間を無駄にするなと、レイくんが視線で訴えかけてくる。
フラフラの体で、それでも強い意志を孕んだその視線を受けて、私も覚悟を決めた。
「ジャバウォック────!!!」
レイくんは大丈夫。そう自分に言い聞かせ、ジャバウォックに飛び掛かる。
呼びかけに応えるようにこちらを向いたジャバウォックは、私に喰らい付かんばかりに大口を開けた。
そんなジャバウォックに、氷室さんが口内を串刺しにするように氷を生み出した。
複数形成された鋭い氷の柱が、まるでつっかえ棒のように顎を押さえ込む。
本来貫こうとしたそれも、すぐさま崩壊されてしまったけれど。
一瞬生まれた隙に、私が『真理の剣』を振るう。
剣から白光煌めく斬撃が波打ち、ジャバウォックへと一直線に飛ぶ。
ジャバウォックは体を大きく捻ってそれをかわしたけれど、大きな斬撃がその背を僅かに掠め、悲鳴のような奇声が上がった。
『────! ッ────────!!!』
ダメージはあまり大きくないだろうに、けれど上げる悲鳴は断末魔のようで。
相反する力は、見た目よりも存在に傷を与えているのかもしれない。
ジャバウォックは怒り狂ったように、更に獰猛に私へと飛びかかってきた。
「────させるかよ!!!」
私が身構えた時、ジャバウォックの真下から沢山の炎の柱が上がった。
それはただの炎じゃなくて、大きく太い鎖を内包していて、まるで地獄の拘束具のようだった。
地面から大量に伸び上がったそれらが、幾重にも重なって次々とジャバウォックに絡みつく。
ジャバウォックに触れるたび、炎が消され、そして鎖が砕かれて。
しかし消されてもすぐに次の燃える鎖が絡み付いて、絶え間なくジャバウォックに襲い掛かる。
二重に合わさった魔法と、タイミングをずらした連続攻撃に、完全とは言えずともジャバウォックの動きが押さえられた。
「今だよ、アリス!!!」
そして、アリアの声が聞こえた。
遠方からレオと共にこちらへと飛翔してくる姿が見えて、これが二人の合作の魔法だとわかる。
私は二人が作ってくれた隙に剣を構え直し、大きく『真理の剣』を振るった。
絡みつく炎の鎖ごと、私が放った極光がジャバウォックを包んだ。