115 みんなで立ち向かう
「アリスちゃんがそうするのなら、私も……」
私の手にグッと掴まって、氷室さんもまた立ち上がった。
向けてくるその瞳には一点の曇りもなく、ただ私のことを信頼してくれている感情だけが輝いていた。
彼女だって物凄い恐怖に苛まれているはずなのに、私を信じてくれているからか、その表情は普段通りクールさを保っていた。
「ありがとう、氷室さん。とっても、嬉しいよ」
「あなたの行く道が、私の道。どこまで行こうと、私はあなたのそばにいるから」
手を強く繋ぎ合って、私たちはお互いに頷き合った。
本来ならば、氷室さんを守りたい私は、彼女に逃げていてと言うべきなんだろうけれど。
こうして手を取り合って、共に並び立つことこそが、何より安心できるんだ。
「俺たちだって、アリスについていくぜ。お前の無茶に付き合うのは慣れているからな」
「そうだよ。昔だって私たちは、アリスのその真っ直ぐな心と一緒に進んできた。戦う相手が変わっても、それは同じだよ」
続いて、レオとアリアも私に寄って立ち上がる。
私の肩に置かれた二人の手は、とっても大きく感じられた。
七年前、女王様を倒そうとした私を支えてくれたのは、レオとアリアだ。
あの時の想い、決意、勇気を思い出す。
「アリスちゃん。その気持ちは素晴らしいが、あまりにも危険だよ?」
気持ちを固める私たちを見て、夜子さんがそう口を開いた。
真っ白な顔を懸命に平静そうにしながら、私の前へと立つ。
「何より、君が一番感じているはずだ。あれは世界に害を与えると同時に、君と、その内側にいるドルミーレを滅ぼす存在だ。君こそが最も相対してはいけないものなんだよ」
「……はい、わかってます。あれが顕れてから、心の奥のドルミーレがずっと震えてる。でも、だからって目を背けることなんてできないし、あれは、私にしか倒せない。そうでしょう?」
ずっと胸の奥がざわざわとしていて、嫌になるくらい落ち着かない。
それを押さえ込むように胸を抱きながら、私は真っ直ぐに夜子さんを見つめた。
夜子さんは苦い顔をして、頭を掻きながら呻く。
「確かに、二千年前にあれが顕れた時、ドルミーレが討ち滅ぼした。けれどそれは、その力を十全に使えた彼女でもギリギリだったんだ。その時受けた心の傷は、今も君の奥底にあるだろう。あの時とは、状況が違う」
「はい、確かに違います。私は、彼女が持ち得なかったものを持ってる。私一人じゃ到底叶わないかもしれないけれど、私には支えてくれるみんながいるから」
かつての恐怖を知っているからこそ、とても引き腰になっている夜子さん。
そんな彼女に、私ははっきりと言い切った。
「私の力は、ドルミーレから続いているものだけじゃないんです。みんなと繋がることで生まれた力が、私を形作ってくれている。みんながいれば、私は絶望にだって負けません」
「アリスちゃん……」
「それに私、さっき夜子さんに生意気なこと言っちゃいましたし。必要なら世界だって救ってみせるって。でもそれは虚勢でもなんでもなくて、私の本心ですから。私は、みんな守るために、混沌から世界を救ってみせる」
大きな力を引き継いで存在しているとはいえ、私自身はちっぽけな存在。
だから、多くの人の命運を背負えるほど上等な人間じゃない。
でも、身近な大切な人、手の届く人たちを守るためにそれが必要なら、世界でもなんでも救う。
そう心の底からの言葉を口にすると、夜子さんは弱々しく眉を落とした。
まだ私を止めたそうにして、でもできなくて。上げかけた腕が、途中で止まる。
「あなたがそう言うのなら、私は信じるわよ、アリスちゃん」
そんな夜子さんの腕をそっと下ろして、お母さんが身を乗り出した。
とても優しげに微笑むその顔は、私のよく知る、大好きな『お母さん』だった。
「私、あなたのことならなんでもわかるって、誰よりもあなたのことを理解してるって、そんなこと思ってたけど、違った。アリスちゃんは私の知らないところで、沢山のものと繋がって、思っている以上に成長してた。そんなあなたなら、私たちが知らない答えを出せるって、そう思えるわ」
「お母さん……」
「あなたはドルミーレとは違う。だから、きっと違う道を見出せる。至らない力を別のもので補って、想像し得ない力を引き出せる。あなたは、そういう子に育った。お母さんはそう、信じてる」
だからと、お母さんは夜子さんをそっと引いた。
夜子さんはお母さんと私を交互に見て、「そうだね」と小さく頷いた。
「……ありがとう、お母さん。ありがとうございます、夜子さん」
二千年前のジャバウォックを知り、そこでドルミーレが苦しめられた過去を知る二人は、何よりも私が遭遇することを危惧してきた。
だからこそ、何をおいてもそれを阻止しようと奮闘してきて、私とも衝突してしまった。
そんな彼女たちが、訪れてしまった最悪の事態の中で、私を信頼してくれている。
二人が決して見たくないと思っている結末を迎えないために、私はこの全霊を費やさなきゃけない。
「僕も力を貸すからね、アリスちゃん。あれには僕も、思うところがある」
「私もです、姫殿下。この国を守護する者として、慄いてばかりもいられない。それに何より、これは我ら魔女狩りの失態なのですから」
レイくんもロード・スクルドも、そう声をあげてくれた。
この場にいる誰しもが、震えながらも、絶望に打ちひしがれながらも、私の背中を押してくれている。
「ありがとう、みんな。みんな、よろしく……!」
今でも足は震えていて、気を抜けばこの場で崩れ落ちそうだけれど。
それでもこうしてみんながいてくれるから、私は踏ん張ることができている。
その頼もしさを噛み締めながら、私はみんなを見回した。
「私は、ジャバウォックを止める。それで、レイくんとロード・スクルドには、シオンさんとネネさんと、あと街のみんなことをお願いしたい」
「でもアリスちゃん、戦力は少しでも多い方が……」
「確かにそうだけど、でもみんなの安全も大切だから。二人は街の魔法使いや魔女たちを指揮できる立場だし、みんなをまとめて、できるだけ多くの人を救って欲しいんだ」
「わかりました。確かに、そういった人手も必要でしょう。国と国民のことは、私たちにお任せください」
私のお願いに、レイくんは少し不安げだったけれど、ロード・スクルドの二つ返事に渋々同意した。
今この国に、この世界に安全なところがあるのかはわからないけれど、でもジャバウォックに直面する環境よりマシなことは多いはずだ。
未だ傷が重いシオンさんとネネさんもいるし、これは二人にお願いをするしかない。
「じゃあ私たちは、一旦あの愚か者を絞るよ」
そう言って、夜子さんは広間の隅でぐったりとしているロード・デュークスを顎でしゃくった。
壁にもたれかかっている彼は、下半身が瓦礫に埋もれており、まるで身動きが取れないようだった。
そしてそれをどうにかする気力もないようで、今にも生き絶えてしまいそうな惨状だった。
「ジャバウォックが一旦顕れてしまった時点で、術者が死んだ程度で終わるとは思えない。けれど、儀式の理論を組み立てのは彼だからね。吐き出させることがあるかもしれない」
「彼は、一体どうしてこんなことをしたかったんでしょう。こんなことまでして、でもあんな……」
「アリスちゃんが同情する必要はないわ。こっちは、お母さんたちに任せてね」
夜子さんもお母さんも、言葉は優しげなのにとても鋭い目つきだった。
今現在この世で一番魔法の実力があり、多くを知っている二人なのだから、細かいことを任せるのは彼女たちしかいない。
私は黙って頷いて、自らの問題に目を向けることにした。
「氷室さん、それにレオ、アリア。三人には、私と一緒にいて欲しい。一番危険だけれど、でも、一緒にいて欲しいの」
「あったりめーだ。俺たちは、他のこと頼まれたってお前のそばを離れねぇよ」
「そうだよ。危険なら危険なほど、私たちがいなくっちゃ」
私のわがままのような言葉に、レオとアリアはそう言ってぎゅっと抱きしめてくれた。
思えば、女王様に叛逆すると決めた時も、二人は迷わず私のそばを選んでくれた。
いつだって二人は、私が願うことを一緒に願ってくれるんだ。
「私が、あなたを守る。今度こそ」
「私は、氷室さんを守るね。絶対に」
静かに輝くスカイブルーの瞳が、私を涼やかに見つめる。
その透き通った意思が、強く私と結びついてくれる心が、今は何より頼もしい。
私たちは、強く指を絡めた。
「アリスちゃん。わかっているとは思うけれど、ジャバウォックは存在しているだけで世界を掻き乱す。それはこの世界だけじゃなく、繋がっているあちらの世界にも牙を剥くだろう」
心を一つにし、手を取り合って、黒い空に浮かんでいるジャバウォックに目を向ける。
そんな私に、夜子さんが言った。
「あれはそういう、あらゆる条理を破壊する存在だ。それに対抗し得るのはドルミーレの力、延いてはその『真理の剣』だ。二つの世界を救えるとすれば、三度の救済の実績を持つその剣。その刃を届かせることができれば、きっと……」
「わかりました。今まで沢山の道を切り開いてくれたこの剣で、必ず混沌を斬り伏せて見せます」
純白の剣を強く握る。この手によく馴染む剣は、絶望に満ちた今の時の中でも、清らかに輝いている。
何者にも犯されない無垢の剣は、私にまっすぐな道を示してくれているようだった。
その感覚を噛み締めながら私は大きく息を吸って、気合を入れた。
「みんな、行こう!」
大切な人たちを守るために。大切なものがある世界を守るために。
私は崩れた広間から飛び出して、黒雲ひしめく大空に飛び出した。




